1月13日、約3年ぶりとなる単独来日公演を新代田FEVERで開催したロンドンを拠点に活動する日本人4人組によるバンド、BO NINGEN。2000年代半ばにロンドンで結成され、海外を主戦場に活動を続けて20年近く。前半の第1部を2012年発表の2ndアルバム「Line the Wall」の全曲再現ライブ、後半の第2部を新曲と過去曲で構成したその日のステージは、BO NINGENにとって、これまでの歩みを振り返ると同時に、バンドの現在地を見定める機会になったという。
サイケデリック/クラウトロックの反復とノイズ・ロック的なダイナミズムを基盤に、ベース/ダンス・ミュージックの要素を取り込みミニマルな構造の探求やポップなフックと実験性の両立へと発展を遂げ、広がりと深化を併せ持つ独自の音響空間を築き上げてきたサウンド。そして、長尺のドローン/ジャムから轟音へとなだれ込むダイナミクス、即興性と緊張感がせめぎ合う身体的強度、ノイズが空間を渦のように満たしトランス的な没入感へと導くライブ・パフォーマンス。サヴェージズとの共演やボビー・ギレスピー(プライマル・スクリーム)の制作参加に象徴される英国シーンとの接続性も含めて、デビュー作の「BO NINGEN」(2010年)から現時点の最新作である「Sudden Fictions」(20年)、さらには奇才アレハンドロ・ホドロフスキーのカルト作のサウンドトラックを再解釈した「The Holy Mountain Live Score」(24年)に至るまで、彼らの音楽的軌跡とその余波は、「海外で活動する日本人バンド」という安易なレッテルを超えた存在感と同時代性を示すものだと言っていいだろう。
現在、来るべきニュー・アルバムを制作中だというBO NINGEN。彼らがいま見据えているもの、その先に広がる音楽の景色、そしてバンドを取り巻く多層的な領域への広がり、さらには「アジア人としてのアイデンティティー」というテーマについて、ボーカリスト/ベーシストのTaigen Kawabeに話を聞いた。
2ndアルバム「Line the Wall」の再現ライブ
——今回の新代田FEVERでの来日公演は2部構成で、前半では2ndアルバム「Line the Wall」の再現ライブが披露されました。あの作品を選んだ理由は何だったのでしょうか。
Taigen Kawabe(以下、Taigen):きっかけは去年の「Roadburn Festival」(オランダ)ですね。「Roadburn」では、メインやセミメインに出演するバンドに対して「特別なコンセプトのセットを組んでほしい」というリクエストがあるんです。実はその前年に出演した際、僕らはインプロ寄りでヘヴィな側面を強調したセットをすでにやっていて。「Roadburn」自体がメタル寄りのフェスなので、その文脈は一度提示していたんですよね。そこで今回は、もう少しコンセプトとして明快なものを、という話になり、フェス側から「(2ndアルバムの)『Line the Wall』の再現はどうか」と提案を受けました。
正直、最初は迷いました。でも、いま改めて見直すことには意味があるんじゃないか、とも思ったんです。「Line the Wall」の曲は今もライブでよく演奏していますし、例えば最後に演奏することの多い「Daikaisei」や「Henkan」は、お客さんから「あのラストの曲はどのアルバムに入っているんですか?」と聞かれることも多い。ライブの印象と強く結びついているアルバムなんですよね。
——なるほど。
Taigen:音源としても、1stアルバム(「Bo Ningen」)は自分でミックスした部分が多かったのに対して、「Line the Wall」ではプロダクションの面でも、バンドの音としても一段階上がった感覚があった。海外でも日本でも、バンドが広がっていった時期の作品というイメージが強いです。実際に「Roadburn」でやってみるまでは不安もありましたが、手応えは良かったですね。オランダでは、新曲のリハーサルと2ndアルバム再現のリハーサルを2日間並行して行ったんですが、そのコントラストが本当に面白かった。新曲にだけ向き合っていると、「過去を繰り返してはいけない」という意識がどうしても強くなる。でも現在だけを見続けていると、行き詰まる瞬間もある。その両方を同時に行ったことで、バンドとしての視界が広がった感覚がありました。
——「Line the Wall」は、現在のフィーリングとつながりつつ、次へのヒントも与えてくれる作品だった、と。
