フォーカス

介護との両立 「モンクレール」店長が体験した柔軟な働き方

 ある日突然、家族が大きな病に襲われたら——。介護はその人の働き方を大きく変えてしまうことがある。そして、その状況は本当に千差万別だ。母親に甲状腺がんが見つかった松本靖弘「モンクレール(MONCLER)」阪急メンズ東京店ストアマネジャー(以下、松本)に、最も大変だった時期をどのように乗り越えたのか、そして仕事の醍醐味について聞いた。

WWDジャパン(以下、WWD):まず、仕事内容を簡単に教えてください。

松本:管理がメインです。人、物を含めて、お店が円滑に進むようにする、売り上げを順調に取れるようにするという仕事です。

WWD:介護は具体的にいつからどのように始まりましたか?

松本:今年6月末に、同居している母の頭と顎に脂肪の塊ができて、病院に連れて行ったのがきっかけで、甲状腺がんが見つかりました。その中でも乳頭がんというものだったのですが、転移もしてしまっていました。

WWD:進み具合は?

松本:末期と言われる進行度でした。ただ、医師に聞いて知ったのですが、甲状腺がんは他のがんとは異なり、致命的ではないということでした。

WWD:そうは言ってもショックですよね。

松本:ショックですよ。本人の自覚症状が、首筋あたりがポコっと腫れているくらいで痛みも何もなかったので、余計にショックでしたね。たまたま妹の知人に相談したところ、専門の病院ですぐに診てもらえることになりました。他の場所だともう余命数カ月みたいになってしまうくらい進んでいましたが、幸いなことに甲状腺がんだったので、大きな手術を1回して、その後、放射線治療で転移している場所を上手にやっつけられれば、寿命を全うすることも可能だということになりました。

WWD:会社にはどのように報告を?

松本:迷わず営業と人事に事情を話しました。「できる限りのことをします」と言ってもらえて、本当に助かりました。病院への付き添いと手術後のシフトを融通してもらいました。特に手術は6時間くらいかかりましたし、その後2日間ほど母は集中治療室に入ったので、術後は2週間ほどお休みをいただきました。大きながんの塊を取ったので体が反応していろんな液体を出すようで、母にはあちこちに管が付けられていて、本当に大丈夫なのかと心配でした。また、場合によってはもう口から食べることができなくなったり、声が出なくなる可能性があることを術後に医師から告げられました。正直、もうその時はちょっと仕事のことは考えられなかったですね。合間を縫って仕事に来なさいと言われたら、それはちょっと無理だったと思います。

WWD:精神的に。

松本:そうですね。お店に行ってニコニコと接客することは多分できなかったと思います。ですから、やはりお休みをいただいてよかったです。でないと、ちょっと私も潰れていたかもしれないですね。

WWD:お休みの間、店はどのような態勢だったのですか?

松本:実は9月1日から有楽町店配属で、それまでは渋谷店の店長をしていました。手術が8月だったので、両方の店舗に迷惑をかけてしまいました。特に店の二番手のスタッフにとてもサポートされました。彼らにはちょっと頭が上がらないですね(苦笑)。店長という業務自体は店を越えて変わらない部分が多いですが、お客さまのことは実際に店頭で、ある程度時間をかけないとうまく引き継げませんから。会社としては他店からのヘルプも用意してくれるようでしたが、結局お店のスタッフ(渋谷店10人、有楽町店7人)だけでシフトを回してくれました。また、両方の百貨店の方たちも「家族のことを優先してください」と理解してくださいました。退院するまではシフトを遅番にしてもらい、一度病院に行って様子を見てから出勤しました。一度は休職も考えたのですが、結局公休と有給で乗り切り、その間に母も頑張って回復してくれました。

WWD:今はお元気で?

松本:はい。喉元の部分を大きく取ったので、神経を左右切っているのですが、人間の身体ってうまくできているというか、一部残っている部分が上手に機能して、誤嚥しないようになるんですね。食べたり話したりできるようになり、今は普段通りの生活ができています。

WWD:それはよかったですね!

松本:とりあえず大きなヤマは越えました。今は月1回病院に付き添うくらいで、この後また別の病院で放射線治療をする予定です。