ハイドサインは、2005年に設立した企業向けユニホームを手掛けるデザイン集団だ。しかし現在、そのデザイン対象は企業のみにとどまらない。22年にファッションブランド「ハイドサイン(HIDESIGN)」を立ち上げ、現代の都市生活にあふれる課題に応える日常着を一般消費者向けに提案。23年春夏コレクションから「楽天ファッションウィーク東京(Rakuten Fashion Week TOKYO)」(以下RFWT)に参加し、科学的、数値的根拠に基づく機能性とデザイン性を備えたコレクションで、国内外の注目を集めた。本記事では、ハイドサインを率いる吉井秀雄社長兼チーフデザイナーと、「ハイドサイン」のディレクションを務める山口壮大クリエイティブ・ディレクターに“ユニホーム”と“ファッション”という二つの領域を行き来する二面性に迫り、その先に見据える日常着の未来を聞いた。
企業ユニホームを手がける
デザイン集団としてのハイドサイン
WWD:まず、ハイドサインとはどのような組織か。
吉井秀雄社長兼チーフデザイナー(以下、吉井):デザインチームに加えてパターンチーム、縫製チームといった衣服の制作に関わる専門家を1つの組織に集めたデザイン集団です。企業ごとに異なる環境に合わせた企業ユニホームの制作をはじめ、22年からはそのデザイン哲学やノウハウを「ハイドサイン」に落とし込み、展開しています。
WWD:なぜ“デザイン集団”という組織構造に行き着いた?
吉井:企業ユニホームは、数十社が参加するコンセプト設計やビジュアルなどを競うデザインコンペで決定することが多いのですが、それを勝ち抜くためにたどり着いたのがこの組織。デザインからサンプル縫製までを自社で完結し、ユニホームの機能性を初期段階で迅速に提示できる点が、“デザイン集団”というパッケージの強みです。提案段階で“企業の個性”を反映させづらいユニホーム業界で、私たちのアイデンティティーの一つにもなっています。
WWD:企業に提示する機能性というのは、着用時の動きやすさや着ごこちなど?
吉井:その前にまずは安全性です。極端な温度変化や有害物質の飛来、鋭利な突起物が多くあるなど、作業環境ごとに潜む危険性はさまざま。気を抜けば命に関わるような現場もある中で、安全性の確保は最優先すべき必要条件で、それを確実にクリアした上で、動きやすさや快適性を追求していく順序です。
WWD:コンペに臨む前の時点で、実際に現場の環境調査まで行うこともある。
吉井:制作のヒントになる事柄を現場に出向いて全部見ていきます。大事なのは、現場の方々とのコミュニケーションをとることですね。ユニホームを着るのは、紛れもない彼らなので。頻繁に行う動作や季節ごとの体感的な環境変化などの細かな部分をヒアリングしながら、ユニホームに反映すべき最適な条件を見極めます。
WWD:未受注の段階での本格的な調査は、リスクがあるのでは?
吉井:もちろん、人材と時間というコストはかかります。ですが受注に至らなかったとしても、取材時に得た現場環境のアーカイブは重要な資産として残り続けますから、そこは経験値として蓄積できる良い機会だと捉えています。
極限環境から生まれた
今治造船の溶接工用ユニホーム
1 / 4
WWD:その徹底した調査プロセスから生まれた、代表的な事例は?
吉井:直近の事例で言えば、今年の4月にローンチした今治造船のユニホームです。日本最大規模の造船メーカーである彼らは、400メートル級の巨大な船を、基本的に全て人の手による溶接で作り上げる。私がこれまで提案してきた中でも、最も極限的な環境で働く人々に対して制作したユニホームでした。
WWD:極限的な環境とは?
吉井:船を作るドックには日陰がありません。加えて、溶接というと下向きの作業をイメージするかもしれませんが、巨大な構造物なので、天井を向いての作業も多い。つまり、炎天下の鉄の上で、全身に1000度を超える火花の雨を浴びながら作業しなければならない環境です。
WWD:想像を絶する過酷さだ。
吉井:私自身、何度も現場に行きました。初めて訪れた翌日は、溶接の際に発生する光の激しさに目が開かなくなったほどです。
WWD:具体的にどのような工夫が凝らされている?
