新型コロナウイルスの感染拡大により、化粧品業界を取り巻く環境が激変している。緊急事態宣言の解除以降、徐々に日常が戻りつつあるが、タッチアップの自粛やテスターの使用制限などは続いており、完全に平常を取り戻すにはまだ時間がかかりそうだ。ポストコロナ時代に向けて化粧品業界が進むべき方向性は――。エコノミストの崔真淑氏に業界展望を聞いた。(2020年7月16日号の「WWDビューティ」の「ポストコロナ時代へ、化粧品業界のシナリオ」特集で掲載した記事を再編集しています)
WWD:コロナ禍で化粧品業界の影響は?
崔真淑エコノミスト(以下、崔):化粧品にまつわる消費者のニーズの変化でいえば、先日発表された2020年上半期の「アットコスメ(@COSME)」のベストコスメで、総合ランキング上位10製品のうち1~4位をスキンケア製品が占めていたのが印象的でした。マスク生活でメイクアップの需要が落ちた半面、スキンケアの需要が高まったことが顕著に表れました。実際、総務省が発表した5月消費支出では、口紅が前年同月比63%減、ファンデーションが同43%減とカラー、ベースメイク需要が減少している一方で、洗顔が同12%増などスキンケア需要が伸びています。加えてコロナ以前から、社会の高齢化に伴い化粧品メーカーが健康食品に進出する流れがありましたが、新型コロナにより体の内側への関心も高まり、化粧品業界は今後、スキンケアとサプリなどの健康食品に注力していくと思います。株価を見ても、健康食品に注力しているファンケルは、化粧品メーカーの中でも上昇が突出しています。
資生堂はなぜ業績予想を取り下げたか
WWD:先行き不透明な状態が長引いているが、企業の方針決定への影響は?
崔:資生堂が5月、20年12月期通期の業績予想を取り下げると発表しました。これはかなり意外でした。というのもコロナ前の中国では資生堂の化粧品が相当売れており、業績回復は早いと私は考えていたからです。また、資生堂は日本の化粧品メーカーの中でも高水準でECに設備投資しているとみられます。それにもかかわらず業績予想を撤回したということは、中国市場の回復が遅いだけでなく、これは私の仮説ですが、企業価値の要である新客の獲得を対面販売のオフラインに依存していたということが考えられます。ECを拡充しているといってもオフラインからオンラインに送客していただけで、オフラインでできることが限られる現状では業績予想を開示できないというのが背景にあるかもしれません。同様のことが当てはまる国内化粧品メーカーは少なくないでしょう。
WWD:オンラインでの新客獲得が今後の課題として浮き彫りになった。
崔:中国で急伸するオンラインの対面販売、ライブコマースが日本で浸透するかどうかが今後のポイントになると思います。中国のKOL(キーオピニオンリーダー)のような有名なインフルエンサーを起用するだけでなく、自社でカリスマ美容部員をどう育てるか――人材投資が一つの要になります。化粧品は香りや使用感を実際に試したいというニーズがありますが、オンラインではそれが伝わりにくい。信頼のおけるインフルエンサーや美容部員からライブ配信で化粧品の情報を得たいというニーズが増えるのではないでしょうか。ミニサイズやサンプルも鍵になると思います。例えば香りが伝わりにくいフレグランス分野では、小分けした香水を販売するベンチャー企業が出てくるなど、ミニサイズ、小分けといったトレンドが2019年に見られました。新しい商品をECで購入するのに心理的ハードルを下げるには、ライブコマースと小分け販売が必要になると思います。
データ活用に特化した
人材に投資しているか
WWD:確かにテスターが使えない今、サンプル提供を充実させようという動きは出てきている。そのほか、何をすることが重要か?
