ファッション

“ファッションビジネス”の言葉を生んだ尾原蓉子に聞く 日本ファッション業界60年の歩みと女性活躍

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 IFIビジネススクールの学長や、ウィメンズ・エンパワメント・イン・ファッションの創立者兼理事などを務めてきた尾原蓉子氏は、日本のファッションビジネス業界のゴッドマザー的存在。ユニクロの柳井正会長兼社長が「私の先生」と公言する人物でもある。そもそも、“ファッションビジネス”といういまや一般名詞になった言葉も、今から50年以上前に尾原氏が翻訳を手掛けた1冊の本に由来していることは、業界内ではよく知られた話だ。尾原氏に、自身の60年のキャリアや女性が働くことについて振り返ってもらった。(この記事はWWDジャパン2022年6月13日号からの抜粋に加筆をしています)

WWD:“ファッションビジネス”という言葉を日本語として作ったのはまさに尾原さんだが、そもそもファッションビジネスの世界を目指すきっかけは何だったのか。

尾原蓉子ウィメンズ・エンパワメント・イン・ファッション創立者・名誉会長(以下、尾原):愛知の高校生だった1955年に、1年間アメリカ留学を経験しました。当時のアメリカは消費文化が花開いていった“ゴールデンフィフティーズ”の時代。ホストマザーを始め、まわりには働く女性がたくさんいました。職業婦人の草分けだった母を見ていて私も渡米前から仕事はしたいと考えていましたが、当時は女が仕事をするなら医者か弁護士しかないと思っていたんです。それでアメリカに行って驚きました。女性もこんなにさまざまな仕事に就いていて、生き生きしているのか!と。

 母が作ってくれた洋服をたくさん持って渡米しましたが、着ていると友人に毎回“Yoko, that’s so different!”と言われる。私の格好は浮いているのかなと落ち込んでいたら、ある日ホストシスターが「differentは褒め言葉だ」と教えてくれた。それで気づきましたが、アメリカでは皆、人と違う自分であることに一生懸命なんです。その経験から、私も周りは気にせず自分のやりたいことをやればいいんだと思いました。

WWD:東大を卒業後、旭化成に入社されます。今から60年前のことです。

尾原:旭化成は他の素材メーカーと比べても開けた会社で、“野武士”のような社風でした。それでも、当時は大卒女子は採用していなかった。官庁に行けば女も働けましたが、時は高度経済成長の真っ只中。優秀な男子は次々と民間企業に入社していきます。私も民間企業で働きたかった。でも大卒女子を採用している会社なんてどこにもない。それで、旭化成の人事にいた大学の先輩に一言文句を言ってやろうと会いにいったんです。そうしたら、「実は大阪の事業所から、大卒女子で1人採用要請が出ている」と。

 当時、繊維メーカーは今と違って自社で製品ブランドも持っていました。旭化成ではアクリルの「カシミロン」の販売部が当時苦労していて、担当者が「どうやら世の中には流行というものがあって、女性はそれをもとに商品を買っているらしい。しかし男には全く分からないから、女性を採用してくれ」と要請したようです。そんな事情の中で人事に会いに行った私は、カモがネギを背負ってやってきたような状態だったでしょうね。それが入社の経緯です。大阪で働き始めて、担当していたのは商品企画。「カシミロン」でセーターを作る中で、編み機や紡績、染色整理加工、縫製とさまざまなことを勉強しました。

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