PROFILE: 秋山亜希/オンワード樫山 第一カンパニー 執行役員

オンワード樫山の秋山亜希氏はこの春に女性としては最年少で執行役員に就任し、同社の主力ブランド「23区」の事業運営の手綱を握ることとなった。20代の頃から前線で実績を重ね、2児の育児を経てなお第一線で活躍する彼女は、まさに「23区」が掲げるペルソナを体現するパワフルウーマンだ。「初めは3年で辞めようと思っていた」と笑う彼女は、入社からもうすぐ4半世紀が経つ。これまでのキャリアや育児との両立、仕事を続ける原動力について聞いた。
WWD:入社当時の話から聞かせてほしい。
秋山亜希・オンワード樫山 第一カンパニー執行役員(以下、秋山):入社したのは2000年代初頭。当時はまだ時代背景もあって、私自身「25歳で寿退社」を夢見ていました(笑)。子供の頃から、私にとってファッションは「一番簡単に人に褒めてもらえる方法」。素敵な服を着れば、それだけで「かわいいね」って言ってもらえる。試験で100点を取るよりも、ずっと簡単に自分を認めてもらえる魔法のようなもの。幼稚園の卒業文集には「ファッションデザイナーになりたい」と書きましたが、中学校に上がる頃にはさすがに難しいと悟って「洋服屋さん」に変えました。就職活動の時も、給料や将来のキャリアステップなんて何も考えていなくて。「大好きなファッションの世界で、3年だけ働ければいいや」というくらいの気持ちでオンワードに入社したんです。
WWD:そこから3年どころか、24年も続いている。
秋山:入社から半年後、ディストリビューターの業務に関わったことが大きな転機でした。どんな服を何枚作り、各店舗にどう配分するかを決める、ブランドの命運を握るポジションです。「この店はこういうお客さまが多いから、このアイテムが売れるはず」――そうやって自分なりに店舗を分析し、仮説を立てて発注をかける。その結果が、最後は全て「数字」として返ってくる。そのシビアでエキサイティングな勝負の面白さに、完全にハマってしまったんです。
WWD:デザイナーに憧れていた少女だったのが、数字とにらめっこの仕事に魅了された。
秋山:自分でもすごく意外でした。現在はディストリビューション機能が東京本部に集約されていますが、当時は各支社がエリア内の店舗への配分を決める仕組みでした。「自分のエリアを、他の地域よりも売ってみせる」「消化率で勝つ」という社内競争が盛んで、すごく燃えましたね。ただ、発注という仕事は、成果が数字として表れるまでに1年以上かかります。その結果が出るのを待っている間に、別の担当ブランドへ異動になり、またイチから新しい仕事が始まって……。そんなサイクルを繰り返しているうちに、すっかり辞めるタイミングを失ってしまい、「あれ? 別に辞めなくていいのかな」と思うようになっていきました。
完全ワンオペ育児と、孤独だった最初の育休
WWD:キャリアを重ねる中、2010年に第一子を出産する。
秋山:当時は今ほど「育児と仕事の両立」への理解が進んでいませんでした。社内も男性社会で育休を取得する人がまだほとんどおらず、子供を産んだら内勤(後方部門)に移るか、そのまま退職する人が大多数を占める時代でした。そんな中で私は辞めずに、営業職のまま復帰したんです。夫が美容師なので、土日祝日は完全に不在。育児は完全にワンオペ状態でした。一方で、私のポジションは週末も出社が必要なケースがあったため、土日のどちらかでお休みをいただく形を取っていました。今振り返れば、かなりアウェイな環境の中で必死に仕事をしていたのだと思います。特に育休中は社会から取り残されたような孤独感があり、精神的にもきつかったですね。
その7年後に第二子を出産するのですが、育児を取り巻く環境は、社内的にも社会的にも良い方向へ変わったことを実感しました。何より助けられたのはSNSの存在です。子供の誕生日が同じ親御さんたちと繋がって、赤ちゃんの写真を見せ合ったり悩みを共有したりできたので、全く孤独を感じませんでした。「育休を楽しめる時代になったんだな」と。今では社内の育休取得率も100%近くになり、本当に時代は変わったなとしみじみ感じます。
WWD:その間、課長、部長へとステップアップ。育児しながらの現場マネジメントは大変だったのでは?
