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フォトグラファー米原康正が13の写真&映像で振り返る中国の13年

 「WWDJAPAN.com」は中国戦略の先駆者として、中国版ツイッター、ウェイボー(Weibo)のフォロワーを約280万持つ“ヨネちゃん”こと編集者・フォトグラファーの米原康正にロングインタビュー(下記リンク参照)を行った。ここでは「活動を本格化した」という2009年からの13年を、13の写真&映像で振り返ってもらう。

 「最初に中国に招かれたのは09年。『アウトモビリ・ランボルギーニ(AUTOMOBILI LAMBORGHINI)』上海店のパーティーに、元セクシー女優の蒼井そらちゃんを呼びたいと相談されて。行ってみたら中国メディアが50社くらい押し寄せてた(笑)。そのひと月後には、初の展覧会も上海で行った」。


 「11年当時、中国で約2500店舗を運営していたアパレルブランド『メタスバンウェイ(METERS/BONWE)』で、僕のTシャツライン“エムティー(MTEE)”がスタート。記者発表会やパーティーも開催した」。


 「中国に招かれると、イベントの主催者やスポンサーが所有するクラブで、同じく彼らの持ち物である高級車と女の子を絡めて撮影することが多かった。僕の純粋なファンもいたけど、当時の中国で公の場所で露出度が高い女性が大挙するのは珍しかったから、それ見たさで男の子が集まっていた印象(笑)」。


 「05年にAKB48のビジュアルディレクターに就任したんだけど、それが縁で15年には上海を中心に活動するSNH48の写真集をサイパンで撮影することに」。


 「11年に北京でスタートしたストリートファッションの合同展『シック-ヤングブラッド(CHIC-YOUNGBLOOD)』の会場前で。横浜発のアパレルブランド『アイリーライフ(IRIE LIFE)』が僕をフィーチャーして、会場にはグラビアアイドルの杉原杏璃ちゃんと一緒に撮ったビジュアルを巨大パネルにして飾ったりした」。


 「これも11年の北京。こうやって振り返ってみると、11~12年頃が最も訪中していたんだね。月2~3回のペースで、ターミナルシティーということもあり上海や北京を訪れることが多かった。こちらはアートショーに参加した際の、アフターパーティーでの一葉。俳優のサム・リー(SAM LEE)とDJしているね。イベントは、ライブシューティング(撮影)とDJの組み合わせがテッパンだった」。


 「カメラに向かって両手を広げるギャルポーズって、僕が雑誌『エッグ(egg)』時代に流行らせたと思っているんだけど、確たる証拠がないのが残念なところ……(笑)。で、こちらは間違いないんだけど、僕が中国で意識的に流行らせたのがこの腕組みポーズ。ウェイボーのアイコンもこの写真にして、その内に“ヨネポーズ”って呼ばれるように。今でも中国人フォロワーには、『このポーズで一緒に写真を撮ってほしい』ってリクエストされる」。


 フォロワーから届いた“ヨネポーズ”の数々。「修学旅行の集合写真で、クラス全員が“ヨネポーズ”なんてのもあったな。あと11年当時、僕の主な活動は“エロい”女の子の撮影だったから、おっぱいの自撮り写真もフォロワーから毎日何百枚って寄せられた。それを僕がウェイボーで“転発(リツイート)”することで、3000フォロワーが一夜で10万フォロワーくらいに成長して、その女の子がスターになるなんてこともあったね」。


 12年には中国の大手乳業メーカー、新希望乳業のブランド“V美”のキャンペーンを担当。「成都市を中心に女子大生を対象としたコンテストを行い、入賞者は僕のモデルになってもらって撮影。さらに、韓国に行って演技のレッスンを受けることができるって内容だった」。

 「この映像は13年の上海。僕が撮った女の子の写真をコラージュして映像化、それをプロジェクションマッピングしている。この頃、中国の夜遊びシーンも急激にデジタル化していった」。


 16年、中国最大手のEC企業アリババ(ALIBABA)が行ったライブ配信プログラムにゲスト出演。「各界のプロフェッショナルの仕事ぶりを伝える内容で、ほかにシェフやミュージシャンなんかもいたね」。


 「17年の、中国のスマホメーカー『メイズ(魅族、MEIZU)』の新機種発表会。僕がバリ島で撮り下ろした写真を見られるサービスもあった」。


 「21年2月4日には、日本人としてウェイボーの発展に寄与したとして『WEIBO ACCOUNT FESTIVAL IN TOKYO 2020』で表彰された。そういえば、もう1年以上も中国に行っていないんだなぁ……」。

 「“新しい中国”の誕生を主語に近い場所で見られたのは、とてもよい経験だった。僕は世代的に日本のバブルも知っているけれど、その何倍ものパワーを感じたし、人もシステムも一切合切が変わるのに立ち会えたのは本当に貴重。訪中するたびに街並が変わっていった。そのスピードは週単位だったはず。それと多少おこがましいけれど、僕が行ったイベントやその様子を伝えたウェイボーによって『中国でも女の子の水着イベントをやっていいんだ』になったんだと思う。実際、“弟子”と称する輩も出てきて、イベントも模倣された(笑)」。

 「ただ、12年には国のトップが習(近平)さんに代わって、“自由な中国”が一気に転換。分かりやすいところで言うと、SNSで水着がNGになった。胸の谷間なんかも画像を削除されたり、アカウントそのものが停止されたり。習さん以降は、特に性風俗と政治について厳しくなった印象。それに12年にはいわゆる“尖閣問題”も起きて、こちらでも風向きが変わった」。

 「10年の上海万博の頃から中国では金持ちが増えて、彼らが外で遊び出した。それに伴って、さまざまな舶来カルチャーも拡散した。富裕層ジュニアが親の金でクラブを作り、僕を呼んでくれたのもそういった20代を中心とした若年層だった。ウェイボーで僕を知った層。彼らのような若い男の子が興味があるのは女の子。そして、僕はそれと直結していた。エロがもたらすパワーは万国共通だよね(笑)」。

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