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テレビ東京・大森時生 × 漫画家・魚豊 「陰謀論」から「エンタメの未来」まで、大いに語る

PROFILE: 左:魚豊/漫画家 右:大森時生/プロデューサー、ディレクター

PROFILE: 右:(おおもり・ときお)1995年生まれ、東京都出身。2019年にテレビ東京へ入社。「Aマッソのがんばれ奥様ッソ!」「このテープもってないですか?」「SIX HACK」「祓除」「イシナガキクエを探しています」を担当。Aマッソの単独公演「滑稽」でも企画・演出を務めた。昨年「世界を変える30歳未満 Forbes JAPAN 30 UNDER 30」に選出。今夏「行方不明展」も手掛けた。 左(うおと)1997年生まれ、東京都出身。2018年「ひゃくえむ。」で連載デビュー。20年から連載した「チ。―地球の運動について―」にてマンガ大賞2年連続ランクイン、手塚治虫文化賞マンガ大賞受賞など数々の漫画賞を受賞。23年から「ようこそ!FACT(東京S区第二支部)へ」を連載し、現在は完結。25年上旬から「週刊少年チャンピオン」で原案とネーム協力を担当する「Dr.マッスルビートル」(画:古町)が連載予定。

フェイクドキュメンタリー番組「イシナガキクエを探しています」のほか、約7万人の来場者を記録した「行方不明展」の企画・プロデュースを手掛けたテレビ東京の大森時生。そして、漫画「チ。―地球の運動について―」で手塚治虫文化賞をはじめ数々の賞を受賞し、現在はテレビアニメ版も放送中の漫画家・魚豊(うおと)。今回は大森の最新作となるBLドラマ「フィクショナル」と、最終4巻が発売されたばかりの魚豊の最新作「ようこそ!FACT(東京S区第二支部)へ」を中心に、それぞれが考える作品の特性と、情報があふれる現代において、作品およびエンターテインメントはどうあるべきか、話を聞いた。

「フィクショナル」
黒沢清監督が注目の若手監督として名前を挙げた酒井善三が脚本・演出、大森時生がプロデュースを務めるBLドラマ。9月に1話1〜3分のショートドラマとして動画プラットフォーム「BUMP」で配信され、11月15日から「シモキタエキマエシネマ K2」他で劇場公開が決定。うだつの上がらない映像制作業者・神保(清水尚弥)のもとに、ある日、大学時代の先輩・及川(木村文)から連絡が来る。憧れの先輩との共同業務に、気分が湧き立つ神保だったが、その仕事は怪しいディープフェイク映像制作の下請けであった。やがて迫りくる自身の「仕事」の影響と責任……神保は徐々にリアルとフェイクの境目に堕ちていくのだった……。

「シモキタ-エキマエ-シネマ『K2』」の上映チケットは11月12日朝10時からK2のオフィシャルサイトで販売開始。
魚豊・大森時生・酒井善三監督のアフタートークつき上映チケットもオフィシャルサイトで販売中。
https://k2-cinema.com/

「ようこそ!FACT(東京S区第二支部)へ」
「チ。」「ひゃくえむ。」の魚豊が描く、恋と陰謀。圧倒的新機軸、前代未聞のラブコメストーリー。小さな不信感から始まり、傾倒した“陰謀論”。しかし、嘘に裏切られ、手元に残ったのはいくつかの疑問だった。“陰謀論”を信じた青年の恋路はどこに着地するのか……。全4巻。

「『FACT』は媚びを排除して描いたつもり」(魚豊)

大森時生(以下、大森):「ようこそ!FACT(東京S区第二支部)へ」(以下「FACT」)すごくおもしろかったです。先日直接お伝えしましたが、ここ10年でも数本の指に入るくらい好きでした。

