ビューティ

仕事が絶えないあの人の、“こうしてきたから、こうなった”コロナ禍でさらに注目の下地専門ブランド“ヌーディモア”泉祥子編

 転職はもちろん、本業を持ちながら第二のキャリアを築くパラレルキャリアや副業も一般化し始め、働き方も多様化しています。だからこそ働き方に関する悩みや課題は、就職を控える学生のみならず、社会人になっても人それぞれに持っているはず。

 そこでこの連載では、他業界から転身して活躍するファッション&ビューティ業界人にインタビュー。今に至るまでの道のりやエピソードの中に、これからの働き方へのヒントがある(?)かもしれません。

 新型コロナウイルスの影響による在宅勤務や外出自粛の増加にともない、美容に対する意識にも変化が生じています。「パナソニック(PANASONIC)」が10月に発表した調査によると、在宅勤務でメイクをしない時間が増加した女性は70%以上にのぼるといいます。“薄化粧”や“メイクがマスクに付かないこと”に関心が高まる今、改めて注目される“化粧下地”。今回は、下地専門ブランド「ヌーディモア(NUDYMORE)」プロデューサーの泉祥子さんに登場いただきます。飲食業界から化粧品業界へ転身を果たした泉さんのキャリア変遷に加え、不採算ブランドという立ち位置から“下地専門ブランド”として存在感を高める「ヌーディモア」の魅力をひも解きます。
※在宅勤務を行っている20~40代女性100名を対象にスキンケアについての調査を実施

WWD:化粧品に携わる前のお仕事から教えていただけますか?

泉祥子(以下、泉):山口県にある実家が喫茶店を営んでいたこともあり、飲食に関わる仕事に興味があったんだと思います。大学進学時に上京をし3年生のころ、渋谷にあるクリエイターやミュージシャンが集まる、“ザ・東京”とでもいうようなダイニングカフェでアルバイトをするように。しばらくしてお店の常連でもあったアパレルブランドの社長から、社内に飲食部門を立ち上げるため人を探していると聞き、「泉さん、やっちゃいなよ!」という軽いノリから、インターンをすることになりました。

WWD:具体的にはどのようなお仕事だったのでしょうか?

泉:レストランのメニュー開発から内装、制服決め、サービススタッフの研修まで何でもしましたね。とはいえ私自身が経験のない“ひよっこ”ですから、外部の方の協力を仰ぎながら全体のディレクションをするということが主な仕事。カメラマンや建築家、グラフィックデザイナーなどプロの仕事を間近で見ることのできる貴重な機会でした。何よりも五感をフル活用しながら、形のないコンセプトをゼロから形にしていくことは刺激的で、作る側と受け取る側(=お客さま)がいて初めてその空間が完成するということにも興奮しました。大学4年になり、就職活動もしていて内定までもらっていたのですが、結局そのまま飲食業界に進むことに決めました。

WWD:やりがいを感じていたのですね。

泉:はい。しかし3年半ぐらい経ったころ、燃え尽きてしまいました。立て続けに3店舗オープンし、それぞれの店舗のマネジメントや売り場でのサービスなど業務は多岐に渡っていたんです。朝8時半から深夜まで働き、タクシーで帰るような毎日でした。あるとき「もうやり切った!」と仕事を辞めて、ヨーロッパ旅行に行きました。半年ほどゆっくりしていたのですが、そろそろ家賃の支払いもやばいかも——そう思っていた矢先に友人から声をかけてもらい、化粧品会社でアルバイトをすることになりました。

その会社はベースメイクとスキンケア製品が主力で、スタッフによる販売力が売り。社内に商品開発といった部署はありませんでした。ほとんどの場合、創業以来のパートナーであったOEM (相手先ブランド生産)企業が企画からマーケティングまで行い、完成した商品を採用するというやり方でした。ほどなく社内から「お客さまのニーズに合った商品を作りたい」という話があがり、新たに商品部ができたタイミングで私もメンバーになったんです。25歳ごろですね。

WWD:元々美容の仕事への興味を持っていたのですか?

