PROFILE: 中谷一郎

「歩き方一つで、その人の購買意欲と購買確率が分かる」。現場に設置したビデオカメラに映る顧客やスタッフの動きを分析・解釈し、POSデータや売り上げからは見出せない課題を可視化することで多様な業態の収益を底上げしてきた企業がトリノ・ガーデンだ。わずか20人の社員で上場企業を中心に幾多の現場を分析し、新規営業をしていないにも関わらず紹介や問い合わせが絶えない。大手SPAや化粧品ブランドの経営改善も成功させてきた中谷一郎社長に、現場観察の精度と再現性で成果を生む舞台裏を聞いた。
WWD:トリノ・ガーデンはどのような企業か。
中谷一郎トリノ・ガーデン社長(以下、中谷):店舗や現場のオペレーションを科学的に分析し、改善につなげる企業です。POSレジや会計といった構造化データに加え、お客さまの歩き方、立ち止まる秒数、声の大きさやイントネーションなどの非構造化データを映像分析によって可視化します。その上で、脳科学、人間工学、心理学などの知見を用いて解釈して改善手段を提案して、現場での再現性担保、オペレーション浸透までを行います。
WWD:ファッションやビューティ企業からの依頼も多い?
中谷:飲食業界での認知度が高く全案件の約6割を占めていますが、コロナ禍以降はファッション・ビューティ領域での依頼が増加しており、今年は前年比で約40%伸びました。特に、美容医療や脱毛サロンなど、競争激化や広告単価上昇に伴って現場改善の必要性が高まっている分野が多いです。ファッション・ビューティ業界ではファストカジュアルの大手SPAからセレクトショップ、アイウェア、化粧品メーカーなどと取引があります。既存店舗の伸びしろの可視化に加え、新規出店モデルの成功確率を高めるためにPEファンド経由での店舗ビジネスの高度化も手がけています。
WWD:映像の分析を通して何が分かるのか。
中谷:例えば歩き方一つで「その人が製品を購入するかどうか」を推測できます。フラッと立ち寄るお客さまと一目散にその店を目指すお客さまでは目的が明確に違います。歩行速度を緩めずに店舗へ向かうお客さまと歩行速度が減衰するお客さまと比べ購入確率が約3〜4倍と高い。商業施設でもお手洗いへ向かう人の歩行速度は速いのと同じで目的がはっきりしていると速く歩く傾向があります。
一方、VMD(ビジュアルマーチャンダイジング)の前で歩行速度が減速した場合は「見たい」と思わせる注意喚起ができた証拠。VMDは買われたかどうかの結果評価が一般的で、価格やサイズなどVMD以外の変数によって購入如何が変わるために純粋な評価が難しかったのですが、歩行速度の変化というプロセス指標を用いることでVMDの是非を評価できるのです。
WWD:店舗のスタッフは業務中に客の歩行速度までは観察できない。
中谷:日々の業務で手一杯ですし、第三者でなければ難しい部分です。AIを使って録画データを学習させることもできますが、当社では基本的にすべて人力で計測しています。1項目だけを計測するならAIでもできますが、複合的な状況や幾多ある変数を切り分けた分析は人の観察力に勝るものはありません。途中で数えるのを諦めてしまいましたが、われわれが観察している視点と項目数は累計で2万〜3万項目以上あります。
ホテルやビュッフェ会場での「卵焼きを取るかどうか」という1場面を分析する場合。「その人が手に何を持っているか」などの基本的な部分から「卵焼きを取るトングの向き」まで見ます。右利き人口は約88%なのでトングの置き方一つで列の進む速度が変わるのです。
ビュッフェは構造が複雑なので観察対象として非常に面白い。「卵焼きが美味しそうに見えないから取られない」場合もあれば「取れる位置にあったのに手が伸びなかった」場合もある。逆に、卵焼きがそもそもなかったり陳列量が少なかったりすれば、小売り業界でいうボリューム陳列の課題にあたります。一方で、商品の少なさが購買意欲を高める希少性の法則が働く場合もあります。「現品限り」「本日限定」といった訴求で人は足を止め、何秒で意思決定するかが変わる。そうした行動変化まで読み取って改善につなげています。
課題の原因は
言語化できてない場合が多い
WWD:寄せられる課題や依頼内容はどのようなものが多い?
中谷:売り上げや離職に関する相談が多いですが、実際には「接客スキルの問題」ではなく「接客に出られない環境」が原因のことが多いです。例えば、店長が会議資料作成を一人で抱えていて接客に出られない、ピーク時に人員が足りないといった状況です。こうした業務負担を減らすだけで、接客時間が増え、売り上げが改善することもあります。
WWD:接客における改善の事例は?
