PROFILE: (左)大森時生/テレビ東京 プロデューサー・ディレクター (中)ダ・ヴィンチ・恐山/ライター、小説家 (右)梨/作家
2024年7月に開催された企画展「行方不明展」の好評を受け、続編となる新作「恐怖心展」が7月18日から8月31日まで東京・渋谷BEAMギャラリーにて開催される。前作から引き続き、本展の企画・制作に携わるのは、テレビ東京の大森時生、ホラー作家の梨、文筆家でありオモコロ編集部のダ・ヴィンチ・恐山。今回は3人それぞれの役割や作家性について、展示と恐怖の関係、「モキュメンタリー」ブームの真相、オモコロの躍進、おもしろさと不気味さ、そして「恐怖心展」の目指すものについてなど、広範囲にわたるテーマで話を聞いた。
「恐怖心展」
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想定をはるかに超えた反響の
「行方不明展」
——まずは昨年の展示「行方不明展」(2024年7月19日〜9月1日@三越前福島ビル)の振り返りから聞かせてください。
大森時生(以下、大森):そうですね。これまでに自分が関わった仕事の中で、最も遠いところまで届いた、という実感があります。僕に限らず、恐山さんや梨さん、株式会社闇のことを普段から追いかけていない、それどころか、名前も知らないし、なんなら展示の内容もよく分かっていないような人たちにもたくさん来ていただけて、コントロールが効かない状態になりました。良い面も悪い面も含めて、それが新鮮でした。
——「悪い面」というのは、例えば?
大森:例えば、僕や梨さんがこれまでにやってきたことをよく知っている方が、事前の告知映像からのイメージもあって、静かな空間で不気味な気持ちを味わえると思って来てくださったのに、実際の会場は高校生や若いカップル、家族連れもいたりしたので、意外と明るくキャッキャした雰囲気に対して「こういうの期待してたんじゃないのに」的な反応はけっこう目にしました。
梨:ネガティブな反応が出ていることが、それだけ広い層に届いた証ですよね。
ダ・ヴィンチ・恐山(以下、恐山):このあと大阪での開催(7月25日〜9月28日@谷口悦第2ビル)も決まっていたり、そういう意味でも私たちの手を離れて遠くに行った感覚がありますね。
——梨さんはこの展示企画の発案者でもありますよね。
梨:はい。もともと株式会社闇と一緒にやった「その怪文書を読みましたか」展(2023年3月17日〜4月2日@マイラボ渋谷)というのがあり、その展示チームに大森さんを呼んだのが「行方不明展」の始まりでした。「その怪文書を読みましたか」展は好事家の方たち、特定の層を狙って仕掛けたものが、思いのほか広い層に届いたんです。ニッチなジャンルものがカルチャーになったというか。それで、次にまた展示をやる時には、最初から広い層を狙って作ったらどうかなと思い、大森さんに声をかけたんです。なので、広い層に届けることは想定していたのですが、実際の「行方不明展」はその想定を完全に超えました。
——そこまで広い層に届いた要因はなんでしょう。
大森:シーン自体の盛り上がりというのは大きいと思います。梨さんをはじめ、背筋さんの「近畿地方のある場所について」とかが大きな話題になって以降、不気味なものをテーマにした作品がたくさんつくられるようになり、ファンも増え、シーンが成熟していった。あとは、思った以上にTikTokとかインスタが動員に繋がりました。それもホラー好きとかではなく、美術展やイベントを紹介するお出かけアカウントみたいなところが紹介してくれたんです。
梨:「デザインあ展」を紹介するようなアカウントとか。
恐山:映えるでっかいパフェと同じタイムラインに並んだりしてましたよね。
大森:TikTokしかり、インスタ映えしかり、現象としてはもちろん知っていましたけど、実感として、その影響力は想像をはるかに超えていました。それで思ったのは、梨さんの作品の世界観や不気味なものに興味がある人はたくさんいるけど、1冊の本だったり、記事でも1万文字以上の長文になったりすると、内容ではなく文字量的に、敬遠する人が予想以上に多いんだろうなって。その点「行方不明展」はビジュアルや実体でアプローチしているので、普段は長文に触れない層にも届いたのかなと思いますね。
梨さんはホラーというジャンルを
再定義するような存在
——「行方不明展」について、恐山さんはnoteの日記(2024年7月18日)に「梨さんの天才性をあらゆる角度から体感できる貴重な機会」と書いていました。
