
今回の特集では「若い才能を発掘し、高感度の『WWDJAPAN』読者に紹介したい」という思いから、6人のクリエイティブチームで特集テーマ“BEYOND BOUNDARIES”を表現するカバーイメージを制作してもらった。ここでは各自のバックグラウンドと表紙にかけた思いを紹介する。(この記事は「WWDJAPAN」2025年4月28日&5月5日合併号からの抜粋で、無料会員登録で最後まで読めます。会員でない方は下の「0円」のボタンを押してください)
「WWDJAPAN」2025年4月28日&5月5日合併号 表紙

トン・ジャン/フォトグラファー
(27)
自分の良さが生きる国で磨く
リアルで幻想的なポートレート
中国出身の写真家トン・ジャン(Ton Zhang)は、理系の分野を専攻していた大学時代に、スマートフォンで何気なく撮った写真を先輩にほめられたのをきっかけに、デジタル一眼レフカメラを購入し、写真を撮り始めた。植田正治や上田義彦ら、日本の写真家が好きだったため、卒業後に日本に渡り、東京で専門学校に入学。写真を改めてイチから学んだ。その後、東京の会社で働きながら写真を続け、フィルムとデジタルのあわい、リアルと幻想のはざまを思わせる独特の質感を持つ写真スタイルを確立。2024年に専業のフォトグラファーとして仕事を始めた。トンが一貫して関心を向ける被写体は「人」。「どんな被写体でも、その人が内側に持つ良さや面白さを引き出し、イメージに映し出したい」と語る。母国での仕事も増えてきたが、拠点を東京に置くのは、日本の方が写真家としての自分の個性を理解してもらえていると感じるから。「周りには、被写体を選ぶ人や、コミッションワークをしない人もいる。でも私にとっては、広告もストリートスナップも自分が撮れば自分の作品。そこに区別はないし、どちらも楽しい」と明るく話す。今後について尋ねると「写真しかできないから」と笑いながら「展示も積極的にしていきたい」と語った。
表紙について一言
“Beyond Boundaries”というテーマに沿い、岩の荒々しさと、動きのあるポーズで、芽吹き始めた若い才能が何かをビヨンドする(乗り越える)イメージを作った。
ポートフォリオ
ユウマ・サキタ/スタイリスト
(26)
武器は鍛えた語学力
ユーモラスで洗練されたスタイルを提案
ユウマ・サキタは4カ国語を操るスタイリストだ。関西に生まれ、九州の大学で観光学を学んだサキタは、留学生の多いキャンパスの中で英語と韓国語を習得。その後、好きだったファッションでキャリアを築きたいと大学を休学し、台湾に渡って中国語とファッションを学んだ。卒業後、上京してスタイリストとしての活動をスタートさせたが、若手同士でテスト撮影を行っても、なかなか多くの人に見てもらう機会に恵まれなかったという。転機になったのは、語学力を生かして韓国人フォトグラファーのパク・チョンウにコンタクトをとり、一緒に作品撮りをしたこと。これ以降、韓国でも多くの人とつながり、エージェンシーに所属することになった。現在、多い時で月の半分はブランドのルック撮影などの仕事で韓国に滞在している。サキタがスタイリングをする上で大事にするのは「ユーモア」だ。スタイリッシュさの中に、色味やシルエットでかわいらしさやおかしみを演出する自身のスタイルについて「大阪生まれで小さいときからお笑い文化に触れてきたのは関係していると思う。でも過剰になり過ぎないように」。「今年は韓国での仕事をできるだけ引き受け、可能性をもっと広げていきたい」と先を見据える。
表紙について一言
「ジェンイェ(JIAN YE)」は男らしいブランドなので、男女のルックをマッチさせるために中性的なスタイルを作った。それぞれデザイン性の高いアイテムなので装飾的要素は最小限に。レイヤードでポイントごとに見せ方を変えた。
ポートフォリオ
アヤナ・コシバ/ヘアメイク
(26)
ゴシックでダークな世界観で
業界を超えたカルチャーを発信
アヤナ・コシバは、中目黒にある「ロマ(roma)」でのサロンワークのかたわら、ヘアメイクの仕事や、ハードテクノのDJとしてクラブイベントへの出演もこなすマルチプレーヤーだ。サロンでは、約2年前にスタイリストに昇格。ゴシックかつモードな世界観と、女性らしくファッショナブルなムードを融合させたスタイルを得意とする。ヘアスタイルの着想源は、海外の女性DJたちから得ることが多いという。「先日の『コーチェラ(COACHELLA)』にも出演したサラ・ランドリー(Sara Landry)を筆頭に、世界にはゴシックでファッショナブルな女性のハードテクノDJが多い」。それらのスタイルを日本人女性のヘアとして提案するため「毛先が軽くて女性らしい韓国系スタイルや、重ためなレイヤーが特徴の中華系スタイルなどをミックスしてバランスをとる」と話す。サロンの外では、同じく中目黒に拠点を持ち、スタイルも近い「ジョン ローレンスサリバン(JOHN LAWRENCE SULLIVAN)」や、アートディレクターのヨシロットン(YOSHIROTTEN)が主宰するデザインスタジオ「YAR」の若手スタッフたちと合同で「リンボ(LIMBO)」というクラブイベントを主催し、自身もDJブースに立つ。「全ての自分の活動はつながっている。ファッション、ヘア、音楽を横断したカルチャーを中目黒から発信していきたい」。
表紙について一言
異星のようにも見えるロケーションから連想し、デヴィッド・リンチ(David Lynch)監督の映画「デューン」を参照。主人公の印象的な青い目に着想し、ブルーのヘアやコンタクトレンズ、アイライナーなどをポイントとして取り入れた。
ポートフォリオ
ヌーブ/「ジェンイェ」デザイナー
(27)
