20世紀を代表する世界的デザイナーのジョルジオ・アルマーニ(Giorgio Armani)が、ミラノで死去した。91歳だった。
アルマーニ グループは、「創設者にして不屈の原動力であったジョルジオ・アルマーニの逝去を、深い悲しみとともにお知らせいたします。彼は、最期は愛する家族に囲まれ、静かに息を引き取りました。生涯にわたり精力的であり続け、最期の瞬間まで会社やコレクション、そして数々の現在進行中および未来のプロジェクトに身を捧げていました。アルマーニは長年にわたり、ファッションから生活のあらゆる領域へと広がるビジョンを築き上げ、卓越した明晰さと実践力で時代を先取りしてきました。彼を突き動かしていたのは、尽きることのない好奇心と、人々や現在への深い眼差しでした。この道のりの中で彼は、誰とでも心を通わせ、愛され敬われる存在となりました。またとりわけ愛するミラノのために多方面で尽力してきました」とのコメントを発表。今後については、「ジョルジオ アルマーニという企業は、50年の歴史を有しています。家族と従業員は、この価値観を尊重し継承しながら、グループを前へと進めてまいります」としている。
アルマーニ グループは、9月6、7日にはミラノ市内ベルゴニョーネ通り59番地のアルマーニ/テアトロ内に弔問所を設置。葬儀はアルマーニ氏の遺志に従い、親族のみにて執り行うという。
アルマーニ氏の70年に近い
ファッション業界での功績
アルマーニは1934年7月11日、イタリア・ピアチェンツァ生まれ。57年にミラノの百貨店リナシェンテ(RINASCENTE)のバイヤーになり、その後デザイナーに転向。「チェルッティ(CERUTTI)」などで経験を積む。75年、41歳の時にミラノで自身の名を冠したブランドを設立。81年には「エンポリオ アルマーニ(EMPORIO ARMANI)」と「アルマーニ ジーンズ(ARMANI JEANS、現在は『エンポリオ アルマーニ』に統合)」、91年には「A|X アルマーニ エクスチェンジ(A|X ARMANI EXCHANGE)」、04年にはスポーツライン「EA7」をスタートした。
さらに、05年にはオートクチュールライン「ジョルジオ アルマーニ プリヴェ(GOIRGIO ARMANI PRIVE)」を発表。06年にはメンズスーツのオーダーメイドサービス「メイド トゥ メジャー」を開始した。そんなアルマーニが手掛けるカスタムドレスやタキシードは数多くのセレブリティーに選ばれ、レッドカーペットでも注目を浴びてきた。そのほか、家具やインテリア、ビューティ、ホテル、レジデンス、レストラン、カフェ、ヨットなども手掛け、「アルマーニ」をファッションだけにとどまらない世界的ブランドへと発展させた。
19年5月には12年ぶりに来日し、東京・上野の東京国立博物館で「ジョルジオ アルマーニ」20年プレ・スプリング・コレクションのショーを開催。21年には、イタリアにおける最高位の功労勲章「カヴァリエーレ・ディ・グラン・クローチェ・デコラート・ディ・グラン・コルドーネ」を受勲した。また若手の支援にも積極的で、過去には「ファセッタズム(FACETASM)」や「ウジョー(UJOH)」「ヨシオクボ(YOSHIOKUBO)」といった日本ブランドもミラノにある会場「テアトロ / アルマーニ」でショーを行ったことがある。また、近年は「エンポリオ アルマーニ」×「アワー レガシー(OUR LEGACY)」や「ジョルジオ アルマーニ」×「キス(KITH)」など、意表を突く他ブランドとのコラボレーションにも取り組んできた。
「私にとって仕事とは自身を表現し、絶え間なく創造性を発揮すること」と語り生涯現役を貫いたアルマーニは、どんなスタイルにおいても着心地が良く、着用者を魅力的に見せることを追求する完璧主義者として知られた。その美学を象徴するのは、芯地や肩パッドなどを取り除いたアンコンストラクテッド(アンコン)仕立てのジャケットを軸にしたエフォートレスでありながら美しいシルエットのスーツだ。そして、エレガントなグレージュやニュアンスカラー、宝石のようなトーンといった色使い、素材へのこだわり、世界の多様な文化からのインスピレーション、マスキュリンとフェミニンな要素の融合、きらめく繊細な装飾などを生かし、確固たるスタイルを築き上げた。
創業50周年を迎えた25年には一時体調を崩し、療養のために6月のミラノでのメンズショーを欠席。7月のパリでのクチュールショーも医師の助言を尊重して渡仏は断念したが、ビデオ通話を通して細かい部分までリモートで監督した。誕生日の7月11日にはコメントを発表。体調を気にかけてくれた多くの人への感謝を示し、ウィメンズのプレタポルテを発表する9月に「また会いしましょう」と締めくくっていた。