PROFILE: 稲垣貢哉/ジャパン・テック・イノベーターズ社長

2025年4月、日本の繊維製造業6社と稲垣貢哉氏個人が共同出資し、新会社「ジャパン・テック・イノベーターズ(JTI)」が長野県上田市の信州大学繊維学部内に設立された。GRS(グローバル・リサイクルド・スタンダード)やGOTS(グローバル・オーガニック・テキスタイル・スタンダード)といった国際認証の取得支援を軸に、素材開発、製品販売、LCA(ライフサイクルアセスメント)の算定支援まで一気通貫で提供する“ユニット型”支援モデルが特徴だ。
JTIは、米国に本部を置く国際サステナブル繊維啓発NPO「テキスタイルエクスチェンジ」の元理事であり、現在もアドバイザーを務める稲垣貢哉氏を代表に据え、ラトレ(大阪市)、飯田繊工(大阪市)、サンファッション(大阪市)、信和ニット(和歌山市)、西染工(今治市)、HTXジャパン(横浜市)の6社が出資して設立された。いずれも自社単独では海外対応や認証取得が難しかった中小製造業であり、「単独ではなく、連携によって世界に挑む」姿勢がこの設立の核にある。
近年、欧米を中心とした市場では、製品のエビデンスとトレーサビリティを前提とした調達が求められており、GRSやGOTSといった第三者認証の取得は不可避となっている。しかし、実際の認証取得には、30項目以上におよぶ煩雑な文書の整備や専門用語を理解した上での審査対応が必要。加えて、各工程のサプライヤー間でも一貫した管理体制を築く必要があるため、実質的に「組織能力」が問われる。中小企業単独での対応は現実的に困難であり、認証取得がビジネス機会の障壁になっているケースは少なくない。
こうした状況に対し、JTIは「ユニット型」での認証取得を提案する。これは、JTIが認証主体となり、参加企業は1ユニットとしてまとめて認証を取得する仕組みで、企業側は月額5万円~という現実的な費用負担で参画できる。しかも、「教えない・寄り添わない」を標榜し、認証に必要な文書整備や現場対応をJTI自身が担う“代行型”の支援スタイルをとっている。
このスタイルは、一般的なアドバイザリーやコンサルティングとは異なり、JTI側が「現場に入って、実務ごと預かる」ことを前提としている。企業側は最低限の協力で、世界水準の認証を取得できる体制が整う。
認証取得支援にとどまらず、JTIはバリューチェーン全体を視野に入れている。信州大学や京都工芸繊維大学といった研究機関、先端素材メーカーや製品ブランドとの連携を通じて、素材開発・製品企画・販売戦略まで支援可能な体制を構築中だ。JTIの本社が信州大学繊維学部内にあるのも、産学連携による「知」と「現場」の橋渡しを担う拠点としての意味合いがある。
JTIのスローガンは、「We are Cool Manufacturers(製造業はカッコいい)」。認証取得を目的化せず、“日本発”の技術や誠実なものづくりを武器に、世界と対等に戦える仕組みを自ら設計し、届けることを目指す。また、地域の理系人材を信州大学に呼び込み、育て、再び地域に送り出す「カムバックサーモン作戦」も始動中。未来の人材育成とサステナブル産業育成を同時に進める構想だ。
以下、稲垣貢哉JTI社長に設立の意図とそこに至るバックグラウンドについて聞いた。
「認証も、農業も、全部“この子の未来”から始まった」
WWD:JTIを立ち上げようと思ったきっかけは?