魚豊:ありがとうございます。いやぁ、でも自分としては、趣味に走りすぎちゃったな、と思うところはあるんです(笑)。「チ。」に比べると、売り上げも厳しかったので。

大森:そうなんですか? 僕の趣味も一般的にはズレてるとは思いますけど……「陰謀論」というテーマは現代においては多くの人が興味あるものだと思ってました。それこそ、趣味性だけでいえば「チ。」で描いた地動説の方が高いような。

魚豊:あとは、主人公のキャラクターが応援しづらい、というのも大きかった。「チ。」における地動説も、別の「ひゃくえむ。」という漫画で描いた陸上競技も、基本は読者が応援できるものじゃないですか。それに比べると「FACT」の陰謀論って、まぁ応援できない。でも読者が応援できないことに夢中になっている主人公を描きたかったんですよね。

大森:主人公の「渡辺」ですね。「FACT」は恋愛もテーマになっていましたけど、陰謀論にハマる渡辺くんの恋路は応援できない人が多かったんですかね。好きな女性を相手に陰謀論を熱心に説くような。

魚豊:やっぱり読者の方はああいったキャラクターにヘイトがたまる人が一定数いるんじゃないのかなって。あと「FACT」は「マンガワン」という漫画アプリで配信されたんですけど、作品の内容と掲載媒体との相性もめちゃくちゃ良かったわけではないのかなと。もちろん、作品に力があれば突破できるので、そこは自分の至らなさなんですけど。

大森:漫画をアプリで読む層に届けないといけない、っていうのは、週刊誌を読む層に届けるのとはまた違った闘いな感じもありますもんね。

魚豊:ですね。「FACT」は響かせられなかった。世の中には、連載を例え無料で読めても好きなら必ず単行本も買う層と、無料で読むだけで一切単行本は買わない層と、2つに分かれているといわれがちなんですけど、第三の層として、無料で読めるなら無料で読むけど、無料で読めないならお金を出すっていう層がいると思うんです。で、もしかしたら自分や今回の作品はこの第三の層に入ってしまったのかも、と言い訳気味に勘繰っております。

自分が消費者の立場になってみると、僕はクエンティン・タランティーノもクリストファー・ノーランも好きなのに、作品のDVDは1つも持ってないんですよ。配信で観ているから。ただ、配信が有料のレンタルだった場合は躊躇なくお金を払える。まぁ当然僕はそんな偉大なクリエイターではないし、映画と漫画で翻訳不可な要素はいろいろとある訳ですが、とはいえ、そういう消費行動はあり得るし、その層に買っていただくにはどうすればいいのか、新たな視点というか、挑戦すべき疑問ができたのを、今回の怪我の功名としてます(笑)。

——そういった消費行動の差は、作品の質とも相関関係があると思いますか?

魚豊:あると思います。まず、キャラが刺さってる場合はお金を出して漫画を買いやすいと思います。あとは、サブカル的に、本棚に並べたいから買う、というパターンもあると思っていて。「チ。」は「週刊ビッグコミックスピリッツ」に載ったっていうのもありますし、マンガ大賞の2位になってメディアが取り上げてくれたり、いろんな複合的な要素はあると思うんですけど、そういう層に刺さったのでは?と思っています。でも「FACT」は刺さらなかった。日々反省ですね。

大森:正直なことを言うと、僕としては「FACT」の方がより刺さりはしたんですが……一般的には「チ。」なんですね。

魚豊:抑圧されている主人公は応援しやすい、みたいな王道の要素も当然あるんですけど。それと比べると「FACT」は買う動機が少なかった。自分としては「FACT」も肝いりですし、サブカルに絶対媚びない、みたいな制作意識もあった。挑戦作ではあったんですけど、しかしコレも反省ですね。

「近しい人がうっすら陰謀論にハマるリアルは、
フィクションやエンタメでは語られない」(大森)

大森:先ほどおっしゃった「サブカルに絶対媚びない」っていうのは、具体的にはどういう部分ですか?