Taigen:そうですね。最近のライブでは必ずジャムを1曲挟んでいるんですが、それが今自分たちがつくっているものに一番近い。その現在地と「Line the Wall」が自然につながっていたんです。そこを見せたかった、というのも大きいですね。
——後半の第2部では、新作の楽曲と過去曲を織り交ぜたセットが披露されました。
Taigen:はい。ただ、「過去のベストを並べる」というよりは、日本ではまだあまり演奏できていなかった曲を中心に組み立てた、という感覚のほうが近いですね。自分は、作品はリリースして終わりではないと思っていて。ライブを重ねることで育っていくものだし、発表後に“ライブで化ける”曲もある。そういう現在進行形の変化を、日本でもきちんと見せたかったんです。それは今回すごく大きなテーマでした。
——結果として、BO NINGENというバンドの「現在地」を確認すると同時に、これまでの歩みを振り返る機会にもなったのではないでしょうか。
Taigen:それは本当に大きかったですね。新作をつくる過程でも、メンバー間でそういう話はよくしています。特に去年は、楽器のアプローチやドラムの方向性、僕自身のボーカルの在り方など、「いま自分たちはどんなモードにいるのか」をかなり話し合いました。メンバーそれぞれの変化もありますし、バンドとして変わってきている部分もある。そのなかで過去の作品を改めて見つめ直し、現在と対比できたことは、とても良い経験だったと思っています。
約20年、音楽的変化
——BO NINGENは活動を始めて、20年近くになりますよね。
Taigen:2007年からなので、もうすぐ20年ですね。
——かなり長いスパンになりますが、BO NINGENとして音楽的にどんな変化を積み重ねてきた実感がありますか。
Taigen:1stは、どのバンドもそうだと思いますが、「アルバムにできる状態の曲の中から選ぶ」という感覚が強かったですね。明確なコンセプトが先にあったわけではなく、「この曲たちをどう並べるか」が中心でした。2ndはその延長線上にありつつ、1stの焼き直しにはしたくなかった。だからエンジニアをしっかり入れたり、録音を大きく変えたりと、プロダクション面でも意識的にアップデートしました。
個人的に大きかったのは、2008〜09年頃にUKのベース・ミュージック、特にダブステップのDMZのイベントに通い始めたことですね。そこから低音の捉え方が変わったし、クラブ・ミュージックの文脈が、ベーシストとしての感覚に強く入り込んできた。バンドとしても、2ndでは構成をより意識するようになった。8小節や16小節が基本なのに、なぜか24だったり、3の倍数で展開していたり、1回目と2回目で構造を変えたり。理屈先行というより、スタジオで詰めていく中で自然にそうなった部分も大きいですが、1stよりは確実に“考えて”つくっていました。
2ndから3rd(「III」、2014年)になると、さらに変化があって。2ndはライブを前提に作ったアルバムでしたが、3rdでは「アルバム作品としてどう提示するか」をより強く意識した。で、その頃から、自分たちのジレンマとして強くなったのが、「BO NINGENは音源もすごいけど、ライブはもっとすごい」という評価で。ありがたい言葉ではあるんですが、同時に、録音物としてもきちんと提示したい、という意識がどんどん強くなっていった。それが、1stから2nd、3rdと進むにつれて、よりはっきりしていった感覚があります。
——4作目の「Sudden Fictions」(2020年)は、「ロック・バンドとしての自分たちの位置づけ」を問い直した作品だったそうですね。
Taigen:そうですね。3rdから4thにかけては、アメリカで録音したりと、制作環境自体も変わりました。プロダクションの進化だけでなく、「バンドとしてどうするか」「楽曲としてどうあるべきか」という問いが、より大きくなった。
今は、パソコン一つで完結する音楽――トラックメイク、DJ、ラップ――が当たり前になっていて、音楽を始める入口も多様になっている。以前は「音楽をやりたい=バンド」という感覚が強かったけど、今はそうじゃない。そうした状況の中で、“バンドをやることの意味”は世代を問わず変わってきていると思います。僕自身、ソロでトラックをつくったり、DJをやったり、即興で歌ったりしているからこそ、逆にバンドを続けられている部分もある。もしBO NINGENが、もっと分かりやすく特定のロック/メタル・シーンだけで活動していたら、個人的には息苦しくなっていたかもしれない。
