日本工芸産地協会と読売新聞社は6月16~18日、大阪・関西万博会場内EXPOメッセ「WASSE」で全国から20の工芸ブランドなどを集めた体験型博覧会「日本工芸産地博覧会2025」を開催した。工芸ブランドのほか、ツーリズムや伝統工芸の技能の継承についての新しい取り組みも紹介し、3日間の来場者数は3万9663人だった。
日本工芸産地協会は中川政七商店の元会長中川淳が構想し、中川政七商店ら11社が業界内の連携強化を目的に2017年に設立。初代理事長は中川氏が務めたが、現在は独立した組織として運営しており、23年からは能作の能作克治代表取締役が会長を務める。
中川政七商店は「日本の工芸を元気にする!」というビジョンのもと、工芸品のSPA化や産地企業の経営支援、流通支援などさまざまに取り組む。日本工芸産地協会の原岡知宏理事・事務局長に万博で工芸を紹介する意図を聞く。
PROFILE: 原岡知宏/日本工芸産地協会理事・事務局長

WWD:日本工芸産地協会を設立した背景を教えてほしい。
原岡知宏理事・事務局長(以下、原岡):もともと1974年に制定された「伝統的工芸品産業の振興に関する法律」に基づき、経済産業大臣が指定した伝統的工芸品の産地の組合に対して支援を行う団体「伝統的工芸品産業振興協会」があった。この支援もあり、90年頃には伝統的工芸品産業がピークを迎え、市場規模は年間約5000億円にまで拡大していた。しかしバブル崩壊によって産業は急速に縮小し、近年の調査では産業規模はおよそ800億円にまで落ち込んだというデータもある。
産業規模が大きかったピーク時には、各地域で効率化のための分業が進んだ。しかし、市場が縮小し分業体制が成り立たなくなり、一部の工程が途切れてしまう“歯抜け状態”が起こるようになった。その結果、産地として継続すること自体が難しくなりつつあった。
産業が縮小する中で2000年代に入ると、危機感を覚えた一部の経営者たちが「自社ブランド」をつくるために動き始め、分業ではなく全工程を自社で行い、製造から小売りまで垂直統合することによってブランド化に成功した。再び活力を取り戻した企業も出てきてその経営者たちが集まり、産地の持続可能性を考える場として「日本工芸産地協会」を立ち上げるに至った。
WWD:参加条件はあるのか。
原岡:大きく3つある。1つ目は産地を継続し、承継する覚悟と哲学を持っていること。2つ目は自社ブランドを確立し、すでに経済的に成立していること。そして3つ目は各産地から1社のみの参加とすること。
3つ目の条件には理由がある。以前の支援体制では、同じ産地内で複数の企業が競合して連携がうまくいかず、産地の機能不全の一因となっていたからだ。その反省から、あえて一産地一社に絞ることで、協力し合える関係性を築きやすくした。こうして、北は東北から南は九州まで、業種が重ならないようにしつつ、全国の優れた産地を網羅する11の企業でスタートした。
WWD:具体的な活動内容は。
原岡:当初は、地域創生や産地の存続を目的に、各地のモデルケースを共有し切磋琢磨して高め合う場として勉強会やカンファレンスを中心に実施していた。しかし、活動を続けていく中で、「学ぶだけでなく、実践の場が必要だ」という声が高まり、次第に展示会という方向へと動いていった。大きな転機は19年に大阪・関西万博の開催が決定したこと。「万博に工芸が存在しないとすれば、それは日本の工芸が世界に置き去りにされてしまうことを意味するのではないか」という危機感が高まり、「出展する」と方針が固まった。
とはいえ、協会として具体的な取り組みがなく、いきなり万博に出展するには準備不足だった。そこで予行演習として21年に「日本工芸産地博覧会」を開催することにした。「必ずワークショップを実施すること」を出展条件とし、全国から53社が集まった。
WWD:小さな工房などが出展費用をまかなうのは大変だったのでは。
原岡:旅費や輸送費は国の補助金でまかなえたので出展料は2021年が15万円、2023年が10万円だった。補助金を活用して出展料を低く設定したのは、万博出展へ向けて間口を広げ、機運を高める意図があった。主催者としては経済的に非常に厳しい運営を強いられることとなる。しかし正直完成度は低く、この反省をもとに23年に展示内容の質を高めて第2回を開催した。60社が参加し、これがきっかけで今回共催することになった読売新聞社との連携が生まれ、25年の大阪・関西万博への出展に向かうことになった。
日本工芸産地協会は展示コンテンツを提供する形で出展することになったが、補助金に頼らず、主体性を持った場づくりと運営を目指し、出展負担金を150万円に設定した。大企業にとっては大した額ではないかもしれないが、工芸企業にとっては大きな負担。それでも「やる」と決めた20社が、最終的に残った。
WWD:博覧会を機に目指すこととは?
原岡:実際に工芸の産地へ足を運んでもらうことを目指している。情報があふれる時代とはいえ、現地で体験しなければ得られない知見や感動がある。今回「レガシーブック(A Journey of Craft 手が語る、時を超える、旅へ)」という冊子を制作し、実際に訪れてもらうための手がかりとして、来場者に無償で配布した。冊子や展示のためにカメラマンとともに全国の産地を巡り写真と映像を記録して気付いたのは、各産地をめぐる観光モデルとして提案できること。たとえば、東北エリアでは秋田県大館市の曲げわっぱ、岩手県奥州市の南部鉄器、福島県会津若松市の漆器などをめぐるルートが提案できる。日本航空やJR西日本、JTBとも連携し、今後は実際に産地を巡る工芸ツアーの実現を目指す。
また、今回の博覧会は、主に日本人に向けた発信となったが、海外の人にも見てもらいたいという思いも強くなっている。協会メンバーには明言していないが、今後は海外で展示を行うことを視野に入れている。日本政府の「地方創生2.0」構想では、10年後に工芸品を輸出産業として育てる目標も掲げられており、政策面での支援も期待できる。
ただし、輸出産業として成立させるには、小規模な作家やクラフト作品では難しく、製造規模の拡大や設備投資など経営者の覚悟が必要になる。産地の中でも、こうした取り組みができる企業は一つあるかどうか。だからこそ日本工芸産地協会は、各地の中心的な企業から始めたこともある。最終的には、工芸を目的に日本を訪れる文化的な旅が一般化し、100年後の未来にも工芸の灯をともし続けることができればと考えている。