魚豊:絶対に露悪的にしないようにする、しょうもなさを描く、という点です。

大森:あぁ、それは読んでいて思いました。陰謀論というテーマを考えた時に、もっとダウナーで絶望的な取り返しがつかないところに到達する話になっていきそうなところを、「FACT」はそうならなかった。主人公は陰謀論の奥の奥にはいかず、かなり浅瀬のところで戻ってきましたよね。

魚豊:それをやりたかったんですよ。陰謀論だけど、めっちゃしょうもないっていう。ひいては、それが日本の政治環境を反映しているから。主人公をはじめとした作中の陰謀論に染まっている人たちは、歴史に接続できていなくて、要は日本の対米従属的な関係性の中で、逆輸入的に陰謀論に接しているんですけど、そういう重みに接続できていないことを登場人物たちに象徴させたかった。

——重さの話でいうと、恋愛が絡むことも含めて、2000年代初頭における古谷実のダークさにいかなかったことが、非常に現代的だなと思いました。

魚豊:あー、まさに。今こういうテーマをやるなら、古谷実先生らしい重さにならないように、っていうのはめっちゃ意識しました。あるいは、鬼頭莫宏先生もそう。そういう、いわゆる世紀末/新世紀っぽい感じ、その“カッコ良さ”は目指せないし、目指すべきではないと設定していました。ひたすらしょうもない、登場人物全員ダサい、その上で「無敵の人」にもならない、そういう漫画を描きたかったんです

——「しょうもないことが現代の象徴」っていうのは、分かりやすく露悪にいくことに比べて、文脈が複雑になるので、そこが売り上げにつながらないのかもしれないですね。

魚豊:ですよね。その方がリアリティーはあると思ったんですけど……反省です(笑)。

大森:魚豊さんの言うことはめっちゃ分かります。そのお話を聞いて、黒沢清さんを想起しました。黒沢清監督は、ジャンル映画・エンターテインメント作品を志向しますが、実際は日本の監督の中でトップクラスにアートハウス系の文脈で評価されています。ある種のねじれのようなものがありますよね。魚豊さんはそこに通ずる部分もあるのかなと。

魚豊:いやいや、黒沢清監督は巨匠ですけど、僕は全然まだまだ新人なので。

大森:でも僕は、浅瀬の陰謀論にハマりながら、そこに恋愛も絡んでくるっていう物語は、エンタメとしても、シンプルにリズムとしても、すごくおもしろいと思いました。そもそも陰謀論をテーマにする時って、Qアノンが議事堂に突撃した事件とかが象徴になりがちですけど、実際に一番リアルで不気味に感じるのは、親だったり近しい人がうっすら陰謀論にハマってるくらいのことじゃないですか。なのに、フィクションやエンタメではそこが語られない。そういう機微をフィクションで語るには、あまりに微妙で複雑ゆえに難しいからだと思うんですけど、「FACT」はそこをど真ん中に描き切った時点で、僕の中では一線を画す漫画なんですよね。

魚豊:あぁ……大森さんにそう言っていただけて、もう十分、ようやく浮かばれました。

大森:少し前に「ここはすべての夜明けまえ」(著:間宮改衣、早川書房)という小説を読んだんですけど、SFにしてもホラーにしても、大きな主題を扱うよりも、今はもっと小さな物語を読みたい感覚が僕にはあって。「FACT」は大きな主題を扱っていながら、ちゃんと自分ごとの小さな物語に落とし込めているところが素晴らしいと思ったんですよ。