吉井:火花からの防護性については、火花が当たる部位や時間、作業中の温度を計測して人体を守れる仕様になるまで、徹底的に検証を重ねました。火花が留まらない構造で、最も火花が当たりやすい部分には、厚さが異なる難燃性の素材を二重で採用しています。従来は革の防護服でしたが、この環境下では暑くてとても着ていられない。革の使用は最小限に、ベンチレーションを設けるなど、安全でいて最低限着ごこちの良いユニホームを目指しました。
WWD:まさに、命を守るためのユニフォーム。
吉井:従業員に重大な事故が発生する可能性がある現場も少なくありません。そして、私たちはそれを無くしたい。そのために「燃え上がらない」ことは前提として考えました。
WWD:納品後も、運用結果をもとに改良を加えている。
吉井:夏が終わると、過酷な現場だけあって1、2カ月ですでにボロボロに。実務を経て現場から様々な意見が出てくるので、今回は着用されたユニホームを補修も兼ねて回収し、劣化具合を調査しました。納品後も現場の声を反映して、改良を重ねる体制をとっています。これはファッション業界にはほとんど組み込まれないプロセスでもありますし、個人的に夢中になってしまう部分ですね。
“ユニホームの知見を活かして、人類に等しく貢献する“
ブランド「ハイドサイン」の挑戦
WWD:ファッションブランド「ハイドサイン」の立ち上げの経緯は?
吉井:17年間、企業ユニホームの制作を重ねる中で、異常気象や平均気温上昇による熱中症など、社会生活で私たちが等しく付き合っていく必要がある“リスク”が年々増えていると感じていました。そこで「地球環境の変化に呼応して、ハイドサインが培ったもので世の中に広く貢献できるブランドを作りたい」と思ったのがきっかけです。ただ、これまで活動領域と“ファッション”では、フィールドが違いすぎる。そこでファッション・ディレクターとして活躍していた山口さんに相談しました。
山口壮大クリエイティブ・ディレクター(以下、山口):最初は共通の知人を通して知り合いました。吉井さんたちが積んできた知見を、どう世の中の不特定多数に向けて伝えていくかという点に課題を感じていて、その手段としてブランドを立ち上げたいという話でした。でも最初はお断りしたんです。
WWD:その理由は?
山口:短期的に利益を出すことだけを考えると、流行になぞらえた関心を集めるやり方になってしまうし、それはハイドサインと私のやり方ではなかったからです。しかしその後、より深く話をする中で、吉井さんたちが長期的な視点で衣服の未来を考えていることが分かりました。それであれば、チームと一緒に「ハイドサイン」の良さを伝えていくことができると思い、今に至ります。
WWD:2人の役割分担は?
山口:私がテーマなどの全体の方向性を示し、吉井さんにはそのビジョンに対してアイデアやデザインを描き起こすなどして、猛烈な勢いで応えてもらっています(笑)。あとはもちろん、パタンナーチーム、縫製チームとも連携して具現化していきます。
WWD:確固たるエビデンスを突きつける「ハイドサイン」の姿勢は、RFWTの顔ぶれの中でも異質だった。
山口:ほぼ全てのブランドが、ある種曖昧な“世界観”を重視したモノ作りをしていることに、私は疑問を感じるんです。例えば“テックウエア”といっても、衣服としての機能性をどのように検証し、どこまで数値化しているのかはブランドによって大きく差があります。外部の検査機関が出した生地のスペック以外の、“着用時の快適性の根拠”まで丁寧に示されるケースは、まだ広く一般化しているとは言い切れません。
「私たちが持つ知見をどう活かせば、人類に等しく貢献できるか」というテーマが出発点の「ハイドサイン」には、そのエビデンスを追求する考え方がベースにあります。ある仮説をもとに起こしたデザイン画からにプロトタイプを作り、着用テストを重ねて、独自開発したセンサーなどを駆使しながら数値化し、快適性を求めていく。その徹底的なプロセスは実際、ハイドサインが企業ユニホームで行なっているデザイン手法そのものなんです。
1 / 3
WWD:2人が考える「ハイドサイン」を象徴する“名作”は?
吉井:26年春夏コレクションから、ファン内蔵のレインウエア。これまでの一般的な防水構造では、衣服内の蒸れを防げず、不快感につながっていました。それに対して、雨粒が入らないようにテントのような独自機構を設け、1から開発したミニファンを搭載したほか、それ自体が温度調整機能を持つ調温素材などを駆使して制作しました。異常気象の一つである豪雨に対して、私たちらしい開発プロセスのもと、重ねてきた知見をすべて注ぎ込んだといえる集大成です。
山口:“ザ エンジニアー パンツ”。3Dパターン技術によって歩行時の肌と衣服の接点を少なくした快適性が特徴ですが、個人的に嬉しいのはバックポケットの収納力。中から大容量のポケットを引っ張り出すことができる利便性が気に入って、かれこれ洗濯も50回以上しましたがその快適さは変わらず、ずっと着用しています。
「ハイドサイン」が
コレクションに託した思い
WWD:ブランド立ち上げ後、すぐにRFWTで“ランウエイ”に挑んだ理由は?