泉:いや、なかったです(笑)。初期メンバーは社長、秘書、私のみで、2カ月に1商品を出すということだけが決まっていました。商品開発のイロハも分かりませんし、大きな金額分の仕入れをするという緊張感ものし掛かってきました。OEMの方々には、文字通りゼロから教わりました。原料、成分、容器製造など化粧品作りに関わるすべての現場を見させていただきました。「原料だけでもこんなに取引先があるんだ」「ボトルのこのパーツを作る工場はまた別なのか」と驚きの連続。現場のプロの方を目の当たりにして、職人さんってクリエイティブだなと心底感じました。目には見えないコンセプトを形にするコスメ開発の作業ってレストランと同じだ!と気付いたんです。そうなるともう“異業種に転身した”という感覚や不安は消えて、お店づくりをしていたころのワクワク感でいっぱいになりました。

初めて手がけた商品での挫折から得た学び

WWD:初めて携わったのはどのようなアイテムだったのでしょう?

泉:美容液のリニューアルでした。愛用者の方々の信頼を損なわずに期待を超えなくちゃ!という大きなプレッシャーがありました。試行錯誤の末生み出した新美容液は既存品に比べて、原料や効果感、使用感も向上させましたし「なんならパッケージもちょっとおしゃれにしたぞ!」と満を持して発売。それが、全然売れなかったんです。

ここではっきりと分かったのは、お客さまが求めているのは効果や数値といったスペックだけではないということ。お客さまにとって化粧品は使ってきた歴史や経験と切り離せないもので、その延長線上に置いておきたいと思ってもらえる商品でないと価値がないということを思い知らされました。効果効能だけではない商品の魅力というのは、化粧品独特の嗜好性だと感じましたね。商品の“人格”をどうやって形作って、息を吹き込むかが要なんだ、と。これは実際にコスメをゼロから作ってみて分かったことでした。

WWD:なるほど。そのご経験と“情熱”をどのように形にされていったのでしょうか?

泉:この化粧品なしには人に会えない!と思うぐらい自分がのめり込める製品を生み出そう、そして納得するまでは商品を出さない——そう心に決めました。とはいえ2カ月に1度のペースで新商品を出さなくてはないので、どうしてもお尻が決まっています。「間に合わない」も「まぁいいか」も許されません。自分がとことん惚れた製品ならきっと悩みや年代が違ってもお客さまに愛してもらえるポイントがあるんじゃないかと信じて、試作品を何度も作り直しました。いざとなったらメーカーに入り浸って細かな調整を重ねるという日々でした。

WWD:それはOEM側との信頼関係があってこその技ですね。

泉:OEMからしたら大迷惑ですよね(笑)。自分の思いを製品に落とし込むために大切なことは、関わるすべての人を尊敬し、その人たちに愛されるかどうかだと思うんです。「お前が言うならしょうがない」と思っていただけることが、もう一踏ん張りに効いてくるんです。だからこそ、メーカー側のミスによってトラブルが発生したときは、普段の恩返しの機会と捉えて「大丈夫です!こちらでなんとかしますので!」と責めない姿勢でいることを心掛けました。結局、1人では何もできないですから。少しずつですが売り上げが伸び、部署は10人のチームになっていきました。

約10年間この仕事に携わり、その間に商品開発室長を経て役員までに。しかしずっと“プレイヤー”でいたかった私は、最終的に業務委託の契約にして、自分の会社を作ることにしたんです。

不採算ブランドを“下地専門ブランド”へ

WWD:そこで「ヌーディモア」に出合うのですね。

泉:はい。14年に立ち上げたトオンという会社では化粧品プロデューサーとして、企業の製品開発やブランディングを手掛けていました。そのうち、大手ドラッグチェーンの子会社が経営するコスメブランドから相談を受ける機会があって。「98年のデビュー以降、テコ入れもしておらず不採算。売り先もなくどうしよう」と。そのブランドが「ヌーディモア」でした。デビュー当時は人気メイクアップアーティストのプロデュースブランドということが売りだったけれど、契約はすでに終了。ただ販売だけを続けている状況でした。

売り上げを見ると確かにひどい数字でしたが、全体の7割が2種類の化粧下地によるものだったんです。スキンケアからファンデーション、アイシャドウなど70近い商品数の中で、リピートと口コミで下地だけが売れ続けている。それって逆に強みになるのでは?——そう感じた私はブランドごと譲り受け、16年に新たに「ヌーディモア」の会社(「クチュール」)を立ち上げました。

WWD:そこからどのように立て直されたのでしょうか?

