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ラフ・シモンズが語る、ファッション業界の裏話とアントワープ愛 「私はただ服が作りたかっただけ」

 ラフ・シモンズ(Raf Simons)が11月21日にアントワープで開催されたイベント「ファッション・トーク(Fashion Talks)」に登壇し、ファッション業界の現状や自身のブランドが独立していることの重要性、有名ブランドで仕事をすることの難しさなどについて語った。

 ラフは1968年1月12日にベルギーのネールペルト郊外で生まれ、現在51歳。大学で工業デザインを学び、“アントワープシックス(Antwerp Six)”の一人であるウォルター・ヴァン・ベイレンドンク(Walter Van Beirendonck)の下でインテリアデザイナーとしてキャリアをスタートさせた。95年に自身の名を冠したメンズウエアブランドを設立。2005年に「ジル・サンダー(JIL SANDER)」のクリエイティブ・ディレクターに、12年には「ディオール(DIOR)」のアーティスティック・ディレクターに就任した。16年に「カルバン・クライン(CALVIN KLEIN)」のチーフ・クリエイティブ・オフィサーに就任したが、18年12月に退任。親会社であるPVHコープ(PVH CORP)との対立が原因だといわれており、「ラフ・シモンズ」で参加した20年春夏パリ・メンズ・コレクションではアメリカに対する怒りを表現したとも解釈できる作品を発表している。

 今回のイベントでも、ラフは「カルバン・クライン」の名前こそ出さなかったものの、「メジャーブランドや大企業で仕事をすることなど考えたこともなかった。アントワープにいるデザイナーたちのように、私はただ服を作りたいだけだ」と話すなど、「カルバン・クライン」時代の体験に基づいていると思われる発言がいくつも飛び出した。「メジャーブランドの場合、誰がデザイナーに就任しようとブランドはその後もずっと続いていく。そうしたブランドの多くではマーケティングや事業の成長率が重視されるが、デザインに加えてそれらの分野も得意だというデザイナーはまれだし、少なくとも私は得意ではない。デザイナーにとっては誰と一緒に仕事をするのかも重要なことなのに、メジャーブランドでは選べないことも多い」。

 クリエイティブ・ディレクターに就任した場合、事態はさらに難しく複雑だという。「私はいくつかのメジャーブランドでクリエイティブ・ディレクターを務めたが、マーチャンダイジングや営業部門のチーム編成にまで関わらなくてはならないこともある。一方で、何もかもがきっちり決まっている中に入っていって、いきなりコレクション作りをしなければならないこともある。私の場合、自分に合っていないチームだと感じることもあった」と明かした。また、大企業の傘下に入ることの危険性についても言及。「自分のブランドの独立性を維持することは非常に重要だ。ジョン・ガリアーノ(John Galliano)の件は忘れることができない」と話した。これは、ガリアーノ自身のブランドがLVMH モエ ヘネシー・ルイ ヴィトン(LVMH MOET HENNESSY LOUIS VUITTON以下、LVMH)の傘下となった後に、ガリアーノが同じくLVMH傘下の「ジバンシィ(GIVENCHY)」や「ディオール(DIOR)」のチーフ・デザイナーに起用されたものの、不祥事を起こして「ディオール」を解雇された際に、自身のブランドのデザイナー職もLVMHによって解任されたことを指している。

 そうした“独立していること”を重視する姿勢は、自身がベルギー出身であることに関係しているとラフは分析する。「若い頃、私はLVMHが多数のメジャーブランドを擁していることや、そうしたブランドにクリエイティブ・ディレクター職があることなど知らなかった。ベルギー生まれの私は、ウォルター・ヴァン・ベイレンドンク、アン・ドゥムルメステール(Ann Demeulemeester)、ドリス・ヴァン・ノッテン(Dries Van Noten)、ダーク・ヴァン・セーヌ(Dirk Van Saene)、 そしてマルタン・マルジェラ(Martin Margiela)が自分のブランドを立ち上げて自由に制作するさまを目の当たりにしてきたし、彼らのようになりたいと思っていた。ドリスとウォルターが同じビルにアトリエを構え、それぞれ全く違う作風でありながらも、デザイナー同士としてコミュニケーションを取っていたことを覚えている。当時はそうしたコミュニティーがあって、あれはとてもいいものだったと思う。私は今でも、自分のブランドのスタッフをファミリーだと思っている」と述べた。

