これまでのラグジュアリー・ビジネスが停滞して再定義が求められている中、2026年春夏のミラノでは、大別して4つの流れがあったように思う。ミラノのベストブランドを振り返りながら、この流れをクリエイション、そしてビジネスの順番で追ってみたい。(この記事は「WWDJAPAN」2025年10月13日号からの抜粋で、無料会員登録で最後まで読めます。会員でない方は下の「0円」のボタンを押してください)
まず顕著なのは、デザイナーたちがラグジュアリーを特別なものから、日常生活に寄り添うものへと変えていこうとする流れだ。先行した2026年春夏シーズンのメンズ・ファッション・ウイークでジョナサン・アンダーソン(Jonathan Anderson)による新生「ディオール(DIOR)」が体現したマインドは、デザイナーの間で着実に広がっている。誇示するような装飾や隙のないスタイリング、ハイプなコラボレーションではないラグジュアリーの在り方の探求が始まった。
特別な時ではなく、日常に身近に寄り添う
「インティメイト」なラグジュアリー台頭
その意味においてトレンドとして浮上したスタイルは、インティメイトだ。インティメイトとは「親密な」という意味で、インティメイト・ウエアというと「下着」を意味する。そのくらい肌に近く、常に身につけ、誇示はしないが身につければ気持ちが豊かになったり少しだけ高揚したりする、そんなムードが漂うスタイル提案が増えている。インティメイトな洋服を提供することで、消費者ともっと「親密」になりたいというブランドの思いも表れている。代表例は「ドルチェ&ガッバーナ(DOLCE&GABBANA)」。まさに身近なパジャマをコレクションの中核に据え、ブラジャーやシュミーズなどのインティメイト・ウエアと組み合わせることでブランドらしい官能性を表現した。「下着スタイル」というとハードルが高そうに聞こえるかもしれないが、ボディーポジティブのムーブメントやY2Kのトレンドを考えると、提案次第なのだろう。アウターが主力の「マックスマーラ(MAX MARA)」は、緻密なパターンワークでトレンチコートやジャケットをホルターネックにアレンジ。クロップド丈に仕上げることで、アウターではなく、肌の上に直接まとう。
もう一つ顕著なクリエイションの流れは、そこに込める意志の重要性がますます高まっていることだ。当たり前のことではあるのだが「共感」がビジネスにおいて最も重要なものとなり、加えて上述の通りラグジュアリーが“一目では分かりづらいもの”へと進化を遂げる中、意志こそが差別化の最大の要因になりつつある。
意志を持ってインティメイトなスタイルを発表したのは、「プラダ(PRADA)」だ。「Body of composition」、意訳すれば「体を構成する本質」と題した今シーズンの「プラダ」は、ブラトップのワイヤーを取り去り、まるで胸元は1枚の布をかぶせただけのよう。サスペンダーでつるしたスカートもズレ落ちる寸前のようだし、カーディガンもはだける直前のよう、スカートはグログランのリボンで結んだだけだ。あらゆる構造を極力廃することで、構造に縛られない自由の価値を説いた。SNSの台頭による情報の氾濫など、人間を時にはがんじがらめにするほど縛りつけている社会構造への疑義を唱えた。今後はこうした意志、もしくは社会に対するアティチュードの表示・発信がますます重要になるだろう。「プラダ」に対して、その意志が伝わらなかったり、共感できなかったりのブランドは、ことエモーショナルやポエティックなクリエイションが琴線に触れる日本では埋没しかねない。
意志をより強く発信すべく、
ショーの代わりに映画やゲーム
新アーティスティック・ディレクターのデムナ(Demna)によるコレクションを発表した「グッチ(GUCCI)」は、ゴールドの“GG”ボタンをあしらった1960年代風の真っ赤なショートコートのルックは“Incazzata” (イタリア語で「カッとなる」の意)、クロコダイル模様のレザージャケットにセミフレアスカート、ロングブーツのオールブラックのスタイルは“La Cattiva”(悪女)、素肌の上に黒のバイカージャケットを羽織って“ホースビット”の金具をあしらったジーンズやスニーカーと合わせるスタイルは“Figo”(男前)と呼称するなど、スタイルと感情をつなげた。ミラノではそれぞれのスタイルとリンクする感情たっぷりに演技する豪華俳優が勢ぞろいのショートムービーを公開した。
グレン・マーティンス(Glenn Martens)による「ディーゼル(DIESEL)」は、「民主的なブランドでありたい」という意志を表現するため、今シーズンはランウエイショーを中止。ミラノの街全体を舞台にした「エッグハント」ゲームを開催した。イースターのころに庭や公園に隠した卵を探すように、ミラノ市内にちりばめた卵形の透明のカプセルに入った最新コレクション姿のモデルたちをハントする。誰でも無料で参加でき、最も早く55ルックを見つけた人には、今回のコレクションをオーダーメイドで進呈するという。グレンは「コレクションは全ての人が同時に発見できる。ファッションはゲームであり、誰もが最前列で楽しむべき」と話す。こうしてコミュニティーを育んできたのが、現在の「ディーゼル」の成長につながっている。