泉:購入履歴やお客さまの声に耳を傾けると、やはり下地への支持が圧倒的。ここで、前職の“美容液リニューアル大失敗”の経験が生きました。ブランドの価値って作り手である私たちのものではなく、お客さまのもの。だからこそ「そうだよね、『ヌーディモア』といえば下地だよね」——そう感じてもらいながら、さらに愛されるブランドにしたいと考えたんです。

下地に特化するためにまず、下地以外のアイテムのほとんどを廃盤にしました。看板アイテムである下地“ブライトンカラー”と“ビューティヴェール”の基本設計は、ほぼデビュー時のまま。私が初めて「ヌーディモア」の下地を使用したとき、薄膜のヴェールなのに確実にトーンが上がる仕上がりに感動したんです。塗っているのか分からないようなスキンケアに極めて近い下地が多いなか、手応え感のある「ヌーディモア」は新鮮でした。パッケージも変えず、ロゴだけ変えているんですよ。

WWD:“変えない”ということも大きな決断だと思います。

泉:98年の誕生から生き残っている商品というのは本質がはっきりしている証拠。だからこそ商品の“骨格”はそのままに、製法の技術や原料のクオリティーを常に更新するようにしています。

下地2種を混ぜてアレンジしながら使用できるということも後から知ったんです。販売履歴を見てみると、2つの下地の同時購入が最も多かった。コールセンターの人に聞いてみたら、「ご愛用者さまは、質感と仕上がりの異なる2つの下地を混ぜて使っているんですよ」と。こんなにも下地が愛さているブランドは他にない——その思いで“日本初の下地専門ブランド”というコミュニケーションを掲げたわけですが、それがしっくりきていたのかなと今、実感しています。

WWD:コロナ禍の“マスクメイク”で下地がさらに注目されているように感じます。

泉:4月の緊急事態宣言以降、下地の昨年対比は約126%と伸びています。特に広告をしているわけではないので、口コミを見た新規のお客さまが増えている印象です。下地の市場は、ファンデーションの7分の1程度といわれているんです。5年前は“下地を使いましょう”という啓蒙活動していたくらいですから。

在宅勤務の増加でファンデーションをしっかり塗る機会が減ったり、マスクを着けるとメイクが崩れるからという理由でベースメイクを見直した方も多いと思うんです。また、「自分に必要なものって何だろう?」と立ち止まって考えた時に“隠す”や“盛る”ではないメイクの価値観に気付いた方も多いのかもしれません。自分らしさを生かしながらも気になるところはカモフラージュしたい——その役割は下地が得意だと思いますし、これからもそんな気持ち寄り添えるブランドでありたいですね。

WWD:飲食業界での経験が生きていると感じることはありますか?

泉:レストランビジネスもコスメも嗜好品=人生を豊かにしてくれるものだと信じています。食の体験で心揺さぶられたことからインスピレーションを受けることもあります。例えばクレンジング料“カウンセリング クレンズ”の開発で目指したのは、お粥でした。1日頑張った肌をリセットするクレンジングこそ、肌に乗せたときにホッとして心にもじんわりと染み渡るような優しいテクスチャーにしたかったんです。もちろん化粧品ならではの専門的な用語を使うこともありますが、五感に作用するような製品作りやコミュニケーションの方法も大切にしています。

WWD:今後、力を入れていきたいことはありますか?

泉:つい先日まで国立北京中医薬大学の日本校に通い、中医学と薬膳の勉強をしていました。中医学って、陰陽のバランスが大切でプラスがいいわけでもなく、マイナスが悪いわけでもなく自分なりの良いゼロ地点(ベース)があるという学問なんですね。肌を爆上げする!とかそういうことではなく、その人にとってのベストのベースを見つけてあげたいという「ヌーディモア」の考えと通じるものがあるように感じました。中医学の勉強を続けながら、インプットしたものを製品としてアウトプットしていけたらと思います。

WWD:泉さんにとって仕事とは?

泉: 呼吸したり、ご飯を食べたりすることと同列かもしれません。生きていることの一部であってプライベートの中に仕事がある、という感覚ですね。私は集団行動がめちゃくちゃ苦手で学生時代の通信簿では協調性の項目が「1」でした。化粧品会社に10年もいたのに、社長と秘書以外とは一度もランチに行かなかったぐらいですから(笑)。そんな私でも、好きなことや得意なことを見つけて楽しく働いてきて今があります。コロナの影響もあり、働き方はますます多様になって肩書きに囚われずに働ける環境は加速していくと思います。自分に合った環境さえ作ることができれば、やりがいを感じながら働けるんじゃないかな。