秋山:もちろん大変なこともありましたが、むしろプラスになることの方が多かったですね。子供が生まれる前はかなりストイックに、自分を追い込んで働いていました。でも、自分の思い通りには決して動いてくれない子供と真正面から向き合ったことで、「世の中には、自分と全く違う考え方をする人がたくさんいるんだ」ということを、身をもって学べたんです。その経験のおかげで、職場でも部下に対して「なんでこう考えてくれないの?」とイライラせずに済むようになりました。また、子供の急な発熱で自分が帰らなければいけない状況を経験したからこそ、周りのメンバーの急な事情に対しても、より寛容になれました。ただ、自分自身がせっかちで決断のテンポが速い分、部下への言葉が少しきつく聞こえてしまうことがあると自覚しているので、そこは常に気をつけなければいけないなと思っています。
ブランドの熱意を伝え、恩返しを
WWD:「23区」をどのようなブランドにしていきたい?
秋山:私が25歳の時、私に自信と力を与えてくれたのが「23区」の服でした。そして46歳になった今でも、私の背筋をしゃんと伸ばしてくれる。パターン(型紙)が本当に美しくて、体型が異なる人が同じサイズを着ても、それぞれがキレイに見える。これは本当に凄いこと。これほど愛されているブランドは、そうそう無いと自負しています。一方でブランドの歴史が長い分、店舗ごとに内装がバラバラで、どの店を見るかでお客さまのブランドイメージがかなり違うことが課題でもあります。この春、青山に路面店「サロン 23区」をオープンしました。ここから「23区」というブランドがこれからの時代に体現したいことをお届けできたらと思っています。
先日入社35年のベテランから、去年入ったばかりの若手まで全員が集まって話した時、自然と「なんだか部活みたいだね」という言葉が出てきたんです。すごく本質を突いているな、と思いました。全員が「優勝」というひとつの目標を目指して、みんなで声を掛け合いながら練習を頑張る。そんなピュアな熱量がいいと思うんです。展示会でアクセサリーのカスタムオーダー企画を実施したところ、なんとオーダーの半分以上が社員だったことも(笑)。私自身も、先日の休みに娘を美容院に連れて行った際、待ち時間に近くの店舗をぐるぐると回っていたら、娘に「ママ、またお仕事?」と呆れられてしまって。
WWD:社内のブランド愛もすごい、と。
秋山:だからこそこの熱量を、もっともっと外へ伝播させていきたい。そして、その熱量を最後にお客さまへと届けてくれる媒介となるのが、店頭に立つファッションスタイリスト(販売員)の皆さんです。私が新入社員だった頃、まだ教育体制が今ほど整っていなかった会社の中で、アパレルの仕事のイロハを全部教えてくれたのは現場のスタイリストの先輩方でした。元々は現場の仕事そのものが面白くて夢中になっていただけで、私自身には出世欲なんて全くありませんでした。でも今、こうしてブランドのトップに立ったからには、現場の皆さんが「もっとこの会社で働き続けたい」と思えるような、より良い環境や待遇を還元していきたい。今の私にとっては、その「恩返し」の気持ちが一番の原動力になっています。
WWD:五月病や理想とのギャップに悩める新社会人の皆さんへメッセージを。
秋山:3年で辞めるつもりだった私ですが、今はもう「クビにならない限りは絶対に辞めない」と決めています(笑)。なぜなら、「辞めようか、どうしようか」と悩んでいる時間が、人間にとって一番エネルギーを消耗して疲れるから。仕事をしていると、嫌なことや理不尽なことは定期的に必ず起きます。その都度「辞めるべきか」と考えていたら、心が持たない。でも、「辞めない」と最初に決めてしまうと、思考が「じゃあ、どうやってこの会社を良くしていくか」というポジティブな方向へシフトするんです。目先の小さなトラブルにとらわれなくなるし、余計なマイナス感情に振り回されずに済みます。
それに、仕事が本当の意味で面白くなるまでには、少し時間がかかるものです。私も最初の1〜2年は、自分の成果がすぐには目に見えない歯がゆい仕事を続けていました。それでも、踏みとどまって向き合い続けたからこそ、今があります。焦る必要はありません。でも、自分で一度「やる」と決めたことには、ぜひ粘り強く向き合い続けてみてほしいですね。