恐山:梨さんがすごいのは、ホラーという概念そのものを愛しているところだと思っていて。モチーフとして扱う範囲が限りなく広いんです。発信する量もずば抜けている。それゆえ、作家性とかの次元ではなく、ジャンルを再定義するというか、梨さん自身がジャンルそのものになろうとしている迫力がありますね。このままだと「梨の時代」と呼ばれる時代がやってくるのではないでしょうか。存在感がありすぎて、「梨」的な筆致が「ホラーらしさ」だと若い人に受け止められている気すらします。
大森:梨さんの作品は、中核をあえて書かずに、周縁や輪郭を精密にデッサンすることで中心を浮かび上がらせるような感覚があって、そこが多くの人を魅了していると思います。「行方不明展」もそうでしたし、次の「恐怖心展」もそういったつくりになっています。輪郭の精密なデッサンという観点では、文章よりも展示のほうが、その魅力がはっきり伝わるのかもしれません。展示という形式にすることで、梨さんの天才性が一部のコアなファンだけではなく、より多くの人に伝わったのかなって。
梨:展示は最強の挿絵ですからね。実物+短文の展示という形式で、ストーリーテリングを再構成できたことが大きくて、そのためには恐山さんの力が必要でした。
——恐山さんは主にどういう役割を担っているのでしょう。
梨:ひたすらアイデアを出し続けてくれます。「こんな〇〇は嫌だ」みたいなお題を出すと、瞬時にものすごい数の回答を出してくれて、その精度と量がエグいんです。「それどういうことですか?」って聞くラリーを必要としない、一発で分かるおもしろいことを必ず言ってくれます。
大森:なんなら、お題とかけ離れたように思える回答を出してくださることもあって。一見するとお題を無視しているようだけど、恐山さんの中では同じフォルダに入っている。その飛躍が展示や企画のアイデア出しにはとても重要で。僕と梨さんはホラーの畑にいすぎたせいで、好みや趣味的にもかなり近しく、2人だけでは視野が狭くなってしまう。そこへ恐山さんの飛躍が加わることで一気に広がるんです。
恐山:お2人とはネットミームとかもすべて共有できて、ホラーも含め立体的に隣接している文化的ないろいろを経由しながら話し合いができるので、それまで繋がっていなかったものが繋がったり、その結果として新しいものが生まれるんですよね。
大森:“線”で構成されるのが映像作品や小説だとしたら、展示は“点”で勝負できるんです。線にするためには帳尻や辻褄を合わせるのが大変なんですけど、点として強度のあるものを作る。そうなった時の恐山さんほど強力な助っ人はいないです。
おもしろさと不気味さの
メビウスの輪
——御三方の中でも特に恐山さんは、本業では基本的に「おもしろさ」を追求していると思うのですが、このチームでは「不気味さ」や「不穏さ」など、目指す方向性が違いますよね。
恐山:私のメインは笑うほうの「おもしろ」ですが、方向性は違うとしても、実はやっていることは同じなんです。普段から「なんか嫌だな」とか「なんか気持ち悪い」という感情を、「おもしろい」として出しているようなところもあるので。あまりに嫌すぎて笑っちゃう、みたいなことってあるじゃないですか。おもしろさを目指している時は、読者や視聴者の感情の流れの緩急みたいなものをリアルタイムで考えているのですが、展示の場合も大喜利の回答みたいな感覚で考えています。例えば、穴の展示を作るとして、穴の中を覗(のぞ)いた時に何が入ってたら嫌かな、とか。最近だとアリ・アスター監督の「ボーはおそれている」なんかは「不気味さ」と「おもしろさ」を同時にやっている作品だと思います。
梨:あとは、私たちが志向しているのが、ガチガチの怖さを追求した古き良き正統派のホラーではない、というのも大きく関係していると思います。おもしろさと気持ち悪さを両方表現した例でいうと、「透き通った白身がきれいなお刺身が、実はポケモンのルギアの刺身だった」とか。
あら〜このお刺身…
透き通った白身がきれいですね〜 いただきます〜
んん〜♡
身がギュッと詰まって、弾力が、もう…たまんない!
甘みがあるんですよね〜これなんなんだろう
すみません、これなんのお刺身なんですか?
えっルギア?
— ダ・ダ・恐山 (@d_d_osorezan) July 29, 2018
恐山:それ私のツイートじゃないですか。
梨:あるいは「祠に入って、その祠を壊して粉にして、祠ブローチにする」とか。
お前、あの祠に入ったんか!
入っただけじゃなくて、壊したんか!
