アメリカ中西部の田舎に暮らす73歳の老人アルヴィン・ストレイトが、長らく疎遠だった兄が心臓発作で倒れたことを知り、時速8kmのトラクターに乗って560km離れた兄の家を目指す——。1994年、ニューヨークタイムズ紙に掲載された驚きの実話から生まれた心揺さぶる名作映画「ストレイト・ストーリー」の4Kリマスター版が、1月9日に公開される。
監督は言わずと知れたカルトの帝王ことデヴィッド・リンチ。デビュー作の「イレイザーヘッド」(77)に始まり、TVシリーズ「ツイン・ピークス」(90〜91)や映画「マルホランド・ドライブ」(01)など、シュルレアリスムに魅せられた特有の映像表現により不穏で蠱惑(こわく)的な世界をつくり続けた映画界の伝説である。そんな難解で狂気的な作品をいくつも世に送り出してきたリンチ監督が、「愛」と「赦し」をどこまでも真っ直ぐに描き、リンチ作品で初めて一般向けのレイティングで公開され、大絶賛&大ヒットを果たした後に数々の映画賞を受賞した“異色作”。それが「ストレイト・ストーリー」(00)なのだ。また今回の4Kリマスターはリンチ監督が生前に自ら監修したもの。
本作の脚本を手掛けたのは、数多くのデヴィッド・リンチ作品の編集を手掛け、公私にわたるパートナーだったメアリー・スウィーニー。本作では脚本、編集に加え、プロデューサーとしても参加している。そんな彼女に本作の出発点、リンチ監督との仕事や彼の創造性について、彼の死から一年経った今の率直な想いについて伺った。
事実をもとにした映画「ストレイト・ストーリー」
——アイオワ州の農村部に暮らす73歳のアルヴィン・ストレイトが、時速約8kmのトラクターに乗って560km離れた場所に暮らす兄のもとへと旅に出た——。1994年のニューヨークタイムズ紙に掲載されたそんな記事を読んだことがきっかけで、あなたはこの物語の脚本を書き始めたと聞きました。まずはその記事を初めて読んだときの感想から伺えますか?
メアリー・スウィーニー(以下、スウィーニー):その記事を読んで、アルヴィンに強く共感したんです。というのも彼は私の故郷であるウィスコンシン州で見てきた周囲の人々とよく似ていたから。私の父も彼と同じ農家で、祖父や叔父もそう。みんな口数が少なく、皮肉っぽいユーモアの持ち主でした。アルヴィンも頑固だけどユーモラスで優しい——いわば典型的な中西部の田舎者です。そんな彼は将来の展望も貯金もない、さらには視力もほとんど失われている。それでも彼は兄にふたたび会うために、トラクターというとんでもない方法で旅に出る。あの地域では誰もがトラクターが大好きだから。そんな彼の可笑しくも切なく、勇気にあふれる旅路にとても惹かれたんです。
——事実に基づいた作品ということで、脚本を執筆する前にどのようなリサーチを行ったのでしょうか?
スウィーニー:権利を得るまでに時間がかかったので、正式にリサーチを始めたのは1998年になってからでした。というのも1994年には彼の記事を読んで興味を持っていたのですが、その後アルヴィンが亡くなったため、家族を探して映画化の許可を撮る必要があったんです。そして98年の春、ついに映画化の権利を取得した私は当時のニュース記事や取材資料を基に、彼が実際に通ったルートについて調べました。さらには彼の故郷であるアイオワ州ローレンスを訪れ、彼を知る多くの人々に会って話を聞きました。また6人か7人いた彼の子どもたちにも会い、丸一日かけて思い出話を聞きました。彼はすでに亡くなっていたので、それが彼について直接知るための最も貴重な情報源だったんです。
その後、私たちは実際のルートを車で走りました。北アイオワの平坦な土地からミシシッピ渓谷、そしてウィスコンシン州南西部のドリフトレス地域(氷河による浸食がない地域。アメリカ中西部で見られる)へと地形が変化していくのを体験しました。それは物語を理解する上で非常に重要な助けとなりました。
——デヴィッド・リンチ監督が初めて脚本を読んだときのことを聞かせてください。
スウィーニー:私と共同脚本のジョン・ローチは98年4月にリサーチを行った後、離れた場所に住みながらも電話で話し合いながら脚本を書き上げ、6月にデヴィッドに渡しました。彼の反応は本当に素晴らしいもので、「心が動かされた」とすぐに脚本を気に入ってくれました。彼にはその前からアルヴィンの話をしていたんですが、4年間もの間「興味がない」と言い続けていたのに、脚本を読んだ後は「ぜひとも撮りたい」と引き受けてくれたんです。
デヴィッド・リンチ監督との仕事
——本作では脚本・プロデュースに加え、他の作品同様編集も担当されていますね。他のリンチ監督作とはかなり様相が違う作品ですが、どのように編集作業を進めていったのか教えてもらえますか?
