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【追悼】デヴィッド・リンチ、観客を魅了したその作家性を作品から辿る

映画監督、画家、ミュージシャンなど、さまざまな顔を持つデヴィッド・リンチ(David Lynch)。その作品はどれも謎めいたリンチ・ワールドに通じる扉だ。これほど多くの扉を持ったアーティストも珍しいが、その不思議な世界の魅力をひも解くにはリンチの経歴を知っておく必要がある。

リンチは1946年1月20日にアメリカのモンタナ州ミズーラに生まれた。そこは後に映画「ブルー・ベルベット」(86年)で描かれるような庭がついた美しい家々が並ぶ絵葉書のような街で、絵を描くことが好きだったリンチは画家になることを夢見るようになる。その一方で、映画「オズの魔法使い」(39年)を観てファンタジックな映像に魅了された。やがてリンチはボストンの美術学校で本格的に絵を学んだが、学校や街になじめず引きこもり状態に。ヨーロッパ留学を試みるが2週間で帰国してフィラデルフィアの美術学校に通い始める。それがリンチにとって転機になった。

建ち並ぶ巨大な工場。そこから立ち上る煤煙。夜になると真っ暗になる通り。工業都市の重苦しい景観は、フランシス・ベーコンを愛するリンチにインスピレーションを与えた。そして、同級生と結婚したリンチは印刷の仕事をして家族を養い、犯罪率が高い危険な地区に家を購入。そこでリンチは強盗に遭い、車を盗まれ、暴力に脅かされながら暮らした。のちにリンチは「あの街が私の人生に最も大きな影響を与えた」と語っているが、彼の作品に工場や機械が度々登場し、暴力や犯罪が物語に影を落とすのはフィラデルフィア時代の影響だ。

リンチの作家性

やがてリンチは自分の絵を動かしてみたいという好奇心から短編アニメを制作する。それが映像作家としての出発点だった。リンチはロサンゼルスに引っ越して映画学校で映画を学び、自主制作で映画を作り始めた。そして、リンチが注目を集めるきっかけになったのが初めての長編「イレイザーヘッド」(77年)だった。

廃墟のような家に住む青年、ヘンリーが、恋人が生んだ異形の子どもと暮らす様子を描いた本作は、現実と妄想を行き来するリンチ・ワールドの原型。そこにはフィラデルフィアでの生活や今は映画監督となった娘のジェニファーの誕生など、個人的な体験が色濃く反映されている。本作は映画館で深夜上映されると口コミで大ヒット。「エル・トポ」(69年)、「ピンク・フラミンゴ」(72年)、「ロッキー・ホラー・ショー」(75年)などと並ぶカルト映画の新たな傑作として評価され、リンチの名前はマニアックな映画ファンの間で知れ渡った。その才能が認められて「エレファント・マン」(81年)で商業映画にデビュー。リンチの作品の中で最も正攻法で制作された本作はアカデミー賞8部門にノミネートされ、日本でも大ヒットした。「イレイザーヘッド」から続く「異形のもの」に対するリンチのこだわりが本作では「涙の感動作」を生み出した。

「エレファント・マン」を成功させたリンチのもとに、思いがけない仕事が舞い込む。なんとジョージ・ルーカスから「スター・ウォーズ/ジェダイの復讐(現在のタイトルは「ジェダイの帰還」)」の監督をオファーされたが、リンチは「興味がない」と断り「デューン/砂の惑星」(84年)を監督した。この2作を天秤にかけていたというだけで、当時リンチがいかに注目されていたかが分かるが「デューン/砂の惑星」は興行的に失敗。しかし、その次に撮った「ブルー・ベルベット」でリンチの作家性が大きく花開いた。

故郷の町、ランバートンに帰省した大学生のジェフリー。空き地で切り落とされた耳を発見したことから、ジェフリーは異様な犯罪に巻き込まれていく。SMや殺人といったセンセーショナルなトピックを通じて、リンチは日常に潜むセックスや暴力を美しい映像で浮かび上がらせて観客に衝撃を与えた。子どもの頃に暮らした街の美しさ。フィラデルフィアで体験した犯罪の恐ろしさがアメリカの光と影となって、この作品の悪夢的なイメージを生み出している。映画の冒頭で手入れされた芝生が映され、それがアップになると土の中で無数の蟻が蠢いているが、美しいものの背後に潜むグロテスクさ。その強烈なコントラストは、その後のリンチ作品のテーマの一つになった。

観客はリンチ作品の謎解きに夢中に

「ブルー・ベルベット」はアメリカで賛否両論を巻き起こし、リンチは「カルト映画の帝王」として熱狂的なファンを生み出した。そして、一つの事件をきっかけに平和な街の隠された秘密が露わになる、という「ブルー・ベルベット」の構造をテレビ・シリーズで展開したのが「ツイン・ピークス」(90〜91年)だ。田舎町のツイン・ピークスで、ローラ・パーマーという美しい少女が何者かに殺される。先が読めない犯人探しと個性的なキャラクターが繰り広げる日常のドラマが融合した本作は、これまでのテレビ・ドラマにはなかったユニークな作風が人気を集めてエミー賞を受賞。劇場版「ツイン・ピークス/ローラ・パーマー最期の7日間」(92年)や続編「ツイン・ピークス The Return」(2017年)も作られた。「ツイン・ピークス」シリーズの魅力は次々と生まれる謎にある。不可解で魅力的な謎が物語の推進力になるリンチの作風が、この時期から本格的化していった。こうした謎は計算ではなく、リンチの無意識から生み出されたものだった。