完膚なきまでに壊したんか!
そして破片を砕いて砕いて砕いて…
粉にしたんか!
粉を樹脂に混ぜて…
型に流し込んで…
ブローチにしたんか!
祠ブローチにしたんか!— ダ・ダ・恐山 (@d_d_osorezan) August 7, 2023
恐山:いや、それも私のツイートですよ。
梨:つまり、直感的に「うわっ、こわい」と感じるものではなく、じわじわと嫌な気持ちにさせるようなものを考えるイメージ。
恐山:「こわい」にも「おもしろい」にも共通しているのは、予想外であることなんですよね。頭の中に存在していたパーツが予想もしない形で組み合わさることで、なんとなく心が落ち着かなくて不穏な気持ちなる。私自身の好きな笑いの方向性としては、吉田戦車さんの漫画「伝染るんです。」が原点にあって。ツッコミ不在のまま、相当おかしな人やキャラが出てくる、いわゆる不条理漫画と呼ばれるジャンル。当時はおもしろいと思って読んでましたけど、よく考えたらこわい要素も多分に含まれています。
大森:僕の中では「こわい」と「おもしろい」は表裏一体というよりも、メビウスの輪みたいなイメージです。互いに循環しているような感じ。展示のアイデアを考えている時もけっこう笑っていることはあるのですが、笑えているうちはまだまだで、笑えないくらいの不気味さを追求してこそ、みたいな感覚もありますね。
モキュメンタリーが流行った2つの理由
——ざっとここ5年くらいで、ホラーや不気味さをテーマにした作品やコンテンツの人気が高まり、また「フェイクドキュメンタリー」や「モキュメンタリー」という言葉も浸透、ジャンル全体の盛り上がりを感じるのですが、なぜここまで流行ったのでしょうか。
梨:取材などでよくそういった質問をされることがあるのですが、私は2つあると思っていて。1つは「モキュメンタリー」の“モキュ”は、タピオカの“タピ”と同じで語感がいい。だから流行ったんじゃないかと思います。
恐山:たしかに“モキュ”って、アザラシの鳴き声みたいでかわいいですもんね。
大森:2つのうち1つがそれなんですね(笑)。
梨:流行るためには、意外と口馴染みは大事です。
大森:ちなみに「フェイクドキュメンタリー」は和製英語で、海外では「モキュメンタリー」のほうを使っています。
梨:もう1つは、見かけ上の数は増えているように見えて、生産される数自体はそこまで変わっていないんじゃないかという説。なぜなら生産人口が増えていないから。「フェイクドキュメンタリーQ」や大森さんをはじめ、5年くらい前から同じ人たちがつくってるんですよね。ではなぜ見かけ上の数が増えたように感じるかというと、人々があれもこれも「モキュメンタリー」として捉えてしまっているからじゃないかと。最近だと、まもなく映画が公開される「8番出口」のことを「モキュメンタリー」と言っている人がいて、もはや本来の意味とは違う解釈で広まっているんです。
大森:台湾映画の「呪詛」のことを「モキュメンタリー」と言っている人もいましたね。
梨:そう。なので、誤用している人たちも含めて盛んに「モキュメンタリー」という言葉が使われているので、数が増えたように思える。かつて「セカイ系」という言葉が流行った時と同じですよね。
——モチーフやテーマなど、内容面における変化というのはどうでしょうか。
大森:梨さんの言う生産者の立場で言うと、大きな変化は「これはフィクションです」と宣言するようになったことですかね。体感として、2020年くらいまでは、本当か嘘かわからない、真偽をぼやかしまま作品を発表することが多かったと思うのですが、ここ何年かはフィクションであることを明示しながら、ストーリーに没入させるための手段として「フェイクドキュメンタリー」の手法を使う方向にシフトしているなと感じます。
梨:それは「フェイクドキュメンタリーQ」による発明でもありますよね。それまでは、フェイクドキュメンタリー系の作品を発表すると、コメントの何割かは「こんなことあるはずないwww」とかっていう、真偽に関する感想が多かった。そこへきて「フェイクドキュメンタリーQ」は、自らフェイクであることを名乗ることによって、そういった感想を言えなくしました。代わりに、本来の見せ場であるストーリーテリングや演出の技法についてちゃんと見てもらえるようになり、環境としてはよくなったと思います。
オルタナだった「オモコロ」が
1つのジャンルになった
——そして、恐山さんが所属する「オモコロ」の人気もここ何年かで加速しました。
恐山:おそらくフェーズが変わったのは、「オモコロチャンネル」など、動画を始めたことが大きいと思います。もともとテキストサイトだったのが、「YouTubeの勢いがすごいから自分たちもやったほうがいいんじゃないか」といった動機で動画を始めたので、狙ったというよりは、流れに身を任せたという感じではあるんですけど。あとは、当初の理念としてオルタナティブ性を強く打ち出していたのが、長く続けてきたことで、良くも悪くもオモコロ自体がジャンルになってしまったというか、内容は同じでも、受け取られ方が変わってしまったような感じはしますね。
