ファッション

米澤泉・甲南女子大学教授に聞く化粧文化と女性活躍 「メイクで自己表現」が進んだきっかけは90年代のスーパーモデルブーム

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 6月13日発売の「WWDJAPAN」では、女性&マイノリティのエンパワメントをテーマにファッション&ビューティ業界で活躍する女性25人にスポットライトを当てた。ファッション&ビューティ産業は女性の活躍とどのように関係してきたのか。ファッション文化論と化粧文化論を専門とする米澤泉・甲南女子大学教授に聞いた。

WWD:化粧文化史の観点から、1980年代以降の女性活躍を象徴する事象は。

米澤泉・甲南女子大学教授(以下、米澤):1980年代は“女性の時代”といわれる時代だった。流行した太眉には女性の意志の強さが表れている。松田聖子のようなアイドルも最初は男性から支持されていたが、結婚・出産を経て復帰したころから女性の支持が増えていった。石原真理子や小林麻美など、“大人っぽい雰囲気”“知的なイメージ”の女性が人気を集めた。堀越絹衣などのスタイリストや「アンアン(anan)」編集長の淀川美代子が活躍し、ファッションやビューティ業界で女性が活躍できる下地が整っていった。当時は男性が雑誌の編集長を務めることが多かったが、「アンアン」は早い時期から女性編集長になり、新しい企画や女性目線の記事が多いと注目された。

WWD:日本では86年に男女雇用機会均等法が施行されたが、80年代は女性活躍の転機だったか。

米澤:80年代は世界的にも女性がパワーを持った時代で、雑誌「タイム(TIME)」の表紙に女優のブルック・シールズ(Brooke Shields)が登場するなど、知的で意志のある女性像がファッション・ビューティ業界でもトレンドとなった。70年代に、それまでは「ミス」と「ミセス」の呼称しかなかったが、ウーマンリブの流れから「ミズ」という呼称が広まった。男性はずっとミスターなのに対して女性だけ結婚すると「ミセス」になることを問い直そうという動きだ。日本では80年代前半に資生堂が倍賞美津子を起用して「ミズ日本」というキャッチコピーの広告を打ち出した。80年代後半になると上野千鶴子らが活躍し、フェミニズムの思想が注目されたが、一般の女性に浸透するのはもっと後のことだ。

WWD:80〜90年代のファッションやメイクの変遷は。

米澤:80年代後半から90年代前半にかけてはワンレン・ボディコンなど女性性を強調するスタイルがはやった。この時代の女性はハイヒールなど今の時代では敬遠される女性らしいファッションをしていた。現在まで見てもこのころが一番女性らしいファッションをしていた。トレンディードラマがはやった時代で、主役を演じるような都会的で女性らしさも兼ね備えた女性像が理想とされた。80年代はファッションスタイリストが人気を集めたが90年代に入るとメイクアップが脚光を浴び、齋藤薫ら美容ジャーナリストや藤原美智子らメイクアップアーティストが表舞台に出てきた。彼女たちはメイク法を教えるだけでなく、自身のライフスタイルを雑誌上で発信した。

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