ファッション
連載 鈴木敏仁のUSリポート

ヴィクトリアズ・シークレットは時代を作り、時代に追い越された 鈴木敏仁のUSリポート

 アメリカ在住30年の鈴木敏仁氏が、現地のファッション&ビューティの最新ニュースを詳しく解説する連載。今回は、このほど投資会社に売却されたヴィクトリアズ・シークレット。あれほどの輝きを放ったブランドはなぜ失速したのか。

 Lブランズ(L BRANDS)傘下のランジェリー専門店チェーン、ヴィクトリアズ・シークレット(VICTORIA'S SECRET)の株式55%を投資会社に売却すると発表したのは2月のことである。買収するのは投資会社シカモア・パートナーズ(SYCAMORE PARTNERS)で、買収額は5億2500万ドル(約556億円)だ。Lブランズの会長兼CEOのレスリー・ウェクスナー(Leslie Wexner)は退任して、取締役兼名誉会長に就任する。

 ヴィクトリアズ・シークレットの不調は5年ほど前からで、メディアもかなり書いており、周知の事実となっていた。デジタル戦略の遅れについてメディアに質問されたときに、ウェクスナー氏が「人はモールに来る、リアルで十分だ」と強弁していたのを覚えている。80歳を超えてそろそろこの人も老害の域に入ってきたなと感じたものだ。

 いまだ45%を所有しているとはいえ、筆頭株主として管掌することはできなくなったため、ヴィクトリアズ・シークレットの再建はシカモアの手に委ねられることになった。しかしウェクスナー氏がほんとうに手を引くのか、院政を敷くのでないかという見方も強く、いまだこの企業の未来は混沌としているのである。

 ヴィクトリアズ・シークレットの売上高のピークは2016年の77億8100万ドル、店舗数は15年の1131店舗である。Lブランズは決算資料で単位面積当たりの売上高を公開しているのだが、スクエアフィート当たり売上高のピークは15年の864ドルとなっている。実は11~13年前あたりをピークとしていったん数値が下り始めたことがある。06年にCEOとなったシャレン・ターニー(Sharen Turney )氏がこの成長の踊り場を乗り越えて再び成長軌道に乗せた。そんな経緯があったのだが、16年にターニー氏が辞任し、ここから同社の迷走が始まっている。

 ターニー氏の辞任は突然のことで、その理由については憶測の域を出ない。ウェクスナー氏と確執があったのか、トレンドの変化についていけなくなって自ら降りたのか分からないのだが、一般的にはターニー氏を失ったことがヴィクトリアズ・シークレットの終わりの始まりだったといわれている。

 同社の成長は80年代からスタートした。それまでベージュや白が主体だった当時のランジェリー市場で、ファッション性の高いデザインで登場し、いわば真空地帯を突き進むように一気に成長したのであった。

 潮目が変わったのが2010年を超えたあたりからで、よりナチュラルなスポーツブラやブラレットがはやり始めて、セクシーなプッシュアップブラが過去のものになってしまった。ちょうどこの時期に、モデルを使った広告でレタッチを駆使していることが喧伝されたりして、加工された美しさが批判され始めて、自然のままが美しいという美意識の変化が起きている。

 セクシーなランジェリーを着たモデルにランウエイを歩かせる、派手なファッションショーを毎年開催し注目を浴びるといった有名なマーケティング手法も、この新しいトレンドでは逆効果となってしまった。

参入障壁が下がってライバルが成長

 この時期に新興ブランドや企業が続々と生まれたが、トレンドそのものがシンプルなので、参入が容易で競合が一気に激しくなったのであった。例えば06年にアメリカン・イーグル・アウトフィッターズ(AMERICAN EAGLE OUTFITTERS)が開発したランジェリーブランド「エアリー(AERIE)」は、修正した派手な広告画像を使うのをやめ、さらにいろんな体形のモデルを採用することで急成長している。量販店のターゲット(TARGET)が昨年投入したのも新しいランジェリーのPB(プライベートブランド)ラインで、予測年商は10億ドルである。

 デジタルネイティブの企業もどんどん登場している。12年創業で急成長しているのが「アドア・ミー(ADORE ME)」で、16年にはマンハッタンに店舗をオープンしている。またヴィクトリアズ・シークレットに次ぐネット通販ランジェリー売上高を標榜しているベア・ネセシティーズ(BERE NECESSITIES)を昨年10月に買収したのがウォルマート(WALMART)で、さらにアマゾン(AMAZON)は「メイ(MAE)」と呼ぶPBラインを開発している。

 高価格帯にはサードラブ(THIRD LOVE)やライブリー(LIVELY)という企業が伸びている。

 低価格帯、高価格帯、ネットと四方に競合が生まれて囲まれてしまい、自らはトレンドの変化に対応できずにじり貧に陥ってしまった。これがヴィクトリアズ・シークレットの敗因なのである。

ファストファッションの原型をつくったウェクスナー氏

 レスリー・ウェクスナー氏はいまのアパレル専門店業界の礎を作った人だと言っても過言ではない。

 1963年にリミテッド(LIMITED)を創業、デパートメントストアが強く、女性の衣料も多様なカテゴリーを一つの店舗で売るのが常識だった時代に、ウェクスナー氏は品ぞろえをモデレートプライス(手頃な価格)のスポーツウエアに限定した。アメリカのスポーツウエアとは普段着のこと。ここにカラフルなファッションを取り入れたのであった。リミテッドという社名はこの”限定”から来ている。

 また卸会社を買収し、製造も手がけて自社ブランドを開発し、また商品の投入サイクルを早めて回転を上げるという仕組みを作り上げて成功した。専門店チェーンによるPB開発も、サイクルを短くするという取り組みも、当時は他にはなくてリミテッドがパイオニアだった。いまのファストファッションの原型を作ったのである。

 多角化にも積極的で、買収、またはゼロからの開発で多数の専門店を生み出していった。その中でヴィクトリアズ・シークレットとバス&ボディワークス(BATH & BODY WORKS)が大きく成長。この2つに軸足を徐々に移して他のブランドを次々に売却し、最後に残ったリミテッドを投資会社に売却したのが2007年のことである。

 次々とブランドを生み出し、または買収し、成長させて、乗り換えていく、という戦略こそがウェクスナー氏の真骨頂なのである。だとするならば、2010年の頃にシンプルさを主軸に据えた次のランジェリーブランドを開発または買収すべきだったのだが、それができなかったのは彼の経営力がすでにピークを越えて下り坂にあったからなのだろう。

 リミテッドでアパレル業界に革新を起こし専門店を集積した一大帝国を築き上げたウェクスナー氏が、最後にバス&ボディワークスだけ残して消えてゆく姿に、時代の流れというものを感じて感慨深い。

鈴木敏仁(すずき・としひと):東京都北区生まれ、早大法学部卒、西武百貨店を経て渡米、在米年数は30年以上。業界メディアへの執筆、流通企業やメーカーによる米国視察の企画、セミナー講演が主要業務。年間のべ店舗訪問数は600店舗超、製配販にわたる幅広い業界知識と現場の事実に基づいた分析による情報提供がモットー

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