西陣織のホソオ(HOSOO)は8月10日まで、京都の旗艦店2階のホソオギャラリーで「The Hemispheres」と題した展示を行っている。本展はイタリア・ミラノを拠点とする建築・デザインスタジオ「ディモーレスタジオ(DIMORESTUDIO)」との協働から生まれた33点の新作コレクションを日本で初めて公開するもので、ホソオが持つ約2万点の帯図案のアーカイブをもとに、「伝統の継承と現代の創造性を融合する」ことに挑んだ。
「Hemispheres」とは、古代ギリシャ語に由来する「半球」を意味し、本コレクションのコンセプト「東洋と西洋、伝統と現代、静と動といった対照的な価値が互いに響き合いながら一つの世界を形成する」を象徴する言葉として採用した。4月に開催されたミラノ・デザイン・ウィークで初披露し、話題となった新作はどのように生まれたのか。細尾真孝社長にプロジェクトの経緯と展望を聞いた。
PROFILE: 細尾真孝/細尾12代目、社長

WWD:初めて和柄に取り組んだ経緯を教えてほしい。
細尾真孝社長(以下、細尾):海外に出れば出るほど「自分たちは何者か」というバックグラウンドを示したいという気持ちが強くなっていた。一方、和柄のアーカイブを海外で提案したいと取り組んではいたものの、自分たちだけで取り組むと結局「帯」になってしまい「ホソオ(HOSOO)」として提案するに至っていなかった。帯という枠を超えて、インテリアやファッションの素材としても成立する“和柄の再構築”を試みることーーそれが今回の展示の出発点だった。
WWD:コレボレーション相手にディモーレスタジオを選んだ理由は?
細尾:彼らの“装飾×装飾”の感覚、つまり装飾性を突き詰める美意識に以前から惹かれていた。2023年にミラノに開設した「ホソオ」のショールームが偶然にもディモーレスタジオのオフィスの2ブロック先の場所で、以前から「彼らと何か一緒にできたら」と思っていたところ昨年会う機会があった。日本人が持つ感性はどちらかというとミニマルで、彼らのような色合わせやスタイリングは苦手。彼らの魔法がかかるようなクリエイティブのセンスで、自分たちのアーカイブがどのように変化するのかを試してみたいと考えた。
WWD:制作はどのように行ったか。
細尾:当社が保有する約2万点の帯の図案アーカイブを13年前から京都芸術大学と連携してデジタルアーカイブ化しており、1万4000点が完了していた。そのアーカイブを彼らに見てもらい、色を細かく指示してもらい、その色に対してどのような織組織が最適かというディスカッションを重ねた。何十通りも試作をしながらフィードバックをもらう形で進めた。この工程はまさに配色と構造の革新に挑んだと言える。当初20パターンを作る予定だったのが、結果33パターンに増えた。昨年夏には京都に来てもらい、アーカイブを見てもらいつつ、京都の文化を体験してもらった。
WWD:「配色と構造の革新」とは具体的にどのようなことを指すのか。
細尾:図案は完成品ではなく、織物にするための設計図にすぎない。私たちはそれを“余白の図案”と呼び、色のない図案にその時代の色と構造を加えることで、現代の形として完成させていくという発想で進めた。ディモーレはその余白に圧倒的なセンスで色とスタイルを注ぎ込んだ。図案にあるアウトラインやカスレ、墨の汚れや破れまでも織りに落とし込むことで、経年美と退廃の美学が交錯するような独自の世界観を生み出した。
WWD:海外のデザインスタジオと組んだからこそ得られた視点は?
細尾:長年越えられなかった和柄の壁を越える機会になった。長年の呪いが解けたというか(笑)。日本人だとどうしても“良い組み合わせ”を探してしまいがちだが、ディモーレは想定外のことをどんどん持ち込んだことで、伝統的な和柄に新しい解釈を加え、タイムレスでありながら現代的な図案を生み出すことができた。また、海外に日本の工芸の奥深さを伝える重要な機会にもなったと感じている。
WWD:ミラノ・デザイン・ウィークでの展示も好評だったとか。
細尾:ブロンズアーティストのオザンナ・ヴィスコンティ(Osanna Visconti)のアトリエで展示を行ったところ、単なる展示を超えた芸術的な空間体験として高く評価されたと感じている。連日入場のために1時間以上の列ができるほど反響があった。古い家に住んでいるかのような雰囲気で、壁は何層も塗装して剥がすことで経年変化を表現するなど、映画のワンセットのような没入感のある空間をつくった。
WWD:今後、伝統柄や和柄をどのように展開していくか?
細尾:今回の経験を通じて、“余白の図案”という考え方に確信を持てた。自分たちのヘリテージとさまざまなクリエイティブをあわせて新しいものをつくっていきたい。それがある意味で着物を更新することになるのではないか。着物の更新――実は一番ハードルが高いところだと感じているから。