それに、最近は日本でも、バンドをやりながらクラブ・シーンと自然に行き来する人が増えてきていて、それがすごく面白い。ソロ活動の文脈でよく顔を合わせるバンドマンで言うと、D.A.N.の(市川)仁也くんは特に交流が多いですね。一緒にDJイベントに出ることも多いですし、自分が食品まつり(Foodman)さんと組んでいるデュオ(Kiseki)の制作を進めている中で、食品さんと仁也くんが2人でデュオをやっていたりもする。そこにNTsKiちゃんが加わって、クルー的にいろんなイベントへDJやライブで出る、という組み合わせも生まれています。D.A.N.はボーカルの(櫻木)大悟くんもソロで活動していますし、この前はDJも一緒でした。
——D.A.N.もBO NINGENも、バンドではあるけれど、いわゆる“バンド然”としていないというか。
Taigen:そうですね。一方で、仁也くんも関わっているDos Monosのように、ヒップホップの文脈にいながら、バンド・セットでは実際にバンドマンをバックに呼んだり、自分たちでもギターを弾いたりしている。バンドとクラブ、その両方の方向から行き来が起きている感覚は、確実にあると思います。
例えばthe hatchのmidoriくんは本当に良いDJですし、この前ライブにも来てくれたGEZANのマヒトも、クラブでよく見かけます。“いま、バンドをやる意味”という問いに関して、D.A.N.もGEZANもそれぞれ真剣に考えていると思うんですけど、そこから出てくる答えや表現が全然違う。その違いこそが、今のバンドの面白さなんじゃないかなと思っています。
自分自身も、バンドから見たクラブ、DJやラップのシーンに対するリスペクトと同時に、どこかにある“勘違い”や“ファンタジー”みたいなものを、ソロ活動ではあえて引き受けてやってきた部分がある。その中で得たものを、またバンドに持ち帰る――という循環もあります。
今、バンドをやる意味
——そうした周囲の状況や自身のモードを踏まえた上で、今のTaigenさんが「バンドをやる意味」をどういうところに見出しているのか、興味があります。
Taigen:“問い続けること”ですね。4人それぞれがその時点で違う答えを持っていて、それをすり合わせながら続けていく。そのプロセス自体が「バンド」なんだと思います。
特にライブでは、「これはバンドでしかできない」という表現が確実にある。ソロでも自分は出せますけど、バンドだからこそ引き出される自分、というのも確実にある。僕はあまりオン/オフを切り替えたり、キャラクターやコンセプトをつくるのが得意ではないので、なおさら“バンドでやる意味”を常に考えている。それに、BO NINGENという軸があるからこそ、ソロやサイド・プロジェクトも健全に続けられるし、その逆も同じ。もしそれがなくなってソロだけになったら、まったく別の自分になると思う。その感覚はすごく強いです。
“分かりやすい日本性”にならない
——BO NINGENは結成以来、ロンドンを拠点に活動を続けていますよね。“日本人のバンド”が海外で20年近く活動を続けるのは相当タフだと思うのですが、ただ、BO NINGENは当初から批評的にもポジティブな評価を受けていた印象があります。
Taigen:ライブに関して言えば、“外国人のバンド”というだけで、ある意味ディスりにくい部分はあったと思います。「うるさい」とか「訳が分からない」とかは別として、音楽好きからすると「うおっ!」となる衝撃は最初からあった。ただ、初期は普通に紙コップが飛んできたり、「音止めろ!」みたいな反応もありました。それでもやる、という反骨心は強かったですね。
当時、イギリスのインディー・ロックに対して自分は強い違和感があって、その反面教師的な感覚が1stの原動力だったと思います。イースト・ロンドンで活動していた頃、ホラーズのファリスが支持してくれたこともあって、「過激なもの」「アジア人で、この音」という文脈で、ファッション的にクールなものとして見られた時期もありました。でも、そこに寄せることはなかった。すでに自分たちなりのコンセプトはできていたので、需要と供給のズレが起きなかったのは大きかったと思います。アルバムとライブの評価のバランスが一番取れていたのは2ndあたりで、そこから一気に広がった実感はありますね。
