
昨今のランニングシーンを体現しているインディペンデント・マガジン「メンタル アスレチック(Mental Athletic)」。イタリア・ミラノ発のこの媒体は、アーティスティックな紙媒体とデジタル プラットフォームで、ランニングやスポーツについての情報を発信をしている。
彼らは、自らを“現代の美的メディア”と定義し、“スポーツを文化的に捉える”ことを追求している。創設者兼クリエイティブディレクターのガブリエーレ・カサッチャ(Gabriele Casaccia)(以下、ガブリエーレ)とビジネスデベロップメントパートナーでデジタル&コマーシャルのデベロッパーを担うフィリッポ・カントーニ(Filippo Cantoni)(以下、フィリポ)に話を訊いた。
思想としてのランニングを独自の視点で語る
「メンタル アスレチック」は、記録やタイムを争う競技としてではなく、より内省的な行為としてのランニングを独自の視点で表現している媒体だ。彼らが掲げているのは「文化」、「美学」、「運動」。その相互作用によって、「メンタル アスレチック」は作られているという。そこには、スターアスリートの勝利の瞬間や美しいだけのビジネス広告的なイメージは存在しない。スポーツ市場における、オルタナティヴ的な存在なのだ。
そもそも、ランニングはどのように人気を博してきたのか。1971年に誕生した「ナイキ(NIKE)」や翌年にドイツで開催された「ミュンヘン五輪」によって、最初にランニングに火がついたのはアメリカだ。同時期に「ニューヨーク シティマラソン」が始まり、健康意識が高まったことで市民ランナーが急増した。ヨーロッパでは、19世紀後半から健康のために走る人が一部存在したが、市民ランナーが増えたのはアメリカのブームの影響を受けてから。日本は、1980年代の高度成長期にフィットネス文化が生まれたことで、マラソンが観戦種目から一般化した。90年代に入ると世界的にハイテクスニーカーが流行。チャリティ—マラソンなど社会貢献的な意味でのランニングも周知された。2000年代には、ニューヨーク、パリ、ロンドン、東京で都市型のランニングカルチャーが発達。SNSやトレーニングアプリの普及でランコミュニティーが形成され、さらにファッションや音楽、アートとひも付けて、ランを楽しむ文化が生まれた。2010年以降は、ランニングの競技性よりも精神性が注目され、洗練されたファッション性とライフスタイルやウェルネス思考が根強くなっている。その影響は、韓国や中国にまで派生しているという。
「メンタル アスレチック」も例外ではなく、2010年以降の流れを汲んでいる。ガブリエーレとフィリポがランニングを始めたのも2010年頃。ミラノのアンダーグラウンドなカルチャーやストリートファッション業界に従事していた彼らは、年齢を重ね、より健康的なライフスタイルを求めるようになったという。ガブリエーレは「走る楽しさと精神性を伝えたい」と思い、まずはインスタグラムで発信を始め、それが噂を呼び、後にマガジンを創刊した。
「表現する際に大切にしているのは、美的な視点とクリエイティビティー、精神性。これらは、私たち自身がした旅に基づく経験から作られている。そこで出会った独自の視点を持つ人々を取り上げ、紹介している。彼らの視点とは、何かに没頭をしている特定の瞬間に現れるもので、それはスポーツに対する新しい切り口になりうる」とガブリエーレ。
「メンタル アスレチック」が一貫して媒体作りを共にするのは、「クリエイティブ・ランナー(※)」と呼ばれる人たち。アートやデザイン界の人たちがコラムを執筆し、作品を提供している。大々的にフィーチャーするブランドも、パリ発の「サティスファイ(SATISFY)」やニューヨーク、東京が拠点の「ホームラン(HOMERUN)」など。いずれも、ファッション業界からスポーツの分野に進出した背景を持ち、各々が独自の文化とコミュニティーを持っている。
「メンタル アスレチック」で語られることは、「クリエイティブ・ランナー」たちのメンタリティーや日常生活、ランニングの動的美しさ、文化的なことなど。自ずと、内容は寄稿者たちの私的なことから始まり、ビジュアルにおいてはアブストラクトで大胆な作風が多く、各々の世界観が容赦なく表現されている。起用するフォトグラファーが有名か無名かは気にしない。このユニークな人選、アートブックとしての表現や質感、クオリティーが、ガブリエーレがいう“美的に語ること”なのだろう。これは、スポーツの競技的な側面を報道する既存のスポーツ専門メディアでは見られない実験的な試みだろう。
(※)本業はフォトグラファーやデザイナーとして働き、ランニングを嗜む。2010年以降に出てきたワード。