魚豊:マジでうれしいです……。僕が思う作家の使命って、どんな人にでも伝わる強度のあるセリフを描くことだと思っていて、と同時に、そんなものは絶対にないとも思っている。どんな言葉であろうと、何かしらの反論がある。例えば「空が青いだけで幸せだ」といった場合でも、じゃあ空が見えない人はどうなのっていう。それと同じジレンマで、何かに夢中になっている人を描いた場合、それが地動説ならいいの? 陸上競技なら? 「FACT」における陰謀論はどうなの? カルトに夢中になっている人は? そうやってどんどん考えていくと、もはや対象に良いも悪いもないんじゃないかなって思うんです。どんな対象であれ、夢中になることは肯定的な面はあるはずだ、という前提で描くしかない。僕は漫画を描くことに夢中になっていて、奇跡的にそれを仕事にもできて、毎日を夢見心地で過ごしているけど、別の誰かが夢中になるものが、いわゆる世の中的に悪しきことだとしたら、それを理由に否定していいのだろうか。たまたま夢中になったものが、今の社会にそぐわないというだけで否定され、欲望の達成に向かって努力することさえ許されないのだとしたら、あまりに残酷だと思うんですよね。そういう意味では、「FACT」で陰謀論にハマった主人公も、「チ。」や「ひゃくえむ。」の主人公と同等に、何かに夢中になっている人間なわけで、構造としては同じなんです。

「漫画業界は、『作品さえ良ければ必ず売れるはず』という思想が強すぎる」(魚豊)

大森:魚豊さんは読者層の分析とか、作品をどうやって世に広めていくかとか、もっと言うと媒体の収益化の仕組みとか、そういう話をよくされる印象がありますけど、漫画家なら誰もが考えていることなんですか?

魚豊:いや、あまりないと思います。僕も全然考えられてるタイプじゃないですし、大森さんや他ジャンルの人とお話しするとお恥ずかしい限りです。漫画家も編集者も内容のことだけを考えてる人がほとんどです。作画についてとか、キャラの造形、展開や見せ場をどうする、基本的にそういうことだけ。媒体の運用システムの話などは、もちろんそれのプロフェッショナルではないですし、話すべきではないかもという意識はあります。

大森:テレビ局員も、制作の部署は特に、番組内容の話ばっかりしてますよ。でも僕は、どういう文脈を踏まえて、どこでどう出すとか、そういう話も好きなんです。

魚豊:ですよね。だから大森さんとか、共通の知人であるDos Monosのタイタンさんと話すと、いつも刺激的なんです。だって「行方不明展」とか、本来的にはテレビ局員が仕掛けることじゃないですよね? 扱うジャンル的に、一部の層に留まりそうな表現を、広く届ける設計までちゃんと考えてる。媒体によって出力が違うのは当たり前だし、そこを考えることはめっちゃ重要なはすですが「作品さえ良ければ必ず売れるはず」という思想が強すぎるんですよね。もちろんそれは一面の真理ですが、それだけじゃないはずです。

実際細かいデータを持ってないので、孫引きの情報ですが、一説によると漫画業界自体の売り上げは上がっているけれど、雑誌などの売り上げは落ちている。それが何を意味するのかが、今の漫画業界の主要なテーマだと思います。今後人口が減っていって、さらに雑誌が弱くなっていくとすれば、雑誌が担っていたキュレーターの役割も弱くなっていくということ。雑誌さえ載ってれば宣伝は完了、という時代はもうとっくの前に終わってると思いますが、今後はより加速すると思います。その時、作品単体を「どの様に売るか」という要素は大事になっていくはずです。

スティーブ・ジョブズ以降、もっと前のディズニーもそうですけど、世界を生きていくためには、中身だけじゃなく、側(がわ)のことも考えられるのが、僕にとっては真のアーティストです。僕は、売ることまで考えている人を心から尊敬しています

大森:「行方不明展」に来ていただいた時も、展示の内容というより、イベントとしての構造についてめっちゃ褒めてくれましたよね(笑)。

魚豊:だってあんな不気味なジャンルのコンテンツを、誰もが盛り上がる夏イベントに仕上げるなんて、同世代の夢ですよ。一人で来るサラリーマンも、デートの学生も、友達連れも家族連れもいて、仕事ではすれ違わない人たちが大挙してた。そういう「ひと夏の思い出」を作れるのって、めっちゃヤバい。