スウィーニー:「ストレイト・ストーリー」はとても静かでシンプルな作品なので、実は他の映画よりもずっと編集が難しかったんです。デヴィッドの映画は基本的にアクションとは思われてはいないですが、他の作品はアクション部分が意外とある。でもこの作品にはそれがなく、最小限の動作を通じて観客の関心を持続させなければなりませんでした。そのための鍵となったのが、(アルヴィン・ストレイトを演じた)リチャード(・ファーンズワース)が持つ、美しい顔立ちと最小限の表情で多くを語る驚くべき能力でした。10年間話していない兄弟と和解するための、何週間もかけた最後の旅。親切な人々と出会い、ささやかな交流を重ねていく。それが彼の表情を通じても語られていくのです。
またこの映画のテンポには、多重露光の場面転換が必要不可欠でした。本作は私が初めてAvid(編集ソフト)を使った作品だったんですが、簡単に映像を重ねられることに本当に感動したんです。そのおかげで絵を描いたり、彫刻を彫るように編集ができた。それが彼の孤独や頑固さ、そして人との優しい交流を深く表現する助けになりました。そして彼の人物像とその感情的・精神的な旅路が、最終的に編集のリズムを決定づけていったのです。
——リンチ監督の作品で、初めて編集として参加されたのが「ツイン・ピークス」だそうですね。日本でも人気の高いシリーズですが、当時の出来事で記憶に残っていることはありますか?
スウィーニー:私がデヴィッドと初めて共同作業したのは「ツイン・ピークス」シーズン2の7話、ローラ・パーマー殺害の真相が明らかとなるエピソードです。私は唯一の編集者として参加したのですが、その当時のことは今でも鮮明に覚えています。編集できることを心底光栄に感じる見事なエピソードで、特にそう感じたのはロードハウスでのラストシーンと別の場所で起きている殺害シーンを交互に見せるパートでした。脚本に沿いながら、彼が渡してくれた素材を直感的に編集していったんです。映像の美しさ、俳優たちの演技、その全てが素晴らしかった。あの場面を編集しているときは、感情的に没入していて、まるで音楽を作曲しているような感覚でした。そして編集を終えたときに「完璧だ!」と感じたんです。そこでデヴィットと私は、お互いの創造的な相性の良さや感覚的な類似点、それが生産的な関係になり得ることをはっきり認識しました。そのエピソードには他にも大好きなシーンはたくさんありますが、そのシーンを編集したことこそが長きにわたるデヴィッドと私のパートナーシップを決定づけたのだと思います。
——リンチ監督との仕事は、他の監督と比べどのように異なりましたか?
スウィーニー:デヴィッドと仕事をした人は皆、口を揃えて「他の監督と全然違う」と言います。最近ロサンゼルスで開催された試写会でナオミ・ワッツと話したのですが、彼女も「デヴィッドと出会って人生が変わった」と語っていました。「マルホランド・ドライブ」に出演するまでの彼女は、オーディションを受けてもうまくいかない時期が10年間続いていて、俳優業を諦めかけていたんです。でもそんなときにデヴィッドと仕事をしたことで人生が一変した。そんな風に、デヴィッドは誰にとっても特別な存在です。彼は自らの仕事を愛していて、我々はその情熱を持つ監督と働くことに喜びを感じるんです。
また彼の作品に参加する人々は皆、それぞれの技術やアイデアを彼のビジョンに持ち寄っています。彼はとても創造的で撮りたいものが明確でありながらも、他のアイデアに耳を傾ける柔軟性と受容性を兼ね備えた人物でした。そんな監督は私が知る限り他にいません。
デヴィッド・リンチの創作源は?
——リンチ作品を観ると、いつもその創造性に驚かされます。あなたの視点から見て、デヴィッド・リンチのアイデアやインスピレーションの源は何だったのでしょうか。
スウィーニー:デヴィッドは「芸術を形作るアイデア」だけでなく、「芸術を作る人生」そのものを深く愛していました。彼のそばにいるのは本当に刺激的でした。彼は常に何かを創作していたんです。編集室で一緒に作業するのは、編集を終えた作品を一緒に観てノートを取り合うときだけでした。それが終わったら彼はすぐに出ていくんです。なぜなら彼はこちらが作業する合間にも絵を描き、家具を作り、写真を撮り、文章を書いていたから。まさに“アートマシーン”でした。
その原点までは分かりませんが、それは彼が子どもの頃から抱いていた夢だったのだと思います。生涯その生き方を貫き続けた。亡くなる直前にも、パソコンでちょっとしたAIアートを作成していたくらいです。本当に一度も止まることがなかった。彼と人生を共にした家族や私たち仲間にとって、彼は常に尽きることのないインスピレーションの源でした。
——リンチ監督が編集室にいることは少なかったとのことですが、編集の方向性やアイデアについて事前に2人で話し合うことはあったのですか?