73年から毎日2回、リンチは超越瞑想を実践していて、瞑想を通じて作品のアイデアを得たりストーリーを作り出してきた。ビートルズも学んだと言われる超越瞑想はインドで太古から伝えられてきた瞑想法で、マントラを唱えることで意識の深みに到達するという。60年代には、ドラッグを使わずにトリップできる手法としてヒッピーやミュージシャンの間で行われていた。「ツイン・ピークス」のFBI捜査官、クーパーが夢を手掛かりに捜査するのはリンチの創作活動のようなもの。リンチの映画では夢が重要な役割を果たすが、リンチは次第に夢の中に迷い込むようなシュールレアリスティックな作品を撮り始める。

男女の逃避行に「オズの魔法使い」のモチーフを取り入れ、血まみれの寓話のように仕上げてカンヌ国際映画祭でパルムドールを受賞した「ワイルド・アット・ハート」(90年)。謎めいたビデオテープが届けられたことをきっかけに、身に覚えがない妻殺しの容疑者にされてしまうジャズ・ミュージシャンを描いた「ロスト・ハイウェイ」(97年)とシュールさは増していった。そして、ハリウッドを舞台にした「マルホランド・ドライブ」(2001年)では、記憶を失った女性、リタと女優の卵のベティの夢とも現実とも分からない愛憎劇を描いてカンヌ国際映画祭の監督賞を受賞。リンチはアメリカを代表する監督として揺るぎない地位を得る。何が起こっているのか分からない、説明がつかないリンチの作品が、それでも観る者を夢中にさせたのは、セックスや死の匂いを漂わせたリンチの謎があまりにも魅力的だったからだろう。観客はリンチ作品の謎解きに夢中になった。

ファッションや音楽への影響

リンチが生み出す映像も観客を酔わせた。1950年代のフィルムノワール(犯罪映画)を思わせるシックな美術や衣装。壮麗な建物。いわくありげな美女たちなど、映像にはリンチの美意識が息づいていた。その官能的な映像美はファッション界からも注目を集めて、リンチは「カルバン・クライン」、「イヴ・サンローラン」、「グッチ」、「ディオール」など有名ブランドのCMを制作。アニエス・べーは「マルホランド・ドライブ」の衣装を手掛け、「コム デ ギャルソン」は2016年春夏のコレクション、「ブルー・ウィッチ」のショーで「ブルー・ベルベット」のサウンドトラックを流した。

また、リンチは音楽の使い方も巧みで「ブルー・ベルベット」ではボビー・ヴィントン「ブルー・ベルベット」やロイ・オービソン「イン・ドリームス」といったオールディーズを効果的に使用。挿入曲「愛のミステリー」を歌ったジュリー・クルーズは、その後、「ツイン・ピークス」に提供した曲でブレイクする(歌詞はリンチが手掛けた)。「ワイルド・アット・ハート」からはクリス・アイザック「ウィキッド・ゲーム」がヒット。「ロスト・ハイウェイ」のサントラには、マリリン・マンソン、ナイン・インチ・ネイルズ、スマッシング・パンプキンズなどオルタナ系のバンドが曲を提供した。「ブルー・ベルベッ」』以降、ほとんどのリンチ作品のサントラを数多く手掛けた音楽家、アンジェロ・バタラメンティの存在も重要だ。

ミュージシャンにリンチのファンは多く、「イレイザーヘッド」に衝撃を受けたデヴィッド・ボウイは「ロスト・ハイウェイ」に曲を提供し、「ツイン・ピークス/ローラ・パーマー最期の7日間」に俳優として出演。「ロスト・ハイウェイ」にはマリリン・マンソンが、「ツイン・ピークス The Return」にはナイン・インチ・ネイルズが出演している。またデュラン・デュランがドキュメンタリー映画「デュラン・デュラン:アンステージド」(11年)の監督にリンチを迎えたり、X-JAPANがミュージック・ビデオを依頼したりとリンチは音楽シーンにも大きな影響を与えた。そんな中、リンチは2001年から本格的に音楽活動をスタート。定期的に作品を発表し、16年にはキュレーションを務めた音楽フェス、フェスティバル・オブ・ディスラプションを開催した。

映画や音楽活動に加えて、画家として個展を開くなどジャンルを超えて作品を発表してきたリンチ。その独特のスタイルは「Lynchian(リンチアン)」という言葉を生み出したが、シュールレアリズム的手法とアメリカ的なメロドラマやサスペンスを融合させたリンチの作品は、観客の想像を刺激していくつもの解釈(物語)を生み出すプリズムだった。あと5日で79歳の誕生日を迎える25年1月15日にリンチはこの世を去ったが、リンチが生み出した奇妙で美しい夢は今も人々を魅了し続けている。

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