大森:コンセプトとしては、ああいう不気味なものをもとから好きな人以外にも来てもらうために、「ここではないどこか」っていうのを狙ったんです。ホラーという入り口は広いようで狭いんです。もっと広いのは「いなくなりたい」くらいのささやかな現実逃避への甘い誘いなんだと思います。それが夏の思い出につながったのかも。

魚豊:そのコンセプトがもう素晴らしくて。じゃあ実際「ここではないどこか」ってどこなんだっていうのは明示しないまま、「ここではないどこか」というコンセプトだけがある。部屋から出て「ここではないどこか」に行きたい人たちが、「ここではないどこか」というコンセプトの展覧会に行くって、もはや自分に会いに行っているのと同じで、その意味では別に部屋から出ていない。ただ気持ちが循環してるだけ。気持ちだけが大事って、底が抜けた現代社会を端的に表しているし、そんな奇妙な構図を作って大盛況にするって、とんでもないですよ。みんな疲れてるし、消えたすぎる。部屋にいる元気もないから外に出たいだけですもんね。

大森:そこまで分析してくださるのは魚豊さんだけですけど(笑)、めっちゃうれしいです。

魚豊:しかも、それをテレビ局員が設計しているっていうのが現代の最前線ですよ。僕はまだ漫画を描くことしかできていないので、とても憧れます。

「ジャンルの拡大に尽力しているBADHOPのYZERRと
ダウ90000の蓮見翔は超ヒーロー」(魚豊)

大森:テレビ局はだいぶ変わってきましたけど、漫画の世界では仕掛けから考えるっていうことが、漫画家の領分ではないって思われているんでしょうね、今はまだ。

魚豊:領分もありますけど、美学の問題もあると思います。漫画家って、職人気質な方が多い。何度も同じような線を引きながら、「この線じゃない」と悩むみたいな。そのストイックさは尊敬していますが、僕にはとても無理です。

大森:魚豊さんとは真逆で、ひたすら漫画のことだけを考えたいタイプの漫画家さんもいるでしょうし。いるというか、その方が主流なのかな。

魚豊:そうですね。売ることを考えて実践したいなら、漫画家じゃなく、出版社の社員になればいいじゃん、っていう話になっちゃう。僕は単に「自分の漫画」の、しかも「内容の」専門家なだけですし、他にも口出しすべきじゃないと思うことはよくあります。とはいえ、売ることを考える筋トレもしていかなければならないとは思っています。

大森:それぞれに役割があるから。

魚豊:ただ、それとは別で、作品が売れないよりは、単純に作品をたくさん売ったほうが、いろいろと嬉しいじゃないですか。第一にはお財布にとってですが、文化にとってもそうだと言えると思います。

大森:売れた方が文化にとっていい、っていうのは本当にそう思いますね。お金の話だけじゃなく、ジャンルのマンネリ化問題というのがあって……。

魚豊:うわぁ。

大森:既存のファンに向けて、その人たちだけが熱狂することをずっと続けていたら、絶対にマンネリ化するんですよね。ジャンルの外にまで届けることは、ジャンルや業界を存続させるためでもある。それって儲かるとかのお金の話よりも、実はもっと深刻で。

魚豊:あー、マジでそうですね。なので、自分と世代が近いところでいうと、BADHOPのYZERRとダウ90000の蓮見翔は、ジャンルの拡大と存続のために本気で活動している超ヒーローなんですよ。その文化を根付かせて、次の世代につなげるって、コンテンツを作るだけより壮大で、めっちゃかっこいいじゃないですか。

——それでいうと、漫画というジャンルはもうだいぶ根付いてますよね?