——当初はオルタナティブ性、強かったですよね。媒体が紙の雑誌ではなくインターネットであることを筆頭に、文章も写真もその道のプロによるものではなく、さらに編集も通さないようなインディー感もあったり。
恐山:そうなんです。プロの芸人や作家ではない、素人がおもしろい文章を書く、ということがアイデンティティーとしてあったのですが、10年以上続けていたらもう素人を名乗るほうが失礼になってくるし。会社という形態である以上、いつまでもインディーでオルタナを続けるわけにもいかないので。マインドとしてはあまり変わった感覚はないのですが、反応を見ていると世間的な位置取りは変わったような感覚はあります。
——6月にはパシフィコ横浜で5000人近くを動員したイベント「オモコロチャンネル サマースプラッシュ!!」も成功させて。
恐山:正直言ってあの規模の座席が埋まるということに実感が全く持てないのですが、実際そうなんだからもう受け入れるしかないですよね……。「ああ、ちゃんと期待とかされる立場になったんだ」っていう。とはいっても、そのことは念頭に置きつつも、その期待に応えるのか裏切るのかはこっちの勝手なので。少なくとも「お客さんの笑顔が見たいから」「日本を元気にしたい」みたいな気持ちを持っている人間は一人もいません。安心してください。
大森:期待を裏切るのもこっちの勝手って、いいですね。僕も高校生の頃からオモコロ読者ですけど、かつてオモコロ読者といえばニッチなものを好きだったイメージもありますが、今はそうではないですよね。むしろ、今ニッチやオルタナティブを求める人はオモコロを否定しなければいけない。この変化はすごいですよ。しかも、そこまでメジャーにはなっているのに、精神はちゃんとオルタナのままでいるのがオモコロの唯一無二さだと思います。
恐山:目指すべきゴールがない、っていうのが大きいんでしょうね。バンドがメジャーになるためにポップな路線にいくとか、芸人さんがテレビに出るために分かりにくいネタをやらなくなるとか、そういう目的のために切り捨てるものがそもそもない。属する分かりやすいジャンルがないので、大御所になりようもないですし、ライバルもいない。たまにぜひオモコロライターになりたいというメールをいただいたりして、とてもありがたいのですが、目指してなるものでもないし、もとが虚業なので「なる」とかではないですよ、という感じですね。
オモコロのニッチさは
動画ではなくテキスト記事にある
梨:オモコロとしての数字的な目標もないんですか?
恐山:編集部としての目標みたいなものは今はないです。編集会議でも数字の話はしなくなりました。
梨:なるほど。であれば、先ほどのニッチの話で言うと、テキストの記事があまり読まれなくなっていることも相まって、オモコロの中でも動画ではなくテキスト記事を読むことがニッチになりますよね。本当に数字を気にしないのなら、テキストでどんどんニッチな記事を出すことで、それこそがオモコロの真髄であり、ブランド力になる。オモコロが好きな人の中でも、「俺はテキスト記事が好きなんだ」というのはオルタナじゃないですか。実際そうなっていると思いますし。
恐山:あぁ、それはそうかも。ぬるくなったとか言われることもあるんですけど、今テキストのほうはめっちゃ尖ってる記事たくさんあるんですよ。
——そもそも、梨さんは「オモコロ杯2021」に応募して銀賞を獲得、その時に審査員を務めていたのが恐山さんですよね。
恐山:応募作品はnoteに投稿された「瘤談(りゅうだん)」だったのですが、応募の前にかなりバズっていたので、私自身も応募作品として読む前にnoteで読んでいましたし、もはやオモコロが評価したからなんなんだろう……とはちょっと思いました。ただ、読んだあとにものすごい悪夢を見て、金縛りにあったんです。それで、この人の才能は間違いないなと。
梨:審査員を金縛りにあわせたことで、オモコロの一員になれました。
——いまやホラー系や不気味なコンテンツもオモコロの柱になってますよね。
恐山:いつの間にか、ホラー系や怪談はオモコロの中でも人気コンテンツになってますね。
梨:私が応募した2021年の時点で、雨穴さんの「変な家」や加味條さんの「おかんぎょさま」とかはありましたけど、今はもっと増えてますね。
恐山:オモコロのサイトは、ホラー専門サイトのようなデザインになっていないので、軽い気持ちで読んだらめっちゃこわかった、みたいなことが起こるのがいいんですよ。不意打ちができる。
「恐怖心展」と「魔法少女山田」が目指すもの
——では改めて、新作「恐怖心展」はどういった経緯でこのテーマに?