高くなり過ぎたラグジュアリー
価格是正や裾値再考の機運高まる
ビジネスにおいてはまず、ミラノからパリを通して(パリ・ファッション・ウイークについては次号で特集する)高騰しすぎた価格に対する努力が見え始めてきた。日本の百貨店関係者によると、売り上げが前年同期比で6〜7割に沈んでいるラグジュアリーブランドは少なくない。特にエントリープライスの商材が不足しているブランドでは、一時的でも半分以下に落ち込むことがあるという。状況の改善には、価格の見直しは必須だ。
「グッチ」は上述のコレクションを世界で10程度の旗艦店で販売したが、一部のコートは50万円台だった。ビンテージ加工を施した小型の“ジャッキー”バッグも30万円台と従来品に比べて値頃感がある。今回のコレクションは世界の限られた店舗ですぐに発売したが、業界関係者によると、顧客を招いた初日の売り上げは彼らを驚かせるほど順調だったという。他の国でも、報道によれば限定販売期間中の店舗へのトラフィックは前年同期に比べてかなり多かったようだ。クワイエット・ラグジュアリーの文脈に乗るブランドでは、シンプルながら魅力的な商品開発で裾値を広げようという動きが見えてきた。「ファビアナ・フィリッピ(FABIANA FILIPPI)のように、一時はモード感を高めてデザイナーズの領域を目指したが、結果が出ずに再度新たな道を模索する動きもある。日本代表のコンテンポラリー・ブランドの「オニツカタイガー(ONITSUKA TIGER)」は、スラウチなブーツからバレエシューズ、イタリアンテーラードやツイードのシャツブルゾンまで提案の幅を広げ、ビジネス同様、コレクションも波に乗っている。今季はダリオ・ヴィターレ(Dario Vitale)による「ヴェルサーチェ(VERSACE)」ともコラボした。
業界の視線が集まるのは米国市場
リアルクローズ&レッドカーペットに傾倒
またミラノ・パリを通して、アメリカに傾倒する流れも顕著だ。例えば前任のルーシー&ルーク・メイヤー(Lucie & Luke Meier)夫妻のコレクションに比べてリアルに傾倒したシモーネ・ベロッティ(Simone Bellotti)による「ジル サンダー(JIL SANDER)」は、エモーショナルやポエティックなムードが減じ否定的な見解も多かったが、米国からの反応は総じてポジティブ。そもそも今回の人選は米国市場強化の一環ともいわれる。「ボッテガ・ヴェネタ(BOTTEGA VENETA)」も、知的でクールなスタイルが信条のルイーズ・トロッター(Louise Trotter)の起用は、リアルクローズへの支持が厚いアメリカ市場への対応でもあるといわれている。ルイーズは「カルバン・クライン(CALVIN KLEIN)」のほか「ギャップ(GAP)」や「トミー ヒルフィガー(TOMMY HILFIGER)」で働くなど、在米歴が長い。期待に応え、“イントレチャート”に代表されるクラフツマンシップを存分に盛り込みつつも、リアルで、日常生活に取り入れられるイメージが容易なスタイルを打ち出した。
また上述の「グッチ」は、デムナが思い描いた性格をデミ・ムーア(Demi Moore)らの俳優が演じ、スパイク・ジョーンズ(Spike Jonze)が監督したショートムービー「ザ・タイガー(THE TIGER)」を公開。2人は共にアメリカ人で、当初映画はミラノとニューヨークでのみ公開する予定だった。アメリカに思いをはせたクリエイションも広がっている。ダリオによる新生「ヴェルサーチェ」は、地中海とともにマイアミビーチを想起させる鮮やかなカラーデニムを連発した。近年は香水やアイウエアなどエントリーアイテムの拡充を図ってきた「ブルネロ クチネリ(BRUNELLO CUCINELLI)」は、受注生産するイブニングウエアをスタートする。全ての存在の根源である四つの要素、大地と空気、水、そして火の共鳴や調和を着想源にアースカラーを基調とした、温もりにあふれたドレスは他とは一線を画し、意志のある顧客やセレブに喜ばれそう。米国での需要は高いだろう。
ファッション業界では、先進国の中で唯一、人口もZ世代も増え続ける米国に注目する傾向が顕著で、特に彼らを意識したクリエイションとコミュニケーションで業績が大幅に改善した「コーチ(COACH)」の成功が注目を集めている。アメリカの富裕層の存在感が高まり、ファッションショーに彼らを呼ぶ動きも顕著なものになってきた。中国の停滞が長引く今、アメリカに傾倒する流れはしばらく続きそうだ。