PROFILE: 吉田真一郎/美術家 自然布の蒐集家・研究家 近世麻布研究所所長

京都市内から車で2時間。山あいにある「近世麻布研究所」には、世界各国の美術家やキュレーター、ラグジュアリーブランドの経営者が訪れる。所長は江戸期の大麻布や苧麻布を長年収集・研究してきた吉田真一郎。西陣織で知られるHOSOOが始動したヘンプ特化型ブランド「HOSOO MEN」では、吉田が長年研究してきたしなやかで肌になじむ江戸期の大麻布を現代技術で再現したものを用い、「時間が生む美」を提案する。ヘンプ(大麻)は日本にとっては縄文時代から活用されていた特別な植物であり、世界では今、その環境性能の高さから再評価が進む。吉田は美術家を目指し、油絵で「白」を表現していた20代に、ヨーゼフ・ボイス(Joseph Beuys)と出会い、ボイスの影響から古美術や民俗学を独学で学び始めた。蒐集家として、また美術家として注目を集める吉田に、HOSOOとの出合いから、日本の大麻文化と美意識、「現代だからこその工業製品」という考え方、そしてライフワークとなった「白」の追求とBOROについて聞いた。
「細尾は大麻布をやるなんて、当時まったく考えていなかった」
――「HOSOO」は次のラグジュアリーな素材として大麻布に取り組んでいますが、きっかけは吉田さんの影響が大きかったとか。
吉田真一郎(以下、吉田):細尾(真孝HOSOO社長)たちとは10年くらいの付き合いになりますけど、細尾自身、大麻布をやるなんて当時はまったく考えていなかった。彼は西陣織、絹の世界の人ですから。でも、よくお茶を飲んだりご飯を食べたりしながら話していくうちに、少しずつ関係が深まっていき、彼は大麻そのものよりもむしろ僕のやり方に興味を持った。生き方を含めてね。細尾は、そういう生き方をしてこなかったから、絹の世界で革命を起こそうとしたとき、(僕のやり方から)自分の仕事に応用できるものがあるかもしれないと思ったんじゃないでしょうか。だけど、細尾は、直感が働く。独特の嗅覚がある。たとえばカールステン・ニコライ(Carsten Nicolai/Alva Noto)のような人を引き寄せたり、さまざまなアーティストとつながったりするのも彼特有ですよね。
――細尾さんは直感的に大麻布に取り組むようになったと。
吉田:細尾はプロを目指していたわけではないけれど、ミュージシャンとしても活動していた。音楽に惹かれるのと同じ感覚で、大麻や古布の世界にも興味を持ち始めたのでしょう。彼は当時僕が手掛けていたエイベックスの「マヨタエ」プロジェクトに「僕も手伝いたい。海外とのネットワークやラグジュアリー分野は、自分の方が強い」と参加してきた。4~5年ほど関わった頃、エイベックスは音楽事業の集中を理由に17年近く続けてきたプロジェクトの一区切りを考え始めていた。すると細尾が「人生をかけて大麻をやってみたい」と言い出したんです。ちょうど丹後でシルクハブ構想を進めていた頃でした。僕は、「やったらいい。エイベックスが積み上げてきたものを、今度はHOSOOが世界へ広げていけばいい」と答えました。
――吉田さんが収集されてきた江戸期の大麻布は極めて柔らかく、その風合いを機械紡績によって実現しました。多くの人が持つ「大麻は硬い」という固定概念を覆しました。
吉田:この風合いの大麻布は、少なくとも現代には存在していませんでした。一般的に知られている大麻布は、ゴワゴワしたものばかりです。柳田國男の研究書をはじめ、文献では「大麻はゴワゴワした硬い素材」とされ、苧麻(ちょま/ラミー)は柔らかいと書かれている。でも実際に取集していくと全く逆だった。大麻の方が柔らかく、苧麻の方がむしろ硬い。現在最も流通しているリネン=亜麻(あま)は、日本にはもともとなかった。明治時代になって、工業製品として紡績するために北海道で栽培が始まりました。
僕は江戸時代の大麻布のように素肌に着てもチクチクしないものを目指し、現代の紡績技術でその風合いを再現しようと試みました。当時は「手仕事だからできるのであって、工業化は無理だ」と言う人も多かった。でも僕自身は、古布研究や博物館や美術館での展示を続けながら、「これを現代に蘇らせられないか」と考えていました。
現代だからこその工業製品
――なぜ機械紡績だったのでしょう?