——先日の公演後はアシッド・マザーズ・テンプル(Acid Mothers Temple)に帯同されていたそうですが、その河端(一)さんや、過去に共演されたダモ鈴木さん、灰野敬二さんなど、海外で活動してきた“先人”から学んだこともあったのではないでしょうか。
Taigen:めちゃくちゃ大きいです。僕らは18歳でイギリスに行っていて、楽器を始めたのも15歳。最初はバンドものが入口でしたが、渡英直前にスティーブ・ライヒやブライアン・イーノといった現代音楽を聴き始めて。もともとキング・クリムゾンが大好きで、ロバート・フリップのソロ作のライナーノーツにインフルエンスとして挙げられていて名前を知ったんですけど。ちょうど価値観が切り替わる時期でした。ロンドンでは大学でサウンド・アートを学んでいて、日本のノイズやアヴァンギャルドを“海外の視点”で捉える経験ができたのは大きかったです。海外の人がなぜこれをエクストリームでかっこいいものと思うのか。日本ではアンダーグラウンドとして見られていたものが、海外ではアートや高踏的な文脈で受け取られている。その距離感がすごく面白かった。
アシッド・マザーズ・テンプルについては、自分が大学生時代に河端さんがうちに泊まりに来たこともあって、直接話を聞くことができました。そこで印象的だったのが、「ジャンキーはいいドラッグ・ディーラーになれない」という言葉。音楽も同じで、ぐちゃぐちゃになってハードルを下げてしまうと、表現そのものが壊れる。その感覚は、自分がずっと思ってきたことと重なっていました。だから「サイケデリック」と言われながらも、ドラッグと直結しない、新しい定義のサイケデリックをやりたいという意識が、特に初期のBO NINGENには強くありました。そうした考え方は、河端さんの言葉やインタビューから直接影響を受けていますし、メルツバウ(Merzbow)の秋田さんが語っていた“勘違い”や“ファンタジー”という概念も、今の自分たちの表現に深くつながっています。今はコンプラ的に「Abuse」という言葉はよくないかもしれないけど、ある種の”濫用”や”誤用”というか——「やばいところまで行ってるな」と思う瞬間は、秋田昌美さんの音楽や思考からも相当学んでいますね。欧米のロックやサイケ、プログレからの影響を受けつつ、情報が十分にない時代の“誤読”によって、さらに過激なものへと変質していく。その系譜にアシッド・マザーズ・テンプルがいて、BO NINGENもおそらく同じ流れの中にいる。海外の人からすると、それはまったく新しいジャンルとして立ち上がって見えるんですよね。
——そういえば、「ルー ダン(LU’U DAN)」というブランドのベトナム系デザイナーのハン・ラー(Hung La)とTaigenさんが対談していた記事を読んだんですが、“海外でのアジア人男性のイメージ”、異国で生きるアジア人としてのアイデンティティーをめぐる話がとても印象的でした。そうした意識は、BO NINGENの活動や音楽にも反映されているのでしょうか。
Taigen:めちゃくちゃ反映されていますね。ただ、特に初期は“分かりやすい日本性”にならないように、かなり気をつけていました。10年くらい前って、アイドル全盛期でもあって、同時に「クール・ジャパン」という言葉が出てきた時期でもあった。海外で活動する中で、自分は結構そういうカルチャーも好きだからこそ、そこに一括りにされるのは、逆に避けたかった。パッケージとして「日本」「アジア」になってしまうともったいないし、ジャンルに収まらないこと自体が自分たちの武器だと思っているので。確かに、イベントを組む時に「分かりづらい」というマイナスはあります。でも、それ以上に強みだと思っている。だからクール・ジャパン的な文脈に膨らまないように、という意識は常にありました。
一方で、「アジア人だからこそ」という部分も確実にあって、それは音楽性の選択にも出ています。これはかっこ悪い、これは絶対にやらない、逆にここはめちゃくちゃかっこいい、という判断基準があって、それがさっきも話した、当時のイギリスのインディー・ロック・シーンではなく、クラブ・シーンやグライムなど別の文脈の音楽に惹かれた理由でもある。取捨選択の結果として、「アジア人だからこそ、こういうことができるよね」という感覚は、かなり意識していたと思いますね。
この10年でのUKインディー・ロック・シーンの変化
——その、当時のUKインディー・ロック・シーンに対する違和感って、サウンド的にも合わなかった?