魚豊:そうですね、そこがぜいたくな悩みです。ヒップホップや演劇はこの国において使命があるけど、漫画はもう、歴史の後というか。ヒップホップのライブに行ったことがない人、演劇やコントを劇場で観たことがない人と比べて、漫画を読んだことがないっていう人は圧倒的に少ない。手塚治虫といわず、1980年代の鳥山明とかの時代はまだ、漫画は大人が読むものじゃないっていう認識もあったと思うので、やるべきことがあったと推測しますけど、今の漫画は市民権も得まくって、もはや完成した後の世界を生きているくらいの感覚。でも僕は、それでもまだやれることを見つけたくて、35歳くらいになったらそっちの方に力を入れたいとボヤッと思っています。

——それと、売る話をすることへの忌避感については、マーケティングだけを説く胡散臭い人の存在感が大きくなり過ぎた、っていうのもある気がします。

大森:僕もそれはあると思います。売る才能があり過ぎて、全然おもしろくないものまで売っちゃう人っていますからね。それでも、愛情があればまだいい方で、そうではなく、売りたいものに対する愛情とかは一切関係ないまま、マーケティングだけが好きな人がたくさんいて、存在感もある。自己弁護のためにいうと、魚豊さんや僕がもっと広く届けたい、ちゃんと売ることも考えたいと思っているのは、まず愛情ありきだと思ってます(笑)。

魚豊:そうですね。

「ポスト・トゥルース時代の最後のファクトは淡い恋心かもしれない」(大森)

——大森さんにはフェイクドキュメンタリーのイメージがありましたが、だんだんとフィクション味が強くなり、最新作「フィクショナル」ではいよいよドラマにたどり着きました。

大森:フェイクドキュメンタリーについては、僕なりに可能性を広げたなという感覚もあって、その上で自分の好きな「不気味」なものを、日本だけではなく世界に届けてみたい。それには、やっぱりフィクションの力が必要だと思っているんです。純然たるフィクションであるということが、より広い世界に接続するためには必要だと感じています。

魚豊:僕が「フィクショナル」を観て思ったのは、大森さんはテレビというものをどう思っているんだろうなって。ドラマの中にもテレビ報道は出てきましたけど、大森さんはテレビの公共性とか将来性について、どう思っているのか、気になりました。

大森:「フィクショナル」の中では、フェイク動画がSNSで一気に拡散する様子を描いていますが、テレビは主人公の神野が現実と接続するシーンで象徴的に出てきます。しかも、それはある種「偶然」目にして、自分が犯したことの大きさを知るわけです。その偶然という要素が、ある種現実を気づくためのツールとなりうると思います。自分で選択して、もしくはアルゴリズムにいざなわれて見たいものを見る時代に、数少ない見たくないものを見てしまう機器、テレビ。その不便さがこれからの時代、逆におもしろく意義深くなっていく可能性は感じます。

魚豊:「フィクショナル」で描かれていたような、あれも嘘でこれも嘘で、もう全部が嘘なんじゃないかっていう世界線は、アメリカの大統領選を見るだけでも、普通に現実に起こってますよね。

大森:SNSで出回る動画を見て、どれがフェイクでどれがリアルなのかを判断するのって、もうほとんど不可能ですよね。一つひとつのファクトチェックに時間をかけている間にも、どんどん次のフェイクが出てくるし、コミュニティノート自体がフェイクの可能性だってある。そういう情報の不確かさと、自分と他者との境界が曖昧になることは、ほぼイコールだと思います。もはや何が真実かというよりも、現実はフェイクだらけであるってことだけが真実、みたいな。

魚豊:だからこそ「フィクショナル」は、最後までフィクションであることを押し通したのが良かったです。それで僕が思ったのは、フェイクドキュメンタリーとか不気味なものって、根底に“あるある”が存在しているからこそ成立しますよね。多くの人が理解できる“あるある”があって、そこからはずれるから不気味になる。でもそういう“あるある”って、今後どんどん成立しなくなるんじゃないのかなって。

大森:僕が「イシナガキクエを探しています」以降、完全にフィクションと銘打って、ちゃんと物語を描こうと思ったのは、まさにそういうことです。現実の“あるある”からはずれることで感じる恐怖みたいなことは、そろそろ限界を迎える可能性がある。だからこそ、今は物語を通じて不穏な感情を起こしたいです。

——そもそも「フィクショナル」でフェイク動画や陰謀論をモチーフにしようと思ったのは、どういう経緯で?