スウィーニー:事前に話し合うことは一切ありませんでした。私も疑問を持つことがなかったので。脚本があり、素材があり、そして私はデヴィッドをよく知っていた。私たちは直感的な部分で完全に息が合っていたので、言葉を交わす必要がなかったんです。例えば「マルホランド・ドライブ」の脚本に「2人の老人がドアの下の隙間から這って出てくる」と書かれていても私は何も聞きませんでした。ただ一刻も早くその映像を観て、編集したいと思うだけでした。デヴィッドも物語について多くを説明するタイプではありませんでしたしね。
——リンチ監督の作品に欠かせないのがアンジェロ・バダラメンティさんの音楽ですよね。彼とリンチ監督はどのように音楽を製作し、作品と組み合わせていったのでしょうか?
スウィーニー:デヴィッドとアンジェロもまた、質問や説明を必要としない関係でした。デヴィッドと俳優たちとの関係も同様です。デヴィッドはとても直感的な方法で仕事を共にしていました。映画の脚本ができる前から2人で一緒に座って、シンセサイザーで作品の空気感を表現する音楽の断片を作っていたんです。デヴィッドは要求を伝える方法が独特で「もう少しこっち」「もう少しあっち」「もっとロシアっぽく」と言いながら音楽の方向性を定めていました。そうやって共同で生み出した音楽の断片をアンジェロは全てファイルに保存し、後にオーケストラを起用してスコアとして仕上げるのですが、それも基本的に映像に合わせて音楽をつくるという方法は取っていなかったと思います。
「ブルー・ベルベット」までミキシングはアラン・スプレットが担当していましたが、それ以降の作品ではデヴィット自身がポストプロダクションにおける音響デザインとミキシングに深く関与するようになったんです。彼は音の速度を遅くしたり、逆再生したり、効果音と音楽をミックスしたり、複数の音を重ねたりしていました。興味深いことに、それは私が編集作業でやっていたこととよく似ていました。私は場面を重ねたり、二重露光による場面転換やフェードイン&アウトの演出で映画のリズムをつくる。その感覚がデヴィットと私がとても近いんだと、彼の音楽の使い方を見て改めて感じました。
アンジェロがテーマ曲を用意し、それをデヴィッドがミキシングで様々な形にして活用するんです。例えば「ストレイト・ストーリー」にはシシー・スペイセクのテーマや移動シーンに使われるロード・ミュージック風の音楽がありました。ただそれは編集段階では映像と組み合わせることはなかったです。本格的に音楽と重ねるのはミキシングの段階だったので。
注目している映像作家は?
——リンチ監督は現在台頭している映画作家の多くに多大な影響を与えていますよね。そんなリンチ監督を間近で見てきたメアリーさんが注目している現代の映像作家や作品を教えてください。
スウィーニー:先日ヨアキム・トリアー監督の「センチメンタル・バリュー」(日本では2月20日公開)を観たんですが、本当に素晴らしい作品でした。彼は感情的な物語を紡ぎ、それを織り交ぜる能力にとても長けていますよね。テンポやバランスも完璧で、深く心を揺さぶられる彼ならではのストーリーテリングだと感じました。また一昨年に観たジョナサン・グレイザー監督の「関心領域」も素晴らしかったです。さらに新鋭で言えば、ロサンゼルスで活動するカリル・ジョセフという映像作家ですね。美術館で上映される短編映画をよく製作している優れた監督で、25年には初の長編「BLKNWS: Terms & Conditions」を撮りました。パッと思い浮かぶのはこの3人ですね。
——リンチ監督が逝去されてから早くも一年が経ちますね。今の率直なお気持ちをお聞かせ願えますか?
スウィーニー:彼の死は私にとってだけでなく、皆にとっても大きな変化でした。まったく予想していなかった訳ではないですが、物事の有限性を改めて実感しました。その喪失が世界中に与えた衝撃は計り知れません。でも彼は今も私たち——家族や作品の中だけではなく、彼の創造性に触れた世界中の人々——の中に生きています。彼は本当に多くの人々の人生に影響をもたらした。その事実は今もこの先も変わることはありません。
◾️「ストレイト・ストーリー 4Kリマスター版」
1月9日から全国公開
出演:リチャード・ファーンズワース シシー・スペイセク ハリー・ディーン・スタントン
監督:デヴィッド・リンチ
製作:アラン・サルド メアリー・スウィーニー ニール・エデルスタイン
製作総指揮:マイケル・ボレア ピエール・エデルマン
脚本:ジョン・ローチ メアリー・スウィーニー
撮影:フレディ・フランシス
美術:ジャック・フィスク
編集:メアリー・スウィーニー
衣裳:パトリシア・ノリス
音楽:アンジェロ・バダラメンティ
配給:鈴正 weber CINEMA CLUB
提供:weber CINEMA CLUB
1999年/アメリカ/111分/スコープサイズ/カラー/DCP/原題:The Straight Story/G
©︎1999 - STUDIOCANAL / PICTURE FACTORY - Tous Droits Réservés.
https://straightstory.jp/