Taigen:それもありましたね。あとは、アティチュードがそのまま楽器の鳴らし方に出ている、というか。特にリズム隊。リズムやグルーヴが、当時はすごく単調に感じてしまうことが多くて、UKのバンドを聴きながら「グルーヴ、どこ行った?」って思ってた。そこで気づいたのが、「あ、グルーヴはクラブにあるんだ」ってことだったんです。バンドじゃなくて、クラブ・ミュージックの現場に行くと、身体を動かすためのリズムがちゃんとあった。だから自分は、そっちに惹かれていった。
それが変わったと感じたのが、10年くらい経ってから、ブラック・ミディみたいなバンドが出てきた時ですね。「あれ? UKのリズム隊、こんなにカッコいい奴らいたっけ?」って(笑)。ブラック・ミディ周辺のサウス・ロンドンのシーンは——今自分もサウスに住んでるんですけど、クラブ・シーンの盛り上がりと直結しているし、バンドの子たちもクラブ・ミュージックとの距離が近い。たぶん、10年前の自分が感じていた違和感へのカウンターとして、ちゃんと新しい世代が答えを出してきている。今の若いUKバンドを見ていると、リズム隊が再び“熱く”なってきている。その変化を現場で見られているのは、すごく面白いですね。
——ブラック・ミディといえばダモ鈴木さんとの共演盤もありましたが、あのシーンのリズム隊にはジャズやベース・ミュージックの要素も入っていますよね。
Taigen:そうですね。ブラック・ミディを初めて観たときもそうだったんですけど、実は最初に衝撃を受けたのはウー・ルー(Wu-Lu)で。曲によってはSPDを叩いたり、ドラムが2人いたり、発想自体がすごく面白いし、全員で歌う曲もあって。単純に、イギリスのバンドにちゃんとグルーヴが戻ってきた感じがして、すごく嬉しかったですね。自分はクリムゾンとかツェッペリンみたいなバンドを現役で観られたわけじゃないので、若いUKバンドで、しかもグルーヴがあって、ライブハウスで体感できる存在が増えてきているのは本当に面白い。「あ、この系譜はちゃんと続いてるんだ」って。たしかコロナ禍の一発目のフェスだったと思うんですけど、そのときたまたま、最近亡くなってしまったブラック・ミディの元メンバーのマット(・クワシニエフスキ=ケルヴィン、今年1月に急逝)がウー・ルーでギターを弾いていたんです。
——そうなんですね……実は一昨年にウー・ルーにインタビューする機会(※)があって、その時にマットがソロ作品をつくっているって話を聞いていて。
※「新たな“ミクスチャー”スタイルで話題のアーティスト、ウー・ルーが語る「スケートやグラフィティ・シーンから受けた多大なる影響」と「コミュティの大切さ」
https://tokion.jp/2023/12/15/interview-wu-lu/
Taigen:そうなんですよ。ウー・ルーのスタジオで制作しているところを聴かせてもらったこともありましたし、あともんちゃん(※ Akihide Monna、Dr)と自分とマットの3人で、即興ライブをやったこともあるんです。一昨年と昨年ですね。だから、個人的にもかなりショックが大きくて。
ソロ作品もかなりできていた印象があって、それを完成した形で聴いてみたかったという気持ちは正直あります。ただ、その後マットと周囲の関係がどうだったのかは分からないし、亡くなったあとにデモや未完成音源をどう扱うべきかは、本当に難しい問題だと思います。本人の意向が確認できない以上、完成させることが正しいのかどうかも一概には言えない。そのあたりは、ロンドンに戻ったらウー・ルー周辺の人たちとも話してみたいですね。
——Taigenさんから見て、マットでどんなミュージシャン、どんな人でしたか。
Taigen:マットはすごく内向的な人だったんですけど、そのキャラクターがステージに出たとき、一気に爆発するタイプで。BO NINGENとしてフェスなどで共演したときは、ギタリストとしての突破力が本当に印象的でした。リードギターというより、ステージ上での“存在感”としてのギターというか。ウー・ルーで聴いた時も感じたんですけど、内向的だからこそ、ステージでしか出せない何かがあったんだと思います。その感じに、イギリス人と日本人って、器用貧乏なタイプのミュージシャンが多いと思うんですけど、マットはその中でも珍しく、はっきりした“爆発力”を持った人だった。