大森:僕と、監督の酒井さんが共通して好んでいる要素としてあるのが「現実と虚構の境目がぶれてくる」ということ、そして「一人の妄想かと思われていたものが伝染していく」ということです。それが現代社会で一番近いところにあるのは、フェイクニュースや陰謀論だと感じました。フェイクニュースは、内容が右派でも左派でも、フェイク動画を制作しているのは実は同じ人だったりするという話を聞いたことがあります。動画を制作している業者なり個人は、その内容については何とも思ってなくて、仕事として請け負ったからやっているだけ。なので、フェイク動画を作っている人を突き止めたところで、まったく思想犯とかじゃないんです。そういう現実をドラマとして戯画的に描きたいっていうのは出発点としてありました。それこそポスト・トゥルースだなって。

魚豊:いやぁ、めっちゃこわいですね。

大森:それと「フィクショナル」は「BLドラマ」を謳っているんですけど、それを踏まえた酒井さんの脚本で興味深いと思ったのは、主人公が目の前で起こることに対して感情的になり、妄想的な思考にどんどん振り回されていくのに、こと恋愛に関してだけは、感情的にもならず、まったく振り回されないんです。その脚本を読んで、人ってどんなに過激な思想に陥っても、意外と恋心だけは淡いままキープできるのかもなって。だからポスト・トゥルースの時代における最後のファクトは、そういう恋心みたいな、淡い気持ちなんじゃないかなって思いました。まぁだいぶ入り組んではいますけど(笑)。

魚豊:僕も「FACT」では陰謀論と恋愛を描いたんですけど、それは根底が一緒だと思ったからです。それらを分け隔てるのは、陰謀論は情報で、恋愛は心っていうこと。心は情報の束になれない。そこがめっちゃ重要で。最終的に陰謀論に夢中になれないのは、それが情報に過ぎなくて、心がないからだと僕は思うんですよね。

大森:その辺の意識はやっぱり「フィクショナル」とも通じますね。ただ、心というか、ヒューマニズム的なものが最後には残るとして、それが救いにはならないっていうのが現実のつらいところではあるんですけど。

「圧倒的な『力』は思想も政治も全てを超越する」(魚豊)

魚豊:結局エンターテインメントって、もちろん楽しさを提供するものではあるんだけど、最後は「力」だけでいいと思っているんです。圧倒的な力を感じさせることができれば、思想とか立場とか、全てを超越できる、と信じてる。例えば映画の「オッペンハイマー」って、ずっと政治の話をしているように見せて、実は力の話をしている。超巨大な爆発という力に人間が圧倒されているだけというか。ここ何年か、政治の話ばっかりしている様に見えて、本当は力の話をしている人もいて。最近だと、Dos Monosの「Dos Atomos」っていうアルバムは、政治的なリリックが頻出するのにまったく政治的じゃなく、完全に力の作品。僕は漫画家としてそっちを目指したい。

大森:僕が面白いと思うのも、魚豊さんと同じで、単純に迫力があるもの。「迫力あるものを描いたら、そこに政治的なメッセージが付随してきた、でもそれが何か問題でも?」というスタンスが好きです。空音央の映画「HAPPYEND」はまさにそれを感じました。政治的なものを避けるあまり、結果的に何よりも政治的になっているものは、ある種それが中心的になってしまっているように見えます。それは逆にコンテンツ自体の力も損なう。