大森:最初は「行方不明展」の会議をしていた時に、株式会社闇の頓花(聖太郎)さんが「いつか恐怖症的なものをモチーフにしたい」ということをおっしゃっていて。ただ、恐怖症と言ってしまうと、ちょっとこわくて苦手だなくらいのものから、日常生活に支障をきたすレベルのものまで、あまりに幅が広いので、結果「恐怖心展」に落ち着きました。今回、僕たちが意図する「恐怖心」というのは、いわゆる恐怖とは違っていて、恐怖がおそれを抱いた瞬間のことだとしたら、「恐怖心」は予期に近いような、不安にも似た感覚のことを指しています。例えば、刃物を持っている人が刺そうとして近づいてきたら、それは恐怖ですけど、遠くに人がいて、その人がずっとこっちを見ていて、だんだん近づいて来るような気がしたら、その気持ちが恐怖心なのかなと。体が強張るほどの危機は感じないけれど、なんとなく嫌だなっていう感覚、それを展示にしようと思っています。
梨:恐怖というのは概念上、点だと思うんですよね。もし、点としての恐怖だけを体験させるとしたら、極端な話、爪を剥いだりペンチで歯を抜くみたいなことをやればいいわけですけど、そういうことじゃない。なので、「恐怖心展」は直接的な点としての恐怖ポイントではなく、象徴的な予期不安を展示することを目的にしています。
大森:そういう展示なので、宣伝も抽象的になってしまうのですが、それは仕方ないですね。
——宣伝の話でいうと、主に映画やドラマなどで、明らかにホラー作品なのに、宣伝文句として「ホラー」という言葉を使わない、メディアにも使わせない問題については、どう思いますか。
大森:最近よくありますよね。ただ、実際にホラーという言葉で敬遠する人はそれほど多くはないと思うので、どんなに少数でも逃したくない、とにかく全員を相手にしたい巨大資本の作品がそういう戦略になるんだと個人的には感じています。なので、ホラーというジャンルの問題ではなく、資本主義社会の論理の問題じゃないでしょうか。
——「恐怖心展」と連動して、TXQ FICTIONの第3弾となる新番組「魔法少女山田」の放送も発表されました。
大森:展示との連動企画なので、番組のほうもテーマは「恐怖心」です。恐怖心はストーリーがあってこそ生まれるものだと思うので、人間が生きてきた足跡とか、ものごとの文脈とかを踏まえて、恐怖心というものがどうやって生まれるのか、そういった流れを映像化した番組です。魔法少女というモチーフも、「魔法少女まどか☆マギカ」しかり、ズラされることが多い奇妙なジャンルで、正統派の魔法少女ものって意外と少ないんですよね。そこが恐怖心とも相性がいいと思いました。番組で直接的に使っているわけではないですけど、エルサゲート(子どもにとって不適切なテーマを扱った動画がYouTubeやYouTube Kids等のプラットフォーム上で家族向けのコンテンツとして拡散されている状況)にも通じるような。
——では最後に。大森さんから見たテレビ業界の近況はどうでしょう。
大森:あまり大きな声では言えないですが、もういよいよテレビに期待する人が少数で、特に若い人やセンスのある人ほどまったくテレビに期待していないので、だからこそハードルが下がっているというか、ちょっとおもしろいことをすると称賛されやすい環境にはなっているのかなと。YouTubeや配信ドラマのほうが期待されているぶん、テレビよりよっぽどハードルが高い。そういう意味では、今がチャンスとも言えると思います。
PHOTOS:YUTA FUCHIKAMI
恐怖心展
◾️「恐怖心展」
会期:2025年7月18日〜8月31日
会場:BEAMギャラリー
住所:東京都渋谷区宇田川町31-2 渋谷BEAM 4F
時間:11:00〜20:00(最終入場19:30)
入場料:2300円 ※小学生以上有料
主催:闇、テレビ東京、ローソンエンタテインメント
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