ファッション

「クリニーク」の創業ドクターが死去 世界で初めて皮膚科医としてスキンケアをローンチ

 「クリニーク(CLINIQUE)」の共同創業者だった皮膚科医のノーマン・オラントラック(Norman Orentreich)が1月23日、ニューヨークで死去した。96歳だった。死因は明らかにされていない。

 オラントラックは元米「ヴォーグ(VOGUE)」のビューティエディターだったキャロル・フィリップス(Carol Phillips)と共に1968年に「クリニーク」を立ち上げた。2人は「美しい肌は作り出せるのか?」と題した記事を共同で執筆し、それを読んだエスティ ローダー カンパニーズ(ESTEE LAUDER COMPANIES)がブランド設立を依頼。立ち上げ時から「洗う、拭き取る、潤す」の3ステップのスキンケアを提案し、初の皮膚科医開発としてのフレグランスフリー、アレルギーテスト済みの製品を展開した。昨年創業50周年を迎えた「クリニーク」は、調査会社のNPDグループによると現在は北米でナンバーワンのプレステージブランドだという。5秒に1本売れている「ドラマティカリー ディファレント モイスチャライジング ローション プラス」などベストセラーを数多く生み出し、「クリニーク」の成功はエスティローダーを世界で3番目に大きい化粧品企業へと成長することに大きく貢献した。

 また、オラントラックは「クリニーク」立ち上げ前から医療業界のパイオニアとして知られていた。52年には世界で初めて男性の脱毛症を治療するための植毛技術を開発し、60年には皮膚科医として初めてスキンケアラインを作った。「クリニーク」立ち上げ後もブランドの製品開発などに携わり、息子のデイビッド(David)と娘のキャサリン(Catherine)も皮膚科医になった後にクリニークに入社した。その後2004年に皮膚科医を引退した。

 レオナード・A・ローダー(Leonard A. Lauder)=エスティ ローダー カンパニーズ名誉会長は「50年以上にわたりノーマンは私の親友であり、同期であり、大切なパートナーだった。彼は鋭い洞察力の持ち主で、世間のスキンケアに対する見方を変えた。彼の研究は肌だけでなく心臓や脳など、あらゆるものに影響を与えることに対する理解を深めてくれた。彼がわれわれに残したものは偉大で、一生忘れられないだろう」とコメントした。

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