PROFILE: 南馬越 一義/ビームス ディレクターズバンク クリエイティブディレクター

日本には、ファッションシーンを作ってきた目利きたちがいる。彼・彼女たちはどのように感覚を研ぎ澄ませ、何を目利きし、時代を動かしてきたのか。背景にある考えや哲学を知ることで、今のバイヤーたちにも大いに学びとなるはずだ。
“MAGO”の愛称で知られる南馬越一義ビームス ディレクターズバンク クリエイティブディレクターは、かつて「エックスガール(X-GIRL)」「ミルクフェド(MILKFED.)」を日本に持ち込み、ウィメンズのヤングカジュアルで一時代を築いた人物だ。日本のセレクトショップ全盛の空気を肌で感じ、酸いも甘いも経験してきた蓄積には、現役のバイヤーにも通じる学びが詰まっている。(この記事は「WWDJAPAN」2025年9月8日号からの抜粋です)
「僕のマネはしないほうがいい」
WWD:改めてバイヤーになった経緯を教えてほしい。
南馬越一義ビームス ディレクターズバンク クリエイティブディレクター(以下、南馬越):大学2〜3年のころ「ビームスF(BEAMS F)」に通っていた。栗野(宏文現ユナイテッドアローズ上級顧問)さんが当時店長で、「バイトやらない?」と声をかけてもらった。1985年に正社員として入社、ビームス原宿に配属された。当時のビームスは「ポパイ(POPEYE)」に載るアイテムが多く、「ビームスに置いてある」こと自体が信頼の証だった。
WWD:当時からバイヤー志望だったのか。
南馬越:思ってもみなかった。89年に「レイ ビームス(RAY BEAMS)」を立ち上げるとき、いきなり「店長をやれ」と。ずっとメンズだったのに急にウィメンズを任された。最初はよく売れたが、やがて上司のバイヤーが辞め、後任を任された。手探りでやったが在庫を抱え、責められた。会社をサボってゲーセンに行ったこともある。でも「やりたいようにやって辞めよう」と決めた。音楽やストリートの文脈で「女の子のためのストリートウエア」がないと気づき、ロンドンやパリ、ニューヨークに探しに行った。
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