「バレンシアガ(BALENCIAGA)」が7月9日にパリで開いたクチュールショーは、とてもエモーショナルなものだった。それは、10年間アーティスティック・ディレクターを務めてきたデムナ(Demna)による同メゾンでの最後の仕事だったから。おなじみの会場となったジョルジュ・サンク通り10番地に構えるクチュールサロンには、彼の母親をはじめとする親族、アントワープ王立芸術アカデミー時代の恩師や友人なども多く集まり、いつも以上にアットホームな雰囲気に包まれていた。そんな中行われたショーのサウンドトラックは、過去10年間にデムナが描くビジョンの実現を支えてきたチームメンバーの名前を読み上げたもの。そこには、彼の感謝の気持ちが込められている。
創業者への敬意とデムナのコードを織り交ぜた集大成
ショーは、テーラリング技術を生かした構築的なロングトップスとフルレングススカートのミニマルなドレススタイルからスタート。その後は、前傾したパワーショルダーとカールしたチューリップ型のラペルが印象的なスーツなど、ウィメンズのテーラードアイテムが続く。そして目を引いたのは、創業者クリストバル・バレンシアガ(Christobal Balenciaga)へのリスペクトを込めたハウンドトゥース柄のスカートスーツ。彼の元でハウスモデルを務めたダニエル・スラヴィック(Danielle Slavick)が1967年に着用したアンサンブルを再現したもので、7000時間にも及ぶ刺しゅうで柄を描いた大作だ。スラヴィックは、デムナのラブコールで2022年のクチュールショーにモデルとしても登場していたが、創業者を実際に知る彼女と出会い、そして彼女に認められたことがデムナに自信をもたらしたという。
また今回のコレクションでは、ニットをメディチ家の装いから着想した高い襟で仕上げたり、トレンチコートをドレスのように仕立てたり、レザーパンツとブーツを一体化させたりと、自身がこれまでに確立してきたデザインの応用も多出。極めて軽量のテクニカルシルクで作ったボンバージャケットからタフテッド刺しゅうによるトロンプルイユで表現したコーディロイ風パンツまで、デムナのクチュールの特徴の一つであるカジュアルウエアの再解釈も見られた。
デムナ期を象徴する顔ぶれが登場
ランウエイには、過去のショーでもモデルを務めたことのあるキム・カーダシアン(Kim Kardashian)やPPクリット(PP Krit)といったアンバサダーも登場した。デムナにとってハリウッドの黄金時代は尽きることのないインスピレーション源であり、キムは女優エリザベス・テイラー(Elizabeth Taylor)へのオマージュとして、映画「熱いトタン屋根の猫」の衣装をイメージしたシルクのスリップドレスとフェザーの刺しゅうを全面にあしらったミンク風のコート、ジュエリーデザイナーのロレイン・シュワルツ(Lorraine Schwarz)によるカスタムメードのハイジュエリーを着用。そのほか、マリリン・モンロー(Marilyn Monroe)にヒントを得た黒のスパンコールガウンや、社交界のデビュタントのようなテクニカルオーガンジー製のプリンセスドレスも披露された。
一方、PPクリットは、ナポリにある4つのテーラーと共に開発したアンコン仕立てのスーツをまとった。これは、ボディービルダーの体をもとに“ワンサイズ・フィット・オール”のアイデアで作られたもの。筋骨隆々から華奢まで異なる体型のモデルが着用することで、「衣服が体を定義するのではなく、体が衣服を定義する」という考えを表現している。
そしてラストルックは、16-17年秋冬のデビューショーでもオープニングを飾ったデムナ期の「バレンシアガ」を象徴するエリザ・ダグラス(Eliza Douglas)がまとうシームレスなギュピールレースのガウン。22年のクチュールも思い起こさせるミニマルで彫刻的なシルエットは、帽子制作の技術を応用して作られたものだ。
「クチュールと現実世界の関連性を生み出したい」
21年にクチュールコレクションを復活させて以来、先を見据えるデムナは創業者と現代のつながりを見出しつつも、クチュール界のしきたりにとらわれることなく、観るものに驚きを与えてきた。Tシャツやデニムなどの日常着やテクニカルな素材のクチュールへの昇華、アーティストが油彩で描くアートワークや精巧なトロンプルイユといった手仕事の取り入れ方、熱処理やアルミニウムを挟んだ生地で作る独創的なシルエットなど、例を挙げればキリがない。
そんなこれまでの4回に比べると、今回のコレクションはよりクリーンで洗練されたスタイルに重きを置いたものであり、見た目のインパクトは控えめだったかもしれない。ただ、今回のコレクションを通して探求したのは、彫刻的かつ精緻な構造でありながらミニマルで、軽やかさや快適さを表現すること。メンズのテーラリングは現代人のニーズに合うようにシャツのような着心地で仕上げ、象徴的なアワーグラスシルエットを生むコルセットも今回はボーンを用いずシェイプウエアを発展させたような構造で作り上げている。そんな軽やかさや快適さは、実際に袖を通す顧客だけが身をもって感じられる贅沢さだろう。
また今回公開されたルック画像は、デムナ自身がファッションのキャリアをスタートした場所へのオマージュとして、クチュールサロンではなく、日常を想起させるパリの街中を背景にしたものだった。そんなロケーションと彼が提案する服には、「卓越した職人技によって生み出されるクチュールを宮殿や素晴らしいサロンではなくリアリティーという文脈に置き、クチュールと現実世界の関連性を生み出したい」という思いが反映されている。
「バレンシアガ」での仕事を終え「グッチ」へ
デムナは最後のクチュールショーに先駆け、「バレンシアガ」での10年間の軌跡を振り返る展覧会をケリング本社で開催した。それは、彼がファッション界の常識を打ち破り、時に物議を醸しながらもスタイルに変革をもたらし、ファッション史に残る一時代を築いたことを示すものだった。その一章は、このクチュールコレクションをもって完結。「私は『バレンシアガ』を愛しているし、最も美しいクチュールメゾンだと思う。ただ、そのコードは限定的で、現在のビジネスのタイプに比例していない。この10年間、私はコクーンやアワーグラスに取り組んできたが、それだけでは十分ではなかったため、たくさんの“デムナ”コードを組み込む必要があった」とショー後のバックステージで振り返った。
移籍先の「グッチ(GUCCI)」での初のショーは、来年3月になるという。「次の章には、これまでに使ったことや手にしたことがなかった多様なコードがそろっているという豊かさがある。それにとてもワクワクしている。私はシェフのような存在であり、料理を作るための材料が増えることはエキサイティングだ」。そう話す彼が「グッチ」ではどんなクリエイションを見せてくれるのか、期待を込めて待ちたい。