吉井:熱波や寒波といった異常気象のリスクは、いまや世界共通の課題。そうした地球規模のテーマを共有するうえで、「東京」という場所は、アジアのファッション発信地として海外バイヤーやメディアとの接点が多く、グローバルなネットワークに接続するための最適な場所でした。
山口:経済的に見れば、ブランド設立直後のコレクション参加はハイリスクです。それでも挑んだのは、ユニホーム業界を代表する立場として、業界全体に対して早急に問いかけたいことがあったからです。
現在のユニホーム業界は、効率とコストを最優先する経済合理的な仕組みが支配的になっています。その中では、今治造船の例のように、現場のリアルと規格のあいだにある溝を埋めていくようなプロセスが難しい。だからこそ、ある企業に勤める特定の人々に対しても、社会生活を営む不特定多数の人々に対しても、各々が置かれている環境に対して丁寧に向き合っていくべきだ、と。このメッセージを社会に届けるには、ファッションショーという爆発力のある形式が最も有効だと思ったんです。
1 / 3
WWD:23年春夏コレクションでRFWTに初参加して以降、ランウエイ形式とプレゼンテーション形式を行き来し、26年春夏シーズンでは、展示会形式での自社発表となった。これまで表現方法を模索しているような印象があったが?吉井:RFWTや、メンズ最大の見本市「ピッティ・イマージネ・ウオモ(PITTI IMMAGINE UOMO)」への参加は、必然的に多くの人の目に留まるような建て付けであったため、「ハイドサイン」という存在を認知してもらえました。しかし、このまま“ショー”という発表方式を続けていても、ブランドで大切にしている“エビデンス”そのものを、来場者一人一人に深く伝えづらい。
そこで次のステップとして、“一つ一つのアイテムに込められた機能性やエビデンス”を、これまでよりも分かりやすく提示する発表方法を模索しました。結果、高温環境や豪雨を擬似的に再現した設備の中、各アイテムの機能性を、リアルタイムで実測した数値を示しながら実演し、それを少人数のグループに分けた来場者に向けて説明する、アポイント制を導入した展示会での発表になりました。来場者自身が着用して実験に参加できたり、実験データの集積も同時に行っていたりと「ハイドサイン」らしいと思える展示会だったと思います。
WWD:25年秋冬コレクションまで継続的に参加してきたRFWTですが、大きな収穫を挙げるとすれば?
山口:多様な人たちに見ていただき、リアクションをいただけたこと。特に海外のジャーナリストの方々と繋がれたことは大きかったですね。
吉井:今年の9月には「ヴォーグ ビジネス(VAGUE BUSINESS)」の“2025 100 Innovators: Entrepreneurs and Founders”に、世界のファッション業界を変える100人のイノベーターとして私を選出していただきました。“地球環境に対峙するブランド”という捉え方をしてもらえたのは、大きな収穫でした。ショーがあったからこそ、このような海外メディアにも取り上げていただいたと考えています。
ハイドサインが描く
洋服そのものの未来
PROFILE: 吉井秀雄/ハイドサイン社長兼チーフデザイナー(左)、山口壮大/「ハイドサイン」クリエイティブ・ディレクター(右)

WWD:最後に、「ハイドサイン」の今後の展望について
吉井:私たちは今、「設計の革新によって、人類の能力を引き上げる」という新しいテーマを掲げています。これまでの機能的な素材やパターン、縫製の仕様といった要素に加えて、ミニファンやヒートシート、ペルチェ素子(電流を加えることで冷却・加熱を行える半導体素子)といったガジェットを積極的に衣服に組み込んでいきたいと考えています。それも単なるギミックではなく、どれも熱中症などの“命を脅かすリスク”を本気で低減するためのものです。
また、現在の「ハイドサイン」は、ファッションに興味のある層にしか届いていない。しかし、本当はもっと広く社会に貢献したいんです。どの国にいる子どもも若者も高齢者も、暑い、寒いと思う気持ちは皆同じ。私たちは、企業ユニホームで培った、命を守るための確かな技術を、この大きなマーケットにも活かしたい。最も必要な人たちに、安全で快適な服を届ける。この道筋を作っていくことは、次の大きな目標です。
例えば、要らなくなった服をまとめて世界の困っている地域に送る活動がありますが、その服は、その地域の気候や、着る人の作業内容に合っているのでしょうか。輸送費などの手間をかけるなら、その場所で必要とされる機能を持った服を、しっかりと計画的に届けるべきだと考えています。極端に暑い地域や、異常気象の多い地域にいる子どもたちのためにも、最適な服を作ってあげたい。これが、私たちが服を通して“人類に貢献する”ことの本当の意味だと考えています。
山口:私は、“デザイン”という行為そのものが短命になっている状況を打破したいと考えています。今治造船のユニホームのように、現場の声を確実に拾い上げ、改良を重ねていくプロセスは、ユニホーム業界ならではのものです。一方で、衣服を購入した後に消費者が感じたことを即座にフィードバックする仕組みは、今のファッション業界にはほとんどありません。そのプロセスをファッションの領域にも持ち込み、人と衣服が共に成長していくような“長い時間軸のデザイン文化”を育て、発信していく。これは企業ユニホームとファッションの世界を行き来する「ハイドサイン」にしか成し得ないことだと思っています。