崔:サンプルに加えてもう一つ重要なのはデータ活用です。フレグランスなら「この香りが好きな人はこの香りも好き」というデータを結びつけることで、その人が好きな香りの特徴が見えてくる。ECが新客の入り口になっていないと想定されることからも、データ活用のイノベーションが必要になるでしょう。ポストコロナを勝ち抜くためには、今までオフラインで人間の勘に頼ってきた分野をデータを結びつけることで、ターゲティングの効率性を上げることが重要です。GAFA(グーグル、アマゾン、フェイスブック、アップル)やマイクロソフトはデータ活用に長けた人材を採用しています。しかし、ECへの設備投資がマストなはずの化粧品メーカーではそうした人材の採用に積極的という話はあまり聞きません。化粧品は、製品開発には科学的視点があるけれど、データ活用にはあまり投資できていないのではないでしょうか。
WWD:データ活用に長けている企業の例は?
崔:他業界ですが、星野リゾートなどは外注していたシステム開発や運用の内製化に舵を切り、システムの改善や運用、インフラ構築、開業のスピードを上げて急成長しています。データ活用によってカスタマージャーニーを可視化し、アフターコロナ、ウィズコロナを見ていかないと、これから新客を獲得するのは難しくなるでしょう。組織が硬直化して、たくさん売った人、売れる製品を作った人が偉くなるという構造になっていると難しいかもしれません。銀行業界でもフィンテック(金融サービスと情報技術が結びついた革新的な動き)が進んでいるといわれますが、既存の組織の壁が厚すぎてなかなか進まない状況でした。そんな中、三菱UFJ銀行が一歩進んだのですが、代表取締役にIT部門出身の人が就いたのが大きかったように思います。化粧品業界でもデータ活用を専門とする人材が執行役員や取締役になったら本気度が見えて変わってくると思います。人材の多様化はより必要になるでしょう。
BLM運動への
リスクマネジメントが求められる
WWD:最近ではアメリカでデモ運動が活発化しているBLM(Black Lives Matter=黒人の命は大切)の問題も化粧品業界に影を落としている。ESG投資(従来の財務諸表だけでなく、環境、社会、ガバナンスの3つの観点から企業の将来性や持続などを分析・評価した上で投資先を選別する投資手法)が拡大している流れでは、避けて通れない問題になる。
崔:日本ではまだマイナーですが、欧米ではESG投資がますます広がりをみせています。クリーンビューティといった、いかに環境に配慮しているかという流れはこれまで通り続くトレンドになりますが、今回のBLM運動の影響も大きいと思います。日本やアジアで美白化粧品が売れなくなったら相当なダメージになります。ジョンソン・エンド・ジョンソン(Johnson & Johnson)が美白化粧品の販売中止を発表しましたが、ESGの流れの中で美白化粧品の在り方は今後、リスクマネジメントが必要になるでしょう。多様性をどううたっていくのか。これまで美しさの基準が“明るい肌”“しみ・シワのない肌”“ピンとハリのある肌”など、アンチエイジングの思想も含めてステレオタイプでしたが、「ありのままでいい」「みんな違っていい」というムーブメントが高まる中で、化粧品業界の変化が試されます。BLM運動の影響が欧米諸国だけではなくアジアにどう及ぶのか、今後を注視したいと思います。
WWD:インバウンド消費の回復の見通しは。
崔:昨年中国で施行された新EC法でインバウンド消費が落ち込んでいましたが、新型コロナにより渡航ができない、訪日できないという状況にまでなるとは想定外だったと思います。今年後半からインバウンド関連の倒産はもっと増えてくるでしょう。インバウンド向けに商売をしていた小売店が消失しまうことが心配です。4年、5年の長期的に見ればインバウンド消費は確実に回復していくと思いますが、免税店のラオックスの事例もそうですが、いざインバウンドが回復したときにそのためのチャネルを回復するのが大変になると思います。小売店の連鎖倒産が化粧品業界にとって影響は大きいです。インバウンド消費の回復のスピードはコロナのワクチンが開発されるかどうかや、航空業界の動向、外交問題にも左右されますので、国内販売以外、中国やアジア諸国など、アウトバウンドを含めてリスクを分散させていくことになると思います。ですが、今年、来年は販路を広げるのも難しい状況でしょう。なので今のうちにこれまでの顧客データを店頭とECのチャネル間でどう一元化するか、販売チャネルを拡大したときにどう新客を獲得していくか――を念頭に置いて、そのためのデータ活用に注力していくというのも戦略の一つだと思います。