吉田:「なぜ工業製品か?」「手で織っている人たちもいるから、そっちをやるべきでは?」と聞かれますが、それは全然わかっていない。僕は、現代だからこそ工業製品だと考えています。
民藝のような手仕事を再現すること自体を否定するわけではありません。でも、僕がやりたいのはそこじゃない。最現代の技術を使いながら、過去の本当に良かったものを徹底的に掘り下げる。それこそがその時代の表現だと思っています。
細尾も、丹後に「KYOTO SILK HUB」をつくり、ソニーコンピュータサイエンス研究所と組んでロボット化しようとしている。つまり、最先端を導入する一方で、大麻のような長い歴史を持つ素材や、僕が集めてきた古布のようなものも同時に扱うこと、この両方が大切なんです。
――転機になった機械紡績はどのように実現しましたか?
吉田:特別な魔法があるわけではなく、結局は手間とコストをかけることが大切だった。たとえば5万円する寿司店のネタと回転寿司のネタは、同じマグロでもまったく違うでしょう。仕入れも違えば、手間も違う。大麻も同じです。どの品種を使い、どう処理し、どう紡績し、どう仕上げるか。工程を一つひとつ丁寧に積み重ねていく。だから、どうしても高くなる。以前、機械紡績を可能にした頃「中国が本気で開発を始めたら日本は勝てない。とはいえ、少なくとも10年は追いつけないだろう」と話していました。あれから10年以上経っているのでやろうと思えば他国でもできるようになっているはずです。でもそれでいい。重要なのは、日本には日本のストーリーがある。そこです。
日本における大麻の意味
――日本における大麻の歴史は圧倒的に長いです。
吉田:大麻は縄文時代からこの列島で使われてきました。福井県の縄文遺跡の鳥浜貝塚から、大麻の編布が出土し、これが日本最古の資料といえます。近年、千葉県佐倉市の国立歴史民俗博物館が鳥浜貝塚の花粉を調査し、博物館を通じて出版された本によると、花粉の分析から大麻が自然に生えていたのではなく、どうも管理栽培されていた可能性が高いことがわかりました。断言はしていません。でもそれまで自然に生えた大麻を採集していたと考えられていた縄文人が、実は栽培していた可能性があるというんです。だからこそ、HOSOOが絹をやるなら大麻もやるべきだと思いました。絹も卑弥呼の時代から続いてきた文化ですし、この国のもう一つの原点である大麻を扱わない理由はない、と。だから、絹と大麻なんです。
――日本での大麻の認識は第二次世界大戦後に大きく変わります。
吉田:太平洋戦争に敗戦して以降、アメリカの影響で大麻栽培が規制され、そこから急速に、大麻の知識や文化が失われていきました。1万年近く続いてきたものが、昭和20年を境にぷつっと断ち切られてしまった。
その後は、「大麻は危険だ」「捕まるぞ」というイメージだけが強くなっていった。でも最近では、少しずつ状況が変わってきています。繊維や工業用途、あるいは医療分野で活用する場合には、一定条件のもとで大麻栽培を認める方向へと法律も改正されました。
ヨーゼフ・ボイスとの出会い、白へのこだわり
――吉田さんはもともと油絵を描いていたんですよね。
吉田:僕が描いていた白の作品は、油絵というよりもむしろ工芸に近い感覚でした。白を塗り分けていく時は「この白の隣には少し違う白を置く」というように、意識的に質感や差異を積み重ねていて、その時点でもう“工芸”になっていてアートじゃないと思っていました。画廊がほめてくれても売る気になれなかった。
僕に大きな影響を与えたのが、ドイツ・カッセルで出会ったヨーゼフ・ボイスでした。ある時、ボイスらと10人ほどで食事をしていた時に「なぜ白なんだ」と聞かれた。白がいいと思うから描いていたので、答えられない。「それでは意味がない」「一番初めに見た風景はなんだ」とボイスがいろいろ言うものだから、そのまま欧州を回るつもりだったけれど日本に帰りたくなった。自分のルーツも考えたことがなかったので、帰国して日本のことを調べ始めた。いろいろ調べるうちに、糸、そして麻にたどり着いた。最初は麻の布を集めて、それで作品を作ろうと思った。