中谷:化粧品売り場において、若い世代への販売が得意なスタッフと年配のお客さまへの販売が得意なスタッフでは話し方やイントネーションが明確に異なります。同じ「この製品は◯◯なんですけども」といったフレーズ一つでも、声の抑揚・イントネーション、音階、話す速度によって、聞き取りやすさや反応が年齢により変わります。こうした音声や話し方のデータを長期的に実店舗で収集・分析し、効果検証している企業は希少だと自負しています。
男女差で単純に分けることはできませんが、幼少期に勝ち負けや優劣がつく遊びではなく、おままごとなど情緒を共有する遊びかたに慣れ親しんでいた女性の方が結論を言い切らず、文末の語尾を上げて述語を曖昧にする傾向があるなど、幼少期の育った環境も影響しています。接客ではこの話し方の違いが購買の意思決定に影響することがあります。目が肥えた年配のお客さまを相手にする場合、「かもしれない」という曖昧な表現より「あなたにはこれがいい」と言い切る方が安心感を覚えるのです。
美容やアパレルの接客はマニュアル化が難しく、お客さまごとに最適な提案が異なります。熟練スタッフの属人的な技術も心理学的分析で「心の鍵の開け方」として言語化・再現すれば、組織全体の資産になる。このように「なぜそうなっているのか」を解釈し、実験・再現性確認・定着までを約6〜8か月で行います。
WWD:改善点の提示だけでなく、新しいオペレーションの定着まで伴走する。
中谷:大手ハンバーガーチェーンでは、スタッフの心拍数分析から課題を見つけました。心拍数が上がりすぎるとポテトのSサイズ・Mサイズという異なるパッケージを間違えてしまうなどのミスが発生します。原因は技術不足ではなく過度な緊張。教育だけでなく、緊張を生む要因を取り除く現場改善が必要です。アパレルや化粧品売り場でも、数字のプレッシャーやレジ待ちの焦りが離職につながります。
マネージャーの声かけも離職率にも影響する検証結果もあります。「もっと徹底しろ」という曖昧な指示はプレッシャーになりますが、「5人のスタッフに後日質問して全員が即答できる状態を目指してください」と具体化すれば、「全員でなくとも5人中3人が、5人中4人に増えた」など、小さな改善も評価でき、現場のモチベーションが上がります。
現場の行動は意図せずパターン化します。「テーブルを毎日拭く」というルールは数週間で形骸化しますが、「お客さまが座る直前に拭く」と設定すれば「ありがとう」と言われる機会が増えて自然と続けられます。大手ハンバーガーチェーンでは、1日仕事をしてお客さまから感謝されるのは平均0.2回。そこで「ありがとう」と言われる行動をワークフローに組み込めば、意識せずとも感謝される経験が増えて行動が定着します。「やっておいた方がいいこと」ではなく、人間の快感や楽しさといった本能に沿って設計することが重要なのです。
価値ある技術こそ
言語化して残すべき
WWD:ファッション・ビューティ業界の業務効率やスタッフ育成に関して印象的な事例は?
中谷:ネイルサロンでは施術の速い人と遅い人で1日の回転率に差があり、1日あたり2〜3組分の売り上げの差が生まれることがあります。遅い人への指導は「もっと速く」「もっと強く」という抽象的な表現に留まりがちです。しかし、ヤスリの動きを可視化すると、速い人は1本の爪あたり約700回、遅い人は1500回以上当てています。遅い人は1回あたりの削る量が少なく、ヤスリの先端しか使っていないのに対し、速い人はストロークが長く、始点から終点までしっかり使っている。この「ストロークの長さ」というポイントを伝えるだけで、数年間遅かった人が当日から改善することもあります。
こうした指導は熟練者が自然に行っている動作を正確に言語化できる人でないと難しいものです。爪の形状やお客さまのオーダーは個別に異なりますが、指導においては「始点と終点」といった定義を明確にできることが重要です。
多くの現場では可視化できないことは管理できず、結果として経験年数や経営層の意見が優先され、論理的ではなくとも声の大きい意見だけが強くなってしまうこともあります。効率化の観点だけでなくスタッフの自尊心ややりがいを高めるためにも、価値ある技術は言語化して残すべきです。
人員削減ではなく、働く時間を楽しくし効果的な方法を見つけることが重要。スタイリストの技術を科学的に分析し再現性を持たせれば自尊心向上につながり、現場に立てない人も知的労働として活かすことができます。
WWD:美容室のカット業務を分析した経験はある?
中谷:トライしたこともありますが、費用対効果が合わないため現状は分析していません。と言うのも、レジ会計の方法や予約電話の受け方、カラー材の置き場所などの方が、カットに比べて現場のこだわりや改善に対する抵抗感が少なく、改善の余地が大きいからです。
WWD:ファッションやビューティ業界特有の課題は。
中谷:購入判断において情緒的な要素が非常に大きい業界です。合理的に「機能がこうだから」「価格がこうだから」と選ぶだけでなく、その製品から得られる感覚や体験が決め手になる。情緒を大事にするのは当然ですが、情緒に情緒だけで応える業態やオペレーションに依存し過ぎてしまうと、再現性が担保できず、採用・教育の人件費は上がり、結果として必要な目標売上を確保しなければいけないという数字のプレッシャーに耐えられる人しか残れない環境にもなりかねません。
スタッフが定着するにはブランドへの強い愛着があるか、早い段階で成功体験を得て「自分にもできる」という自信を持つかのどちらかが必要です。情緒依存型のマネジメントだけでは人材難の中で定着率を上げるのは難しい。人間関係や向き不向きが問題になる前に改善できる余地は多くあります。
WWD:ファッション・ビューティ業界が明日からできる小さな改善は?
中谷:会議中に話している内容を全部録音して活字に落とし込んで見た時に、「しっかり」「徹底」などの、人によって解釈が分かれる言葉が多い場合は伸びしろが大きいと考えます。現場を変えるよりも先に、言語化できていない部分を本部の人たちが自分たちで気づくだけでも変わるきっかけになります。会議のミーティングを言語化することはすぐに役立つと思えないかもしれないですが、そこに取り組めるかどうかで企業の成長も大きく変わると思います。