魚豊:クリストファー・ノーランは最終的には力を描きたい人だと思います。

大森:誤解を恐れずにいうと、今回「フィクショナル」では、陰謀論やフェイク動画を扱いましたけど、僕もそのことによって政治的なメッセージを届けたいとか啓蒙をしたいとかではなくて、フィクションの題材としておもしろいから扱っただけなんです。そのおもしろさこそが力だし、魚豊さんの言うように、それは政治性を超えるのかもしれない。

魚豊:人間はありがたいことに、結局はおもしろくないと反応してくれないし、何か伝えたいものがあったとしても、つまらないと見向きもしない。その市場の無慈悲さというか、弱肉強食さはとてもいいことだと思います。

大森:こんなにショート動画があふれる世界で、おもしろくないものが届くわけないというか。

魚豊:本当にそうで、その世界の中で真に届くおもしろいを目指すのは、難しいですけど、それだけやる価値があると思います。

——そんな魚豊さんが漫画家であり続けているのは、なぜですか?

魚豊:一つ言えるのは、自分がめっちゃ好きなものが、めっちゃ売れているからですね。そのことで自分に自信を持てるし、読者をパーフェクトに信頼できる。もし自分がめっちゃ好きなものが、世間で1ミリも相手にされていなかったら、創作はできていないと思います。でも、ノーランにしてもタランティーノにしても、福本伸行先生も「闇金ウシジマくん」も、テーマは全然違うけど、全部めっちゃ売れている。しかも「闇金ウシジマくん」なんて、ものすごいコアな題材なのにめっちゃ売れてるって、漫画の可能性すごいなって思いますね。だからもし売れなかったら、それは読者のせいではなくて、僕の出力ミスのせい。読者はすさまじい審美眼を持ってると思います。

——最後に。あえて漠然とした質問をしますが、この先の未来については、どう考えていますか? 短期的でも、長期的でも、答えやすい方で。

魚豊:長期的に見れば、僕は絶対に良くなると思います。というか、おもしろくはなるだろうなって。それはやっぱり技術が進歩するので。今の時代に生まれたことはすごい残念に思ってます。もっと未来に生まれたかった。ちょっと話は飛びますが、例えば理論物理屋は、強い力、弱い力、電磁気力、重力、自然界にあるこの4つの力を統合することが大きな仕事としてあると思いますが、今のところ3つはなんとなくわかってる。だけど、重力だけはいまだにめっちゃ謎で、あると言われている未知の粒子が解明できれば、世界は一気に加速します。電磁気力の謎がわかってきたのが、ざっと200年くらい前で、その電磁気力を使ったiPhoneとかの商品化には200年くらい時間かかっている。蒸気で機械を動かしていた時代と、iPhoneがある世界と、どっちがおもしろいかって言ったら、僕はiPhoneがある世界の方がおもしろいと思う。そう考えると、この先、重力の謎が解明されて、そこから商品化までは300年くらいかかるでしょうけど、そこまでいって、重力を操作できるようになれば、空飛ぶ車も余裕だし、いろんなことができるでしょう。あらゆる問題は時間が解決するともいえる。核融合ができたりしていろいろと解決したり。新しい技術を使った商品やサービスもどんどん増えると思うので、未来は絶対おもしろいなって思うんです。

大森:僕はそこまで長期的ではないですが、この先良くはならないだろうなと思っちゃいますね。悲観主義ってわけではないし、魚豊さんのような理屈があるわけでもないので、信じられるのは自分の体感だけだとすると、良くなる感覚が全然ないです。でも、それがおもしろいし、逆にワクワクするとも思っています。魚豊さんとは全く異なる目線かもしれないですが(笑)。僕と同じように、どうにもならない虚無感を抱えた人たちが増え続け、臨界点を迎えた時、何が起こるのかとても興味深いです。ある意味での破壊衝動が自分にはあるので。厨二病的な「世界が終わってしまえばいいのに」ともまた違って、虚無の臨界超えを見てみたいです。

PHOTOS:TAMEKI OSHIRO

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