LVMHメティエダールは9月9日、メディアアーティストの米澤柊(よねざわ・しゅう)さんによる新作「光の傷」を、岡山県井原市のデニム生地メーカー・クロキ本社で公開した。半年間に及ぶクロキでのアーティスト・イン・レジデンスの成果を反映した平面・立体など29点の作品群は、9月10日にクロキ本社内に展示し地元市民に向け一般公開後、10月にはパリでもさらに2点を加えて展覧会をする予定だ。
米澤さんはこの半年、拠点である東京と岡山を行き来しながら作品制作を行った。デニム生地にレーザープリントや刺しゅうを施した平面作品や織機の音を編集・加工してボーカロイドに歌わせた音のインスタレーション、VRと組み合わせた写真表現まで多岐にわたる。秀逸なのは、いずれの作品もデニム製造の工程を深く理解したうえで、その技術やプロセスを解体・再構築し、多彩なメディアアートへと昇華させたこと。米澤さんは「デニムの生地をキャンバスのような支持体ではなく、メディウム(媒介)として捉えた。織物はそれ自体がすでにメディアアート的な性質を持っていると感じた」と振り返る。たとえば《デニムのオバケ》では、ジーンズにユーズド感を人工的に付与するためのレーザー加工機を応用。自作アニメのキャラクターをデニム生地に焼き付けたり、分厚い超ヘビーオンスのデニム生地を高出力で切断して巨大なキャラクターの人型を切り出すなど、工業的な機械を使ってアート表現へと昇華した。米澤さんは「本来は人が着用した痕跡であるはずのジーンズのアタリや色落ちを、コンピューター的なレーザー加工で複製することが、ヴァルター・ベンヤミンが『機械的複製時代の芸術作品』で論じた“失われたアウラ”だと感じた」という。
これらの作品群は、デニム業界の関係者にこそ大変示唆に富む。たとえば《魂を繋ぐ詩》は、米澤さん自作のアニメキャラクターを刺しゅうした生成りとデニムの2枚のセルビッジ生地を、経(たて)糸で結び合わせた作品だ。両布をつなぐ長く伸ばした経糸は自動糸結び機「ノッター」で結束し、セルビッジの耳の部分には「あなたのたましい を つないでいる ふくすうせい と しあわせなちんもく〜」という自作の詩を織り込んだ。耳に文字を入れる「耳ネーム」はスーツ生地でよく見られる手法だが、セルビッジデニムに詩を織り込む発想は、テキスタイル関係者にとってもなかなかにマニアックで斬新なディテール表現だ。米澤さんは「クロキの社員である岡本さんと一緒に『ここに文字を入れたら面白い!』と盛り上がりながら作りました」と語り、まさにデニム生地の製造現場と深く関わって生み出されたことを感じさせる。
アーティストがモノ作りの現場に深く入り込む――まさにこれこそが、LVMHメティエダールの「アーティスト・イン・レジデンス」プログラムの真骨頂だ。メティエダールは10年前の設立後すぐにこのプログラムを開始し、今回で9回目を迎える。これまでにも、世界各地のテキスタイルメーカーやタンナー、金属加工企業などと連携して実施してきた。盛岡笑奈LVMH メティエダール ジャパン ディレクターは「いわゆる“匠の技”と異なり、工業的なモノ作りは、実際には高度な職人技や人の手が支えていても、物語として伝えるのが難しいことが少なくない。アーティストとの協働には、それを新鮮な視点で伝える狙いがある」と説明する。さらに「もう一つの重要な狙いは、アーティストから工場へのインスピレーション。工業生産のプロセスにアーティストのクリエイティブな視点を導入することで、新しいモノ作りの可能性を工場側にも提供したい」と続ける。今回も、事前にアーティストと工場の間で綿密な調整が行われ、米澤さんがクロキに加え、デニム加工大手の豊和(倉敷市児島)や刺しゅうの名門・美希刺繡工芸(広島県福山市)とも協働できたのは、その後押しが大きい。アーティストの選考過程でも、アドバイザーとして片岡真実・森美術館館長や村上隆氏、名和晃平氏、ジャン・ポール・クラヴェリーの協力を得た上で、「アーティスト本人にインタビューも行い、内面も重視した」(盛岡ディレクター)という。
ただ、最終的に米澤さんがレーザー加工機を使えるほど現場に入り込めたのは、本人のキャラクターに加え、アニメや映像などのマルチメディア作品を自作し、デジタルデザインソフトに精通していたことも大きい。レーザー加工機や刺しゅう機に入力する原画はフォトショップで制作しており、デジタル化された繊維機械を扱う工場のオペレーターと共通の言語を持てたのだ。米澤さんは「レーザー加工機のオペレーターの方がジーンズ加工のために描く図は、まるでレントゲンのように緻密で美しく、とても感銘を受けた」と語る。
この半年間のプロジェクトは今後、米澤さんにどのような影響を与えるのか。「見るもの聞くものすべてが新しく、白昼夢のように不思議な経験だった。終えたばかりなので言語化するのはまだ難しいけど、多くの人と協働して作品をつくるのは初めてで、自分にとって非常に大きなインパクトがあり、自分の中に深く入り込んでいる。今回関わってくださった方々には、心から感謝しています」と振り返る。
PROFILE: 米澤柊/アーティスト、アニメーター