文献を読み漁りましたが、実物が見られる場所がない。民藝館に行っても民藝の野良着はあっても、文献に出てくるようなものが見られない。ならば自分で調べるしかないと、全国を少しずつまわるようになりました。
結果的に僕は30~50代をある意味では棒に振ったような人生になった(笑)。正直、「ボイスなんかに出会わなければよかった」と本気で思ったこともありました。20代から交流のあったしていた杉本博司にも「なんで売らないの? 画廊も来てるんだから、売ればいいじゃない」と言われていました。でも僕の中では白を塗っている段階ですでに(工芸に近いアプローチになっていて)“つくって”いた。「そもそも無理なことを絵にしようとしているのか」と思うようになっていた。ちょうどその頃のクリエイティブ産業は、才能を見つけるのは早いが飽きるのも早く、使い捨てている感じがあった。その風潮に嫌気がさしていたし、飲み込まれない方がいいと思って売らなかった。今思い返すと、この何十年にわたる空白が、結果的に大切だったと感じています。
「白」の発見
――「白」の作品が生まれたきっかけを教えてください。
吉田:あるとき滋賀県の博物館での展示のために、古い白い着物100点ほどを選んで持っていった。どれを展示するか、白い着物ばかり並べていた時、気づいたんですよね。全部“白”なんだけど、それぞれがまったく違う白であることに。僕は何十年も白い絵を描いたり、コラージュしたりして「白」を追究してきたけど、納得できる作品はできなかった。でも、その白い着物が置いてある中に、何も手を加える必要がない作品があることに気づいた。江戸時代に手で績み、手で織り、自然の中で晒されてきたものです。それぞれ一枚だけを見れば、誰でも「白」と答える。でも実際に並べると、全部違う白。僕はこれを油絵で表現しようとしていた。でも油絵で白をつくろうとするとどうしても計算になってしまう。この「白」はつくれなかった。はこれを油彩で表現しようとしていた。でも油絵で白をつくろうとすると、どうしても計算になってしまう。この「白」は作れなかった。
でも、古い布の白はただ、長い時間の中で自然に生まれてきた白です。僕は、工芸的な技巧や人為的な計算だけでは、到達できないものがあるんじゃないかと感じました。ある意味では、“つくり込む”という行為は、もう終わっているのかもしれない、と。僕は、“今までなかったもの”でなければ意味がないと思っています。そして、自分の手はなるべく加えたくない。それだけで十分ですよ。
――古布の収集と追究していた「白」が合流したわけですね。
吉田:もともと僕が柔らかい大麻布を集め始めたのは、アートの表現をしていたからでした。古い布の展覧会ばかりやっていたので、美術館や博物館の人からは「絵を描いていると言うのに全然発表していないじゃないか」と不思議がられていました。実は、僕の中では全部つながっていた。ただ、理屈では説明できない、完全に勘だった。周囲からは、「なんで似たような布ばかり何百枚も集めてるんだ。もっと違うものを集めたらどうだ」と言われる。でも、その時の僕自身も頭では理由がわからなかった。ただ、自分の細胞が「これを集めろ」と言っていた。それが、僕の言う勘です。
頭で考えるより先に、細胞が「こっちへ行け」「そこから逃げろ」と指令を出すから、後から頭が理由をつけていることが多い。僕は、自分はただの管理人みたいなものだと思っています。だから自分の細胞が「嫌だ」と感じるもの、あるいは逆に「惹かれる」と感じるものには、従った方がいい。よく「根拠は何ですか」と聞かれますが、もし最初から答えや根拠がはっきり分かっているなら、そもそも苦労しない。結果、世界中の最先端のアートを見ている人たちが、「ただ白い布を綺麗に並べただけ」のように見えるものに強く反応した。それは、今まで誰もやっていなかったことだったからですよね。
