
モード誌で活躍してきた“エイミー”こと、龍淵絵美ファッション・ディレクターがThreadsでつづっていた“#モード編集者日記”が反響を呼び、書籍化。「ファッションエディターだって風呂に入りたくない夜もある」が3月5日に発売される。映画「プラダを着た悪魔」よろしく、日本のモード界をけん引してきた女侍(ファッションエディター)たちの群像劇から、仕事と育児の両立やキャリアパスの悩み、自分の中にいる“呟きちゃん”の本音の独り言まで、1人の女性の生き方が凝縮されている。“キラキラ&かっこいい”イメージのモード編集者だって、“風呂に入りたくない”夜もある。発売前に龍淵氏にインタビュー。その内容について聞いた。(この記事は「WWDJAPAN」2025年3月3日号からの抜粋で、無料会員登録で最後まで読めます。会員でない方は下の「0円」のボタンを押してください)
PROFILE: 龍淵絵美/ファッション・ディレクター

Amy’s HISTORY
1972年 3人姉妹の長女として誕生

1991年 立教大学へ進学
1993年 編集者に憧れる

1995年 流行通信社に新卒入社
1997年 脱サラ→フリー→「フィガロジャポン(MADAME FIGARO.JP)」に勤務
1999年 仕事も慣れて絶好調
2002年 編集者として伸び悩む
2003年 塚本香氏が「フィガロジャポン」に復帰。激務で眠れない日々を過ごす
2007年 結婚を意識し始める
2008年 なんとか結婚
2009年 第1子を出産
2010年 「フィガロジャポン」を退職しフリーランスになる。「エル・ジャポン」に関わる
2011年 「エル・ジャポン」編集部と契約
2012年 第2子を出産
2013年 「ハーパーズ バザー(Harper's BAZAAR)」と契約。創刊後再びフリーランスに
2016年 「エル・ジャポン」をはじめ各社契約の仕事スタイルへ
2018年 仕事と育児にバランスのとれたライフスタイル
2020年 新しい働き方を模索する
2022年 父が死去
2023年 「モード編集者日記」の編集をThreadsで開始
2025年 書籍化決定! 出版
「映えない自分も価値がある」
WWD:Threadsで(「誰にも頼まれていないのに」と書いていたが)、これまでの自分歴史をつづろうと思ったきっかけは?
龍淵絵美(以下、龍淵):最初のきっかけは2022年の父の突然死。人はいつどうなるか分からないということや人生の終わりを意識するようになりました。そうなると娘たちに何か母の生き方を言葉で伝えておいた方が良いのでは?という気持ちに。そうこうしているうちに23年にThreadsがスタート、なんとなく書き始めます。24年には「エル・ジャポン(ELLE JAPON)」創刊35周年ということもあり、日本のモード誌の変遷や後輩たちへのメッセージも残しておきたいなと考えるようになりました。書きすすめるうちに、500ワードの文字数は雑誌でいうところの本文相当ゆえThreadsは何か主題を持って取り組めるSNSだと気づき、自分のライフテーマである「女性の生き方」を娘や後輩へ伝言するには良い感じと思うように。最後に本気の執筆スイッチが入ったのは、23年末に起きたちょっとしたプライベートでの嫌なことでした。自分の時間の使い方や現在いる場所に疑問が湧いてきて、それを「まぁいいか」と流せなかったのは働く女性としてのプライドがムクムクと頭をもたげてきてしまったのだと思います。そこからはある種の使命感にかられ、「女性と仕事と幸せ」を考察し続けた過去から現在までを、夢中で書いてしまいました。3段階に分かれて、スイッチが入っていった感じです。自分語りで終わらずさまざまな女性の取材へと発展、女性の生き方伝道師として現在も続けています。
WWD:Threadsでの投稿時点での反響は?
龍淵:ギャップがすごいというのはよくいわれましたが、こんな映えない自分を全開にする必要もなければそんな需要があるわけもなく……。書籍のあとがきにも書きましたが、私は若いころから心の中には「呟きちゃん」を飼っていて、日々の人間関係や女同士の意地の張り合いや争いに、ついつい合戦名をつけたり、つらい状況を自虐的な笑いに変えてしまう妙な癖がありました。でも誰の中にもギャップと「呟きちゃん」は存在するのではないでしょうか?私の場合は世間にひた隠しにしてきたそれらが、書くという内省的な行為により、もう抑えきれないくらい巨大化してしまいました。年齢的にもそんなへんてこりんな自分を解放しても良いタイミングだったのかもしれません。老若男女、映えを追いかける世の中ですが、書きつづって思うことは「映えない自分も価値がある」ということです。
#モード全開スタイル
#風呂キャンセル界隈スタイル
WWD:Threadsをスタートした当初は書籍になると想像していた?
龍淵:途中から絶対書籍化しようと決めていました。なんのあてもなかったですが、先に決意。そこから500ワードきっちりでアップしていきました。不思議と気持ちが折れることは一度もなく、編集者歴30年、自分の書いた記事が掲載されたものはずっと値段がつけられ売られてきたわけですから、「私はプロとしてこれをやりきろう」という強い信念がありました。
WWD:結婚するまでの「プラダを着た悪魔」(のアシスタント)期の「仕事第一のモードな女侍生活」から結婚、出産、育児を経て“女侍”はどう変化していったと振り返る?また、振り返って見えてきたことや分かったことは?
龍淵:子ども1人の時は、「子どもを理由に仕事を断ったりできない、死んでも言いたくない!」と、意地みたいなものがありました。2人目になってから、子どもの行事を優先しながら仕事を組むようになりました。それが実現できる職種と環境を作りました。
#2007年「権之助坂の変」
WWD:モード誌の編集者というとさっそうと仕事をこなすようなかっこいいイメージを持つ人も多いと思うが、子育てと仕事の両立や、それに伴う働き方の選択に悩むなど、その時々の本音にとてもリアリティーがあった。
龍淵:私は自分というアイデンティティーを考えた時に、仕事以外大してパッとしたことが何もなかった。お料理やボランティアなど、仕事以外に夢中になれるものがあったらまた違ったのかもしれません。アイデンティティー、プライド、インディペンデンス。私にはこの3つが生きていく上では必要で、一時的に仕事を休んだり抑えたりしたとしても、何かしら社会的にアクティブでいないと自分が自分でいられない。これまでいろんな女性を見てきて、今後多様な価値観で幸福を追求するだろう次世代を見守っていますが、女性同士が同質化を求めず、足を引っ張らず、応援しあう社会になってほしいです。
WWD:「プラダを着た悪魔」のような世界は日本でもある?あったとしても今は変わってきている?
龍淵:ライトにまだあると思いますよ。でも働き方改革、ハラスメントコンシャス、人手不足で上司が部下に気を遣う時代にはなりました。
WWD:巻末に後輩女性へ10のメッセージを書いているが、その中でも特に強調したいことは?
龍淵:1つに絞るのは難しいですが…子育てや環境の変化で自分を諦めないことですね。