本当はもっと一緒にやりたかったし、ソロ作品も聴きたかった。3人でやった即興演奏も、おそらくローカルのスタジオに録音が残っているはずなので、もんちゃんや遺族の方とも相談しながら、どう扱うべきかを考えたいと思っています。表に出すかどうかは別として、形として残っていること自体はありがたい。でも、継続していきたかったし、未来を一緒に見ていた存在だったからこそ、言葉にするのが難しいくらい、今でも大きな喪失感があります。
新代田FEVERでの再会
——先ほどマヒトさんの名前が出ましたけど、マヒトさんとは、刺激を受け合うというか、お互いに意見を言い合ったりする関係なんですか。
Taigen:マヒトとは、バンド同士で対バンしてツアーを回っていた時期を考えると、もう10年くらい前になるんですよね。ただ、クラブではちょくちょく見かけるというか、パッと会って少し話す、みたいなことはずっとありました。でも、ライブをちゃんと見てくれたのは本当に久しぶりで。バンドについて「今どう?」みたいな話をちゃんとしたのは、今回のFEVERがかなり久々でしたね。お互いに、バンドはどうなのか、ソロでクラブの現場が増えてきたよね、とか。バンドを10年続けてきた中でのメンバー間のこととか、身の上話みたいな話題は、クラブでちょこちょこ話すことはあったんですけど、音楽そのものについて深く話したのは、本当に久々でした。
——Taigenさんから見て、今のマヒトさん、あるいはGEZANの音楽は、どんなふうに映っていますか?
Taigen:いや、もう本当に素晴らしいと思っています。「Important Records」からリリースされた10年前の1stアルバム(「It Was Once Said To Be A Song」)の、あの尖り方ももちろん好きで、「これ海外で聴かれても全然成立するじゃん」って思っていましたし、日本語詞でもう少し広い世代に刺さる曲もあった。最近はよりトライバルな方向にいっていると思いますし、たぶん今もまた変わってきていると思うんですよ。(2023年の)「フジロック」の中継を見ていても、さらに変化している感じがあったし。
その原動力って、きっと相当いろんなことを言われながらやってきた結果だと思うんですよね。特にバンド界隈からは、「文化人的な側面が強い」みたいな見られ方もされていると思う。他にいないタイプの人が、あれだけ多角的に活動して、しかも発言が、良くも悪くも、音楽を知らない人のところまで届いてしまう。でも、それを一人で背負っているのがすごいし、正確には一人じゃなくて、バンドとしてその渦を作って、武道館まで持っていったという意味で、音楽的にも、エネルギー的にも、単純にすごい。いろいろ言われるのは分かるけど、自分はすごく肯定的に見ていますし、ちゃんと“GEZAN”としてバンドを続けているという点で、単純にリスペクトしています。
新作に向けて
——最後に、2026年のBO NINGENについて伺います。現在、新作を制作中とのことですが、状況はいかがですか。
Taigen:曲によっては、アイデアの原型ができてからかなり時間が経っているものもあります。これまでメンバー同士でAbletonのデータを遠隔で送り合いながら制作してきた時期もあったのですが、それが想像以上に難しくて、思ったより時間もかかりました。リズム隊の2人はロンドンにいるので、まずはそこで変拍子や、これまであまり試してこなかったBO NINGENの新しいグルーヴについて、2人で集中的に詰めてみよう、というアプローチもしています。グルーヴや楽曲のフォルム、新たな試みといった部分は、少しずつ輪郭が見えてきたという実感があります。
個人的なテーマとして大きいのは、ボーカルとしてどう突き抜けるか、ということです。僕はボーカルを「楽器の一部」でもあり、「リードメロディー」でもあると捉えている。その両面をどうバランスさせるかが重要ですね。今日話してきたクラブからの影響、バンドとしての感覚、日本語と英語の問題――それらすべてをどう自分のボーカルに凝縮し、新作へ落とし込むか。そこは非常にパーソナルな課題でもあります。