「紡績を機械化した工業製品の補修に昔の手仕事の糸を使う」
――「HOSOO MEN」では経年変化も価値として捉えています。
吉田:大麻布はとにかく丈夫で、絹のように虫に食われて穴だらけになることが少ない。実際、ここにあるのは江戸時代の大麻布ですが、防虫処理など何もしていないのに、虫食いがほとんどない。
――麻は着込むと布が薄くなることが多いと感じています。
吉田:布が薄くなったり傷んだりしても、それ自体が価値になると思います。傷んできたら、僕が持っている古い糸で刺し子を入れていけばいい。紡績を機械化した工業製品の補修には昔の手仕事の糸を使ってもいいじゃないか。補修用の糸は50年分くらいは持っています。そうやって少しずつ縫い重ねて、30年後40年後には「HOSOO MEN」の古いタグが付いた服が、BORO(ぼろ)になりながら味わいを増して、とんでもない値段で取引されているかもしれない。
そういう再生利用の価値を、かなり早い段階で見抜いていたのが、アメリカのキュレーターたちでした。
「“貧”から生まれる美」
――今でこそBOROが世界的に流行しています。
吉田:1994年にサンフランシスコで日本の伝統的な再生利用をテーマにした「Rich from Rags」という展覧会を現地のキュレーターと一緒に企画して、僕のコレクションをもとに展示をつくりました。タイトルは、直訳すると“ぼろから生まれる豊かさ”のような意味ですね。つまり、BOROでありながら、そこにとても豊かな価値が宿っている、ということです。
美術館のキュレーターたちが「売ってくれ、これこそアートだ」と言いました。よく見ると、刺し子をしていて異常なくらいの手間がかかっている。そして、この色。江戸時代にこれをつくったのは農家の女性たちで、美意識を理論的に追求していた人たちでもない。でもこれを見るとひっくり返るくらい衝撃を受けるでしょう?恰好ええでしょ?そういう力が、この布にはあります。「センスとは何なのか」という問いに対して、僕はこういう布が一つの答えを示していると思います。そう考えると、結局センスは、学校や理論だけで生まれるわけではないとわかります。
――確かにセンスがいいですね。
吉田:この色の重なり方なんて、本当に素晴らしいでしょう?でも、つくった人たちは、「美しいものをつくろう」と思っていたわけではなく、もったいないから、やっていた。これは捨てずに取っておいた端切れをつなぎ合わせ、箱にかける埃よけとして使っていたものです。その組み合わせが絶妙で、なぜこんなに美しいものが生まれるのか。環境や時代、そして「もったいない」という意識。そういうものが重なり、自然に生まれてきた美であり、「“貧”から生まれる美」なんですよ。つまり、豊かだから生まれる美ではなく、貧しいからこそ生まれる美があるということです。
収集コレクションを資料館に展示
――貴重な古布を細尾さんに寄贈されたと聞きました。
吉田:いやいや細尾にあげるわけではないよ(笑)。資料館ね。あげるくらいなら骨董屋に売ったほうがいい。そうではなくて、細尾が「シルクハブに料館をつくりたい。世界中から人が集まり、ここに来ればわかるという場所にしたい。吉田さんのコレクションを置き、解説も付けてスタッフも雇う」と言うから、「それやったら俺の使えばいい」と伝えました。
江戸時代には、農民が絹を着ることを禁じる法律がありました。武士階級以外は、絹を身につけてはいけなかった。でも、みんな絹の布団で寝たい、絹を身につけたいという夢があった。そこで北前船などで古着や端切れを売りに来る商人から、絹の端切れだけを少しずつ集めるようになった。全部、絹のボロで、それを組み合わせてつくっていた。
――もったいないだけではない「禁止」という規制もあったのですね。