若者人気が上昇中
中国文化×ゲームカルチャーで独自の世界観
20代前半の若者の間で、人気を高めているメンズブランドがある。デザイナー・ヌーブ(noob)による「ジェンイェ」だ。セレクトショップの「グレイト(GR8)」や「O 代官山」など、取扱店舗数は約30。ありそうでなかったアジアンテイストやゲームカルチャーを取り入れたデザインと、リアルクローズとしての着やすさを兼ね備えたバランス感が特徴で、あまり顔出ししないミステリアスなデザイナーの雰囲気も相まって、“イケてる”気鋭ブランドとしての地位を確立しつつある。
中国人の母と日本人の父との間に生まれたヌーブは、福島県出身。多感な思春期の若者らしく、ファッションへの憧れを募らせる10代を過ごした。高校生になるタイミングで東京に引っ越すことになり、都会でしかできないことを求めてバンタンデザイン研究所に進学。服作りの基礎を学んだ。
アルバイトで貯めた資金を元手に、2021年秋冬に「ジェンイェ」を立ち上げた。ヌーブの心を占めるのは「新しいことをして人を驚かせたい」という気持ちだ。ブランドコンセプトは明確に掲げていないが、自身のアイデンティティーである中国や趣味のゲームから着想したモチーフを使って服作りをしている。例えば、中国の特定の地域に生息するカブトガニや、母方の祖母からもらった木製の数珠ゲーム「メタルギアソリッド(METAL GEAR SOLID)」のキャラクターなど独特だ。「アジアンテイストは世界進出する上で強みになりそうだが、それで安心したら進歩できない。だからクリエイションはまだ模索中」と冷静だ。「周りには“かましている”若いクリエイターが多いし、自分もそうなれたら」。
表紙について一言
水がイメージのアクアカラーがポイントで、岩場のロケーションにもマッチ。定番のスエットはドライな質感で肌離れの良い素材を使用。デニムは全てのボタンをマグネットにし、着脱のしやすさとソリッドなデザインを両立する。
ポートフォリオ
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レミ・オノデラ/モデル兼「リッカ」デザイナー
(27)
幼少期から培った自己表現の喜び
モデルとデザイナーで開花した才能
物腰柔らかで丁寧な人柄のレミ・オノデラは作品ごとに異なる人格が憑依したのかと思わせるほど、多彩な表情を見せるモデルだ。彼女がモデル事務所のミルマネージメントに所属したのは、2024年8月のこと。それまでは、京都芸術大学の学生としてクリエイターの作品撮りに出演したり、大学卒業後にホテルマンとして働きながらフリーランスモデルという二足のわらじをはいたりしていたという。
オノデラは10代のころからクリエイター気質の強い少女だった。新体操チームに所属していた中学生時代、チームで代々使い回している衣装を変えたいと一念発起し、自ら衣装デザインを手掛けたいと顧問に申し出る。次第にデザインにのめり込み、高校ではファッションコンペに応募し始める。「全国高等学校ファッションデザイン選手権大会」で入賞を果たすと、ようやく後輩の新体操衣装を作る許可が下りるようになった。現在はオリジナルブランド「リッカ」を手掛け、不定期でコレクションを発表する。「日常のものや素朴なものが好きで、布団やカーテンを使用した服を作りたい」と話す。
彼女のモデルとしての表現の模索方法は、写真のクールな表情から想像し難いほど泥くさい。事前に参加クリエイターの趣味を聞き、私生活を想像しながら求められるイメージを探る。「こんなに喋るモデルはあまり見たことがないと言われる」と笑う。街中での撮影では、工事現場の作業員に自ら交渉して、写真への登場依頼をしたこともある。彼女の語りには、表現への喜びが満ちていた。
表紙について一言
トンさんから「強い目線で」や「躍動感のあるポーズを」という指示があったので、若い世代を鼓舞できるような「力強さ」を意識した。
ポートフォリオ
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かわけい/モデル
(27)
「今できること」に目を向けて
切り開いた自分らしい道
インフルエンサー・モデルとして活動するKawaKこと川原渓青。義足の生活がスタートしてからSNS上での発信を始め、現在TikTokでは120万人、インスタグラム(Instagram)では26万人以上のフォロワーを抱える。当初、義足に関する情報をインターネット上で調べたが、発信者は極端に少なく「義足の人の日常」に関する情報にリーチするのは簡単ではなかった。そこで「自分のような人の助けになれば」という気持ちで発信を始めた。すぐに注目を集めるようになったが「本当のところはどう思われているんだろう?」という不安の気持ちも強かったという。葛藤を抱えつつ活動を続ける中で、視聴者からのポジティブな反応や、舞い込む仕事の依頼に「運がいい」と思えるようになった。「義足がきっかけで新たな人と出会い、仕事につながり、自分の個性を表に出せるようになった」と話す川原の顔は晴れやかだ。足を失った当初は、失ったものやできなくなったことばかりを考えていたが、「今できることをどれだけ磨くか」に目を向けるうち、過去のことは気にならなくなった。「今後やりたいことはたくさんあるけれど、その時の『やりたい』を大切にしたい。見てくれる人がいる限り、楽しそうに生きる自分を発信し続ける」と笑顔で語った。
表紙について一言
大好きな自然の中での撮影は気持ちよかった。チームで一つのものを作り上げるプロセスを楽しんだ。
ポートフォリオ
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