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マガジンは2024年11月の創刊から現時点で、4冊発行している。創刊号は、著名な山岳ランナーキリアン・ジョルネ(Kilian Jornet)が登場。彼が“究極の走者”でありながら「精神」「自然」「文化」「サステナビリティー」をつなぐ存在であることを紹介し、一冊ランを中心にまとめられている。2冊目では「アンダーカバー(UNDERCOVER)」の高橋盾デザイナーや「サティスファイ」の創業者ブリス・パルトゥーシュ (Brice Partouche)とクリエイティブチームにロングインタビューを行い、よりファッションやカルチャー文脈の人物にフィーチャーした。3冊目になると、ノルウェーの中距離陸上選手のヤコブ・インゲブリクトセン(Jakob Ingebrigtsen)やウルトラランナーのダコタ・ジョーンズ(Dakota Jones)ら、トップレベルの競技者でありながら独自のスタイルを体現していたり、創作活動をする人物が登場する。さらにはアーティストたちによるタイポグラフィーや「オークリー(OAKLEY)」、「エムエム6 メゾン マルジェラ(MM6 MAISON MARGIELA)」 ×「サロモン(SALOMON)」、「Y3」、「サティスファイ(SATISFY)」の新作シューズ、“The Rocker”などのファッションビジュアルなどを多数掲載。さらに細分化したファッションやスポーツ、アートのジャンルがクロスオーバーし、深みのある記事が掲載されている。ステレオタイプなランニングのイメージを覆す、ある種の解放、“人間讃歌”的なメッセージさえ感じさせる。
最新号は、11月2日に開催された「ニューヨークマラソン」に合わせて刊行された。東京ベースのストリートブランド「ホームラン(HOMERUN)」、東京でコラボレーションを行ったアーティストの井口弘史 、箱根駅伝のトレーニングについてなど、取り上げるトピックの地域性が色濃く出ている。各都市のコミュニティーとのつながりを大切にし、目を向け続けるのが彼ららしい。また、総合格闘家、マルロン・ヴェラ(Marlon Vera)のインタビューもあり、ランニング以外のスポーツ競技にまで視野を広げていることが見てとれる。
ソーシャルエコシステムで作る、熱狂と共感
「メンタル アスレチック」のデジタルプラットフォームでのアプローチも、非常にユニークだ。彼らはSNSによるコミュニティ作りに特化している。インスタグラムで精力的に自らの活動、イベント、マーチャンダイズのリリースの告知を行う。それに加えて、世界中の世界各地のランナーやフォロワー、それ以外の人々の“「メンタル アスレチック」的な瞬間”を切り取った投稿を日々タイムラインにアップしている。それは、「メンタル アスレチック」のロゴ入りキャップを被った人や「ニューヨークマラソン」で見かけたちょっと個性的なスタイルを持つ市民ランナー、人々のタトゥーやネイルなど。これまで見過ごされてきた、スポーツシーンのリアルな一面だ。それを「クールだ」と感じて媒体に共感するフォロワーたちがリポストをする。媒体にコミットしたい人々のタグで溢れ、従来のスポーツメディアや大手メーカーではなく、ストリートブランドやスケートカルチャーの熱狂に近い。
フィリポは言う。「私たちは、誌面の記事やインスタグラムの投稿を厳選して発信している。また、フォロワーたちが私たちの記事や投稿をランダムに取り上げたり、リポストすることが頻繁に行われています。何か目を引くものに共感したり、興奮できるトピックがあれば、誰しもが「メンタル アスレチック」の一員になれる。開かれたメディアであることを活動を通して体現している」。デジタルの情報の流通は速く、簡単に拡散されていく。彼らはフォロワーや独自のコミュニティーをこうしたデジタルエコシステムを駆使して築いている。
「SNSは人間同士のつながりを強く結びつけ、維持することに役立ってい。“ソーシャル”という言葉には“人々と共にいる”という意味がある。私たちは、人々と共に語り合い、刺激を与え合い、誰もが自分なりの方法でスポーツを楽しめることを伝えたい。既存の媒体と違いを生んでいるのは、その姿勢だと思う」とフィリポは話す。
現在、日本で「メンタル アスレチック」の正式なディストリビューションは行われておらず、来年から徐々に展開が始まるという。昨年の「東京アートブックフェア」開催中に、イタリア・ミラノの書店「リーディング ブック(Reading book)」が展示販売をしたことで、手に入れた人がいるかもしれないが、マガジンの購入は公式HP(https://shop.mentalathletic.com)でのみ可能だ。20年前から日本に来て、書店を回って古雑誌やzineをコレクションしていたというガブリエーレは語る。
「東京は非常にトレンドに敏感な都市。それに、日本人にとって印刷物の存在がどれだけ大きいかをよく理解している。来年、東京で実施する特別なプロジェクトを通して、『メンタル アスレチック』の日本市場での存在感をもっと高めていきたい。日本のみなさんにとって、私たちがいい“案内役”になれたらと思っている」とガブリエーレは抱負を語った。