 デザイナーは“ブランドの顔”として表に出ることも多い。これについては、「『ディオール』にいた頃、スタジオでデザインやフィッティングをしている私の様子を取材したい、同席したいという外部からのプレッシャーがとても大きかった。そしてショーの前後にも取材に応じなくてはならない。私はこれが本当に嫌だった。とあるデザイナーがこうしたことを全く苦にしなかったから、それが当たり前のごとく求められるようになってしまった。それを好むデザイナーを批判するつもりはないが、同じことを全員に求めるのもどうかと思う」と、常にメディアの注目を浴びながらもそれを意に介さなかった“モード界の皇帝”こと故カール・ラガーフェルド(Karl Lagerfeld)氏をほのめかすような発言をした。

 最近のファッション業界については、「成功の定義が“いかに事業を成長させたか”という経済的な視点ばかりになってしまった。とてもいら立たしいし、ひどい話だと思う。クリエイティブな人間を、ブランドの店舗数や売り上げ、会社の成長率などで測るべきではない。クリエイティブ面ではひどい出来のコレクションなのに、売り上げがいいからと称賛されるのは間違っている。とはいえ、褒めるところがないから売り上げを褒めているのかもしれないが」と歯に衣着せぬ意見を述べ、観衆から大きな拍手を受ける場面もあった。

 ほかに印象的な発言をいくつか紹介する。「私がキャリアをスタートさせた当時、マルタン・マルジェラ、ヘルムート・ラング(Helmut Lang)、川久保玲がアバンギャルドで新しい作品を次々に発表していた。最近はファッション業界でそうした新しい風を感じることがなくて寂しく思う。むしろ、映画やテレビドラマなどで挑戦的なテーマの作品が増えていて、スタッフと毎日ドラマについて話している」。

 「私がアントワープに越したとき、例の6人(アントワープシックス)のうち一人は私の活躍を恐れるあまり、私がこの街に来たことを怒っていた。しかし、一人は私を心から歓迎してサポートしてくれた。若者は挑戦することを恐れないでほしいし、デザイナーは若い世代の登場を恐れないでほしいと思う。私たちの年代は、若者のせいで時代遅れの間抜けに見えることになるのかもしれないが、そういうものだしね。マルタンとドリスの登場によって、ティエリー・ミュグレー(Thierry Mugler)やジャン・ポール・ゴルチエ(Jean Paul Gaultier)が市場から蹴り出されてしまったのと同じことだよ」。

 「私は昔から、ブランドとつながりたいという気持ちが強かった。デザイナーに会いたいという意味ではなく、その世界観の一部だと感じられるブランドが好きで、たとえ買えなくても感情的なつながりを感じていた。もし金銭的に可能だったら、私は『ヘルムート ラング』しか着なかったと思う。私が女性だったら、『マルタン・マルジェラ』ばかり着ていただろう。その他のブランドはバイヤー的な視点で興味を引かれても、“私のブランド”ではなかった。そのブランドのファンであることを“ギャング”と言ったりもするが、昔はショーを見に行くとその周辺に熱心なファンが集まっていて、『マルタン族だな』とか『ゴルチエ族だな』とすぐに分かったものだ。最近はそうした光景があまり見られなくなったし、たとえ熱烈な『セリーヌ(CELINE)』ファンでもほかのブランドのバッグや靴も持っている。それが悪いことだというわけではなく、時代が変わったのだろう」。

 「私は精神的にいつまでも若々しくありたい。最初はとても面白かったのに、いつの間にか商業主義に染まってしまい、とがった部分がなくなるようなブランドにはしたくない。私は感情を揺さぶるようなものを作りたいと思うし、そうすると(ブランド側が)受け入れる準備ができてない作品になることもある。しかし、そうした作品は変化の波を生み出すだろうし、未来を予兆させるものであるはずだ」。