
渋谷と呼ばれた男がいる。ピロムこと植竹拓、47歳。1997年に「エッグ」で読者モデルとしてデビューし、その後「メンズエッグ」創刊から14年間を支え続けた、自他ともに認める元祖ギャル男である。現在も渋谷に暮らし、四半世紀を渋谷に捧げてきたそんな男と一緒に、再開発で変わりゆく渋谷をぶらり散歩。そこに、変わらない渋谷の記憶は残っているのか。(この記事は「WWDJAPAN」2025年9月29日号からの抜粋で、無料会員登録で最後まで読めます。会員でない方は下の「0円」のボタンを押してください)
「ギャル男って知ってる?」。そう聞くと、ほとんどの人は、焼けた肌にロン毛、首元が大きく開いたTシャツに、ティアドロップのサングラス……そんな姿を想像するだろう。でもそれは、ギャル男の歴史のほんの一部の姿に過ぎない。1999年に「メンズエッグ」が創刊されて、“ギャル男”は誕生した。それ以前をたどれば、「エッグ」にイケてる男子高校生として登場した“スーパー高校生”が由来だ。この“ギャルの隣にいた男たち”の人気ぶりが、発行部数30万部を誇ったモンスター誌「メンズエッグ」創刊につながる。 “スーパー高校生”として「エッグ」に登場したピロムさんは、第一世代のギャル男。ギャル男の礎を築き、その後、2013年まで5世代に渡って続く、ギャル男の変遷を見届けてきた。確実に言えるのは、ギャルとギャル男だけが、日本で唯一、どこの国のマネもせず、渋谷で生まれた独自のファッションカルチャーだということ。「モテたい」が生んだ若者の生き方そのものだったのだ。
思い出SPOT1
始まりとおわりの場所
「パイロンのビル」

渋谷の街を歩きながら、ピロムさんが「ここが僕の原点」と指さしたのは、現在「アトム」が入るビル。かつては「ドクタージーカンスビル」と呼ばれ、クラブ「パイロン」があった場所だ。「20歳のとき、ここでDJデビューして、29歳のとき、アパレル会社に専念しようとDJをやめました。それもこの場所だったんです。DJをやっているとイケてる子が自然と集まってきた。雑誌の知名度もあって、正直言って、モテました(笑)」。クラブの空気も今とは大きく違う。警察が来たときの言い訳用に、フロアの真ん中にテーブルを置いて“夜カフェ営業です”と装っていたとか。世紀末の「パイロン」はギャルだらけで「関東中のかわいい子が集まっていた」と振り返る。
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