PROFILE: 山下有佳子/アートプロデューサー

京都の茶道具屋に生まれ、幼少期からアートを生活の一部として育ったアートプロデューサーの山下有佳子。オークション会社での勤務、ギャラリストとしての活動を経て、現代美術のアートフェア「アートコラボレーション キョウト(Art Collaboration Kyoto、以下ACK)のフェアディレクターとして4年にわたり舵を取ってきた。2025年の開催をもって、その役目を終える節目の年。山下は「ACK」を通して、日本、そしてアジアのアート界に、どのような価値を見出そうとしてきたのか。これまでの歩みを振り返りながら、その視座と原動力に迫る。
日本のクラフトマンシップに触れた幼少期が原体験
京都で茶道具屋を営む家族のもとに生まれた山下有佳子にとって、アートは特別なものではなかった。「現代美術、古美術、工芸といったジャンルは、本来すべてアートだと認識しています。掛け軸や作家による器などが日常にあり、クリエイティブなものに囲まれて育ちました。ファインアートについて家族と話題にすることも多く、この道に進むことは自然な流れでした」。
大学卒業後、山下はサザビーズロンドンの中国陶磁器部門でインターンを経験。帰国後はサザビーズジャパンで現代美術を担当した。オークションマーケットの最前線で、アートのエコシステムを体感する。2017年には、自身のギャラリー「THE CLUB」を設立。ギャラリストとしてアーティストと向き合い、作品を世に送り出す立場へと活動の軸を移した。「ギャラリーでは、アーティストをどう支え、どう価値を育てていくかを日々考えてきました。サザビーズ時代にオークションの市場を見てきた経験があったからこそ、“循環”するアート界を見る視点が自然と身につきました」。
「ACK」フェアディレクターとして培った4年間の経験
そうしたキャリアの延長線上にあったのが、「ACK(アートコラボレーション キョウト)」との関わりだ。その名の通りギャラリー同士がスペースをシェアし、現代美術を通して相互作用を生み出すコンセプトをメインとしたフェアである。それだけでなく、有名ギャラリーが単独でエキシビジョンを展開する2つの見所で大枠を構成している。
初年度はギャラリーとして参加し、2年目以降はフェアディレクターとして4年間携わった。山下にとって「ACK」は、これまで培ってきた視点をより立体的に発信していくための場であった。「ディレクター就任当初から、明確なビジョンがありました。日本のアート市場を国際的な文脈の中で対等に位置付け、次世代へと引き継ぐための基盤を築きたかった。さらにアートフェアを単なる展示や売買の場に終わらせないことを重視してきました。5回目を迎えた今回で一定の手応えを得られたのではないかと思っています」。
これらを形づけたのがトーク、キッズ、パブリックの3つのキーワードを軸にした「ACK Curates」というプログラムだ。「フェアでは、購入を目的としない方や、初めてその世界に触れる方も多く訪れます。その中で『記憶に残る体験』をどう設計するかが、ディレクターとしての最大のテーマでした。私にとって現代美術は『社会の鏡』です。だからこそ、その本質をくみ取りながら毎年テーマを設定し、京都という土地のローカリティーを重ね合わせてきました。それが『ACK』の輪郭を形作っていったのだと思います」。
歴史的建造物に新しい価値観を
その思想は、フェア会場を飛び越えて、京都の歴史的建造物を舞台にしたエキシビションでも体現されている。フェアと同時期に廣誠院で行われた展示では、「セイディ・コールズHQ(Sadie Coles HQ)」の主催により、所属アーティストであるイザベラ・デュクロ(Isabella Ducrot)の作品が紹介された。「ディオール(DIOR)」2024年春夏オートクチュール・コレクションの着想源にもなった94歳の作家である。「開催都市ならではのエキシビジョンをつくりたかった。現代アートを入り口に、文化財の価値を次世代や国際的なコミュニティーに伝えるきっかけになればと思った企画です」。
アート界の中だけでは、アート界は広がらない。その実感から、山下は異業種との協働にも積極的に取り組んできた。「パートナーである『ハーパーズ バザー アート(Harper's Bazaar art)』をはじめ、ファッション分野との連携は文化的な親和性の高さから自然な広がりを見せています。一方で、三菱地所のような不動産デベロッパーとも協働をしてきました。アートを社会や都市と接続し、循環を生み出すことも、フェアディレクターとしての重要な役割です」。
京都の魅力を、現代アートの文脈で語るプログラム
山下が「ACK」を通して一貫して向き合ってきたのが、日本、そして京都という土地が持つ文化的価値だ。廣誠院でのエキシビションに加え、トークプログラムにも注力した。建仁寺の境内に位置する両足院では、定期的なアートプログラムが展開されている。その文脈をふまえて、両足院の副住職である伊藤東凌と、現代美術家のオラファー・エリアソン(Olafur Eliasson)のトークプログラム「Kyoto Dialogue」をフェア会場で実施した。禅の思想と、現代アートにおける自然観を重ね合わせるテーマのもと対談が進行。「思想や哲学においても、京都にあるものを新しい視点とつなげていきたい。禅を知っている方にも、現代アートに触れてきた方にも新しい視座をもたらす内容になったと思います」。
アジアのアート市場が抱える
課題と可能性
これまでの活動を通して、日本のアート市場について山下はこう捉えている。「ここ数年でようやく、本質を理解し、次の世代につなげていくビジネスが成立し始めたと体感しています。古美術の時代から続いてきた文化ではありますが、産業として捉えられる規模感や認知が、行政を含めて共有され始めたのはごく最近のことです。一方で、その動きを持続させていくことが次の課題。その鍵となるのが人材です。世界に通用するアーティストや作品が存在するなかで、それを支え、価値を翻訳し、社会に伝えていく担い手はまだ十分とは言えません。作品そのものだけでなく、それを取り巻く人や仕組みを育てていく必要があります」。
さらに、アジア全体に目を向けると、地域ごとにその状況は大きく異なるという。しかし山下は、それを「課題」ではなく「可能性」としてポジティブに捉えている。「冒頭にもお話ししましたが、現代美術、古美術、工芸といったジャンルは、本来すべて同じアートです。感性に合わせてジャンルにとらわれず、アート全般の価値に触れながら魅力を感じてもらえたら。アジアには、工芸に強みを持つ地域や、古美術の歴史が深い地域があります。それぞれの特性を生かしながら共存させていくことが、次につながっていくヒントになるのではと思います」。