ファッション

伝説のランジェリーショップ「リュー・ドゥ・リュー」 龍多美子オーナーが40年貫く下着道

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伝説のランジェリーショップ「リュー・ドゥ・リュー(RUE DE RYU)」は、1980〜90年代、下着業界に身を置いた事があるなら、知らない者はいない伝説のランジェリーショップだ。オーナーの龍多美子は、16歳でガーターベルトをつけたとき、下着に目覚めた。18歳で下着業界に足を踏み入れ、82年24歳で東京・代官山に「リュー・ドゥ・リュー」をオープン。輸入下着のセレクトショップとして名を轟かせた後に、カウンセリング重視のプライベートブランド(以下、PB)を主力とする店舗になった。下着業界がECに注力する昨今も、年間約4カ月は地方の販売会に自ら出向き、対面フィッティングの販売を徹底して貫く。創業から40年を経て、龍オーナーに下着業界の変遷や下着専門店の存在意義、未来へ渡したいバトンについて聞いた。

WWD JAPAN(WWD):下着に興味を持ったきっかけは?

「リュー・ドゥ・リュー」龍多美子オーナー(以下、龍):青山学院大学の高等部に通っていた16歳の頃、青山学院大学に通っていた5歳年上の恋人がいた。彼がランジェリー好きで、当時、創刊間もない「月刊プレイボーイ」のグラビアを広げて一緒に見ていた。彼が特に好んだのがガーターベルトとストッキングを着けたスタイルで、私は東京の下着屋を探し回ってフランスのエタコ社のガーターベルトを見つけた。それを身に着けた瞬間、「女になった」快感を自覚したのがきっかけだ。その彼とは5年の交際の後、結婚したが、残念ながら2年で離婚した。

WWD:5歳年上の恋人が、下着屋となる龍多美子の生みの親?

龍:そうだが、父が貿易の仕事をしており、渡米する度に母と3人の娘にネグリジェのお土産を買ってきてくれていた。末っ子である小学生の私にも。60年代、母親は海外ブランドの下着をアメ横に買いに行っていたし、2人の姉達も輸入下着を着けていて、私のファーストブラは米国ブランドの「バニティフェア(VANTY FAIR)」だった。それを考えると、その恋人と出会う前から下着屋になる素地はあったのだと思う。

WWD:そこから、インポートランジェリーに魅了されていく。

龍:高校時代は制服姿で下着専門店をめぐる日々だった。学校帰りに恵比寿の「ニャーゴ」へ寄った際、顔見知りのマダムが見せてくれたのが、入荷したばかりの「シモーヌ・ベレール(SIMONE PERELE)」のブラジャーとショーツ。繊細な総リバーレースのワイヤー入りブラで、美しいペパーミントグリーンだった。この下着に出合ったときの感動は忘れられず、品番まで覚えている。このランジェリーとの出合いにより、漠然とした“下着好き”から、“下着屋になりたい”と意識するようになった。短大に進むとすぐに青山にあった下着屋の「ジベ」でアルバイトを始めた。同店に勤めて6年目、23歳のときに店長になったが独立を決めた。

WWD: 「リュー・ドゥ・リュー」のコンセプトは?

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