人口減少と需要の成熟、原材料や人件費の高騰、さらには消費やモノに対する価値観の変化—日本のアパレル業界は今、複合的な難局に直面している。こうした状況を打開するヒントを探るべく、デジタル戦略のエキスパートで、アパレル企業の変革支援を行う藤原義昭300Bridge代表取締役による連載(全5回)を届ける。本当に原因は外部環境なのか?第5回は価格についての思い込みと、その役割を改めて問い直す。(この記事は「WWDJAPAN」2026年6月15日号からの抜粋です)
「定価で売れない」は業界の合言葉。連載最終回となる今回は、その「定価で売れない」を問い直してみたいと思います。
会議で価格が議題に挙がるとき、議論はたいてい数字の話になります。原価率、粗利率、競合との価格差、セール時のディスカウント幅。どれも経営に必要な数字です。しかし、価格の本当の重みは数字の中にはありません。価格は、ブランドが顧客とどんな関係を結んでいるか、その「価値」の表明です。
同じ商品でも、価格が違えば顧客との関係は違います。安いから手に取る顧客と、価格に納得して手に取る顧客は、まったく別です。前者は次のセールを待ち、後者は次の入荷を待ちます。
第1回で挙げた3つの前提のうち、最後の1つは「値上げは客離れを生む」でした。コロナ禍以降、原材料費や物流費の高騰でやむなく値上げに踏み切った企業は増えましたが、それでも「値上げ=客離れ」のイメージは業界に根強く残っています。
もちろん価値が伝わらなければ顧客は離れます。一方価格が上がっても、価値が伝わっていれば顧客はついてきます。値上げで離れたように見える顧客は、実は値上げの前から「ブランドとの関係を見失っていた」のかもしれません。
値下げは、価値も下げる
逆方向の値下げを見てみます。値下げは短期では売り上げをつくりますが、長期では顧客の頭の中の「価値の基準」を下げていきます。これは心理学ではアンカリング(Anchoring)と言います。最初に提示された情報や数値が基準(アンカー=錨)となり、その後の判断や評価が無意識のうちにゆがめられる心理的現象(認知バイアス)です。 「このブランドは、待てばこの価格で買える」と一度学習されると、顧客は次もその価格を基準にします。
定価で買う顧客の信頼は、値下げのたびに一段ずつ削られていき、値下げのスパンが短くなれば短くなるほど、顧客は「定価で買う自分」をバカらしく思うようになります。セールに頼り続けるブランドは、自分の手で価値を切り崩しているということです。
ここまでの話を整理すると、問われているのは「価格と価値を一致させる経営」です。価値とは、ブランドが顧客に提供する関係性の総量です。商品そのものの品質。シーズンを越えて続く一貫性。スタッフが商品を語れる蓄積。アフターケア。在庫が約束を守っているか。ブランドが社会の中で取っている立ち位置。これらが積み重なって、ブランドの価値になります。価値は1日ではつくれず、1日では失われません。長い時間をかけて積み上げられ、長い時間をかけて顧客の中に染みていきます。ポイントは価格は商品だけでは決められない、ということです。
価格と価値が一致しているブランドは、値上げを恐れません。価値が価格を支えているからです。値下げにも逃げません。値下げは価値を裏切る行為だと、組織が共有しているからです。逆に、価格と価値がずれているブランドは、値上げをすれば客離れし、値下げをすれば信頼を失う。価格と価値の一致をつくることが、経営の仕事だと思います。
価値の先行指標を持つ
第2回で、KPIを「結果指標(売上高)」から「先行指標(F2転換率・リテンション率・上位顧客の購買頻度)」へ移すという話をしました。価格と価値の一致を測るためにも、結果指標とは別の価値の先行指標を使うべきです。
たとえば、プロパー消化率は「価格に対する顧客の納得度」の指標です。値下げ実施までの平均日数は「価値の安定度」の指標になります。顧客の指名買い率(「これを買いに来た」と言える顧客の比率)は「価値が顧客の頭の中に届いているか」の指標です。
これらの数字を経営会議の主要指標に据えると、議論は「どう値下げで売り切るか」から「どう価値を一致させて売るか」になります。
価格と価値を一致させた価格は、ただの数字ではなくなります。それは、ブランドが顧客に対して「私たちはこの価値を、この価格で、これからも提供します」と表明している宣言です。
これは、3つの意思決定に表れます。
一、セールの常態化をやめる。売り上げの短期目標のためにセールに頼ることをやめる。
二、値上げするときに価値を説明する。価格を上げるなら、何が変わったのか、何が変わらないのかを顧客に語る。
三、売れない時期にも価格を守る。一時的に売り上げが落ちても、価格を崩さない。
これらの意思決定を経営が背負わない限り、現場は短期の数字に追われ、価格はいつ崩れてもおかしくないものになります。逆に、覚悟が経営の側にあれば、MD(商品計画)も、販促も、接客も、「この価格で約束したことを守る」という同じ基準で動けるようになります。価格は、対外的な数字であると同時に、組織の内側を貫く背骨でもあるのです。

「顧客との関係を、設計する」
5回にわたって、アパレル再成長の条件をめぐる話をしてきました。第1回で疑った3つの前提を振り返ります。「新規客を取り続けなければ成長できない」は、LTV(顧客生涯価値)と先行指標のKPIで回収しました。「在庫は多く持つ方が安心」は、在庫を顧客との約束として捉え直すことで回収しました。そして「値上げは客離れを生む」は、価格と価値を一致させる経営で回収できます。
3つの前提を貫くのは、たった一つのメッセージです。「顧客との関係を、設計する」。新規獲得も、デジタルも、在庫も、価格も、全ては顧客とどんな関係を結ぶかという1点に集まっていきます。
アパレル再成長の条件は、外部環境にはありません。人口減少も、原材料費の高騰も、消費価値観の変化も、確かにブランドの周りで起きています。けれど、再成長の出発点はもっと内側、経営の中の「顧客との関係をどう設計するか」という1点に集まっています。
この連載が、皆さまの会議の議題を一つでも置き換える助けになればうれしいです。
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