ギターの2人に関しては、かなり方向性が固まってきていると思います。特にKohhei(Matsuda、Gt)は、バンドの中でもっとも幅広く音楽を聴いているタイプ。一方で僕は、より新しい世代の、いわば“ミュータント”的な情報過多の音楽に引っ張られることが多い。その感覚の差異が、作品として形になったときに自然と表れてくるんじゃないかと感じています。
その意味でも、今回のライブは非常に興味深い経験でした。FEVERには10年代からの友人も多く来てくれていて、あるベーシストの友人からは「ベースのクオリティーは以前から高かったけれど、今回はフロントマンとして何かが違った」と言われたんです。ソロでラップやDJをしてきた中で培ってきた“アジテーション”的な要素が、BO NINGENのライブにも反映されてきたのではないか、と。マヒトからも似たようなことを言われました。特にセカンドセットでは、「ちゃんと“これが自分たちだ”と投げられていた」と。観客が求めるものに応えるというより、自分たちの提示が確実に届いていた、という感触があったと言われたのは嬉しかったですね。あのライブの手応えを、どうプロダクションや楽曲制作に落とし込めるか。そこが、これからの鍵になると思っています。
——新作のヒントとして、Taigenさんが今どんなサウンドやテイストに関心を向けているのか、興味があります。
Taigen:やっぱり、いま一番多く聴いているのはクラブ・ミュージックですね。ただ、いわゆるディコンストラクテッド・クラブだけではなくて、自分にとってレイヴやクラブは、違法・合法を問わず“未知の音楽に出会う場所”なんです。
ビートの有無に関係なく、実験的なものはずっと好きですし、たとえばメルツバウのようなノイズもそう。ノイズでも踊れる感覚、いわば“パルス”のようなものを大事にしています。キックやスネアがなくても、音の切れ目や引っかかりで身体が反応する瞬間がある。だからジャンルで聴くというより、音の質感や衝動で聴いている感覚に近いですね。
——なるほど。
Taigen:それこそ昨日まで、ラッパーの釈迦坊主の家に泊まっていたんですけど、食品(まつり)さんと3人でゲーム音楽のイベントをやっていて、「ゲーム音楽の中でも、これは本当にヤバいものを見つけたぞ」みたいな話をずっとしていて。例えば、サウンドトラックとして正式にリリースされていないから、わざわざROMを買って吸い出して音源を抽出している人がいたりする。釈迦坊主の場合だと、同人ゲームのファイルを覗いてみたら、「無料で使っていいですよ」というフリー音源が入っていて、それがYouTuberにもよく使われているタイプの素材だったりするんですけど、実はその中身がとんでもなく面白かったりする。
自分は、Nash Music Libraryみたいな、いわゆるハードオフのBGMや業務用音楽を作っているライブラリー・ミュージックの世界もずっと好きで。あまり表に流通していない、掘られていないところに、異様にヤバい音が眠っていることが多いんですよね。最近だと、「終末百合音声」というシリーズの「イルミラージュ・ソーダ」という作品があって。声優さんが喋っているだけの音声なんですけど、サウンドデザインが本当に素晴らしい。その音源がどこで買えるかというと、一般的な音楽ショップじゃなくて、ASMRやBL、百合音声を扱っているDLサイトなんですよね。でも、音響作品として見たときの完成度が異常に高い。
こういう「売っていない音楽」「サブスクに存在しない音楽」の中に、自分はDJ的にも、プライベートでも、強烈な衝撃を受けることが多いです。だから、まだ誰も本格的に掘っていないであろう領域で、「こんなのあったぞ」って仲間内で共有する作業はずっと続けていますし、正直いま一番興奮している音楽体験かもしれない。それをどうDJに混ぜ込むか、どう現場で機能させるか。その実験が、結果的にバンドの表現にもフィードバックされていく。その循環は、すごく大きい気がしています。