稲垣貢哉 ジャパン・テック・イノベーターズ代表取締役社長(以下、稲垣):2023年秋、アメリカで開催された「テキスタイル・エクスチェンジ・カンファレンス」に、JTIに参加している6社の代表とともに参加した。最終日の夕食時に当時2歳だった私の娘も話となり、写真を見せると、誰かがふと「この子が大きくなる頃、うちの会社はどうなっているのだろう」と呟いた。その瞬間、空気が変わり、そこにいた全員が「自分たちの会社のこと」よりも「この子たちの未来に何を残せるか」という話をし始めた。あそこが起点だったと思う。
WWD:稲垣さんには「オーガニックコットンの人」という印象を持っている業界関係者は多いだろう。なぜここに至ったのか、改めて自身キャリアを振り返ってほしい。
稲垣:前職の興和では、生産管理や品質管理の現場にいた。2002年ごろ、オーガニックコットンのプロジェクトが社内で立ち上がることとなり、たまたま私が関わることになったのが始まりである。
WWD:当時は、オーガニックコットンについての理解も限られていた時代である。
稲垣:日本では「肌に優しい」とか「染めてはいけない」といった認識が主流だったが、海外の展示会に行くとまったく異なる光景が広がっていた。2003年にデザイナーのキャサリン・ハムネットが「農薬反対」とプリントされた真っ黒なTシャツを着ていた姿を目にし、大きな衝撃を受けた。日本とのギャップに、「これは何だ?」と思った。
WWD:そこから独自に調べ始めた?
稲垣:当時はインターネットも脆弱だったため、国会図書館に通って農水省の資料を探したり、欧米の有機農業基準を読み込んだりした。興和の祖業は綿布問屋だが、現在の主力は医薬品。そのため、社風も「科学的根拠のないことは言うな」という厳格なもので、「オーガニックは肌に優しい」といった表現は、エビデンスなしには絶対に許されなかった。だから徹底的に調べるしかなかった。海外の認証機関にも自ら電話をかけ、ようやく認証を取得するに至った。
WWD:現在でこそサステナビリティにおいてエビデンスが重視されているが、当時はまだ仕組みも概念も整っていなかった。医薬の基準で繊維を見る機会は貴重だったのでは。
稲垣:そう思う。糸はペルーから仕入れたがそこに至るにも試行錯誤だった。仕入れた認証つきのオーガニックコットンを今治でタオルに、泉大津でブランケットに製造し、2003年11月にオーガニックコットンのタオルを扱うブランド「テネリータ」のショップをオープンした。しかし、最初はまったく売れなかった。「薬品を使っていない、肌に優しいタオルがほしい」と顧客に言われても、「いえ、薬品は使っています」と正直に伝えると売れない。しかし、嘘をつくわけにはいかなかった。繊維製品は薬品ゼロでは作れないからだ。
WWD:名前が知られるようになった転機は?

稲垣:雑誌「メンズEX」の編集者が製品の背景に関心を持ち、深く取材してくれたことだろう。その年のおすすめ商品ランキングにもタオルが車や時計と並んで紹介されていた。それを見た男性たちが買いに来てくれ、そこから家族へ広がり、さらには「男性たちに人気らしい」と知った銀座のママたちがギフト用に大量購入してくれるなど以外な形で広がっていった。「ふわふわで気持ちいい」と製品の良さが伝わり、初めて“本業の技術”が評価されたと感じた。
原点の延長線上にあったJTIの構想
WWD:その後、インドで農業にも挑戦された。
稲垣:興和を退社後、オーガニック農業の本質を学ぶため現地に入った。製造・流通の立場では農業の後継者を育てることはできないと感じ、現場に立つことを選んだ。パタゴニアなどが立ち上げたNPO「テキスタイルエクスチェンジ」の初回から参加し、理事も務めたことで海外とのネットワークが広がり、日本のモノづくりと海外をつなげる可能性も感じている。
WWD:そうした経験が、JTIの支援スタイルにもつながっている。
稲垣:認証も農業も販売も、すべては「未来を守る」という一本の糸でつながっている。だからJTIでは、「教えない、寄り添わない」を掲げている。代わりに、私たちが現場を“丸ごと引き受ける”。それが最も現実的であり、本質的な支援であると考えている。
WWD:JTIはどんな未来を目指しているのか。
稲垣:後継者がいたとしても、継ぎたいと思える産業構造がなければ、その意志はつながらない。だからこそ、今の構造を変える必要がある。6社がユニットを組み、認証を取得し、開発・販売まで進める──この取り組みが、新たなスタンダードの芽になると信じている。
WWD:JTIはどのような存在を目指しているのか。
稲垣:モノづくりに自信を失ってしまった人たちに、「やっていいんだよ」と伝える装置でありたい。自分たちの価値に気づいてもらえる、そんな仕組みにしたい。