吉田:捨てられるような小さな端切れを継ぎ合わせたものなら、“ぼろ”として扱われるから許されました。つまり、人々は抜け道をつくって、憧れだった絹を生活の中へ取り込もうとした。そうして生まれた、絹の布団です。「やっちゃだめ」と禁止されるからこそ、そこから新しいものが生まれてくる。そこが面白い。僕は、これもアートだと考えています。
だから僕は思うんです。何でも自由で何でも解放されていることが、必ずしも豊かさではないんじゃないか、と。「禁じられている」からこそ生まれる美もある。だから、戦争中のような厳しい時代に、逆にものすごく美しいものが出てくることがある。もちろん「生きにくい時代の方がいい」と言いたいわけではありません。でも、あまりにも自由すぎると、逆に表現が薄くなってしまうこともある。
たとえば、戦国の真っただ中の桃山時代に生まれたものは、焼き物にしても、染織にしても、ものすごく美しい。つまり、常に死と向き合っていたからこそ、表現も切実だった。現代人だけですよ、「35年ローン」で家を買えるのは(笑)。だって、35年後も自分が生きている前提でしょう。戦国時代の人たちにとって、「1年先、2年先の人生設計」なんて、そもそも発想としてなかったと思います。逆に言えば、35年ローンを前提にした生き方からは、こういう世界観はなかなか生まれてこない気がするんですよね。
――現代では表現できないものですね。
吉田:端切れは日本の各産地で、一生懸命織られた反物です。もともとはちゃんとした着物で、それが長い時間を経てボロになっただけ。当時は草木染めですし、藍染めも本藍ですから、今では出せないような色になっています。しかも、新品の時には出ない色です。長い時間を経て、使い込まれて、初めてこういう藍になる。本当に、何とも言えない色でしょう。
端切れが、長い年月の中で朽ち、擦り切れ、色が変わり、何とも言えない風合いになっているのは、自然の原理ですよね。人間が「こういう美をつくろう」と意図してできることには限界がある。そして、時代とともに積み重なってできた文化は、人間が頭で設計してつくれるものではない。
――美は意図してつくるものではないと。
吉田:「美とは何か」を頭で考え続けても駄目です。むしろ、日常を淡々と生きること。その当たり前の生活を積み重ねていくこと。すると、本人は気づいていなくても、周囲の人間がそこに何かを見つけるんです。誰かが惹かれたり、人が自然と集まってきたりする。ところが今は、そこが逆転している。「見つけてもらおう」として行動するでしょう。注目されよう、評価されよう、と。でも「見つけてもらおう」としてつくられたものは、結局どこか気持ち悪くなってしまう。僕はそう思っています。
「活動領域が違っても、大切にしている表現方法の根っこが近い」
――この近世麻布研究所には、京都から車で2時間の距離にあっても多くの人が訪ねてくるそうですね。
吉田:細尾がさまざまな現代美術家や音楽家、舞踊家たちを連れてきますが、面白いのは、活動領域が異なるのに話し始めた瞬間から、「ああ、そうそう」という感覚で通じ合えること。それは考えていることの根っこが自然と重なっているからだと感じます。
これまでは現代アートに限らず、分断されていた感じがありました。ジャンルやランクに切り分けて、表面的な知識だけで話が進んでいくというか。僕はその構えて語る感じになじめなかった。でもHOSOOと協業するカールステン・ニコライは、大麻布を使った「白」の作品の前で演奏したいと言ってくれた。何も説明しなくても自然に何かを感じ取ってくれる。大切にしている表現方法の根っこの部分が近いというか。
――細尾さんと協業するさまざまな人たちの本質が重なっていると感じると。
吉田:いつの時代も「これが正しい」という答えがあるわけではないですが、みんな探りながら、少しずつ本質的なところに近づいているというか。その探り方や向き合い方が、とても似ているという印象はあります。