日本が誇る「ジャパン・ラグジュアリー」の代表格と言える存在が、1688年創業の京都西陣の細尾、養殖真珠を普及させパールジュエリーの常識を塗り替えたミキモトだ。それぞれ脈々と受け継いできた歴史や伝統を強みにしながら、常に時代の潮流に合わせてビジネスを更新し、時代の先端を走っている。(この記事は「WWDJAPAN」2024年1月15日号からの抜粋です)
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ミキモト
世界的ジュエラーであるミキモトの創業は1899年。日本ならではの職人芸を守りながら、ジュエリーの既成概念に挑戦を続ける。近年は「コム デ ギャルソン(COMME DES GARCONS)」とのセンセーショナルなコラボで話題をさらった。
1893年、ミキモト創業者の御木本幸吉は、故郷の三重・鳥羽の海でアコヤ真珠の養殖を世界で初めて成功させる。養殖真珠の普及に尽力し、天然真珠しかなかったジュエリー業界の常識を塗り替えた。20世紀前半からロンドン、パリ、ニューヨークなど海外に進出。欧風の製作技術やデザイン、日本の伝統技術や美意識を掛け合わせた「ミキモトスタイル」を確立した。
モノ作りは創業当初から、生産(真珠の養殖)からデザイン、製造まで一貫体制。ミキモトには約20人のデザイナーが、自社工場のミキモト装身具には約100人の職人がいる。モノ作りの現場の高齢化と担い手不足が言われる中で、美術系大学出身の熱量ある若者がミキモトの門戸を叩く。
デザイナーと職人は対等な目線で対話し、意見を交換しながらジュエリーを作り上げる。「同じデザイン画でも、職人がどう地金を切り、どう組み立てるかで仕上がりは全く違う」(ミキモト広報の武藤圭氏)。
モノ作りの伝統を重んじながら、ジュエリーの既成概念にも挑戦する。象徴的な取り組みが、2020年にスタートした川久保玲の「コム デ ギャルソン」との協業だ。第1弾、第2弾ともにモデルには男性を起用し、「女性のためのもの」というパールジュエリーの常識に挑んだ。
シルバーのチェーンやブランドロゴをあしらったり、セーフティーピンやスタッズをかたどったパーツをドッキングしたりと、パールジュエリーのイメージを裏切る無骨な仕上がり。発売当時、欧米ではすでにエイサップ・ロッキーやハリー・スタイルズといった男性セレブがパールを着用する流れがあったことから、「ミキモト×ギャルソン」も国内外の男性の間で人気に火がついた。21年のグローバル広告のメインビジュアルでも、初めて男性モデルを起用した。
一連の取り組みにより、ファッションコンシャスな客層や男性客がグローバルで増えている。売上高の構成では国内店舗が海外を上回るが、「日本の店舗においても、海外からの訪日客の購入割合が非常に高い」。売れ筋も変化している。以前は普遍的なデザインのパールネックレスやピアスが中心だったが、一点もののハイジュエリーやエッジの効いたデザインのものの引き合いが高まっている。また、急激に人気が高まっているのがイヤーカフ。「単価は2万〜3万円からと小さいが、値ごろなアイテムから挑戦したい若いお客さまの間口になっている」。
創業者の御木本幸吉は創業時、明治天皇に「世界中の女性の首を真珠で飾ってご覧にいれます」と誓ったという。その言葉通り、かつて皇室をはじめ特別な人たちのための装身具だったパールジュエリーは、現在は多くの女性にとって身近な存在になった。「これからはより一層、パールジュエリーが性別、世代、国籍を超えて、世界の誰もが楽しめる物と示していきたい」。