ファッション

【三宅一生さんから受け取ったもの vol.1】 滝沢直己/クリエイティブ・ディレクター、ファッションデザイナー

 三宅一生氏の訃報を受け、多くの人がSNSなどに追悼メッセージを上げている。そのエピソードを通じて三宅氏の功績や人柄、「イッセイ ミヤケ(ISSEY MIYAKE)」というブランドの哲学を改めて知る人は多いだろう。この連載では特にゆかりの深い人たちに三宅氏へのメッセージをつづってもらう。初回はクリエイティブ・ディレクター、ファッションデザイナーの滝沢直己。滝沢は1982年に三宅デザイン事務所に入所し、三宅氏の後任として93年に「イッセイ ミヤケ メン」のデザイナーに就任。2000年春夏から07年春夏までは「イッセイ ミヤケ」のクリエイティブ・ディレクターも務めた。

 私は1989年に「イッセイ ミヤケ」のパリコレチームの一員となりました。

 ショーが終わると一生さんは私を他のメゾンのショーにたまに同行させてくれました。印象深いのはジャンポール・ゴルチエ(Jean Paul Gaultier)さんのショーにご一緒した時のことでした。

 ゴルチエさんのショーは大人気でしたが、開始時間がすごく遅れることでも有名でした。ちょうど開演時間ごろに到着した我々ですが、案の定開場はまだでした。入口前にはカメラマン、ジャーナリストら世界中から集まった多くの業界人達であふれかえっています。

 一生さんと私は開場を待つ集団後方につくと、カメラマンの一人が一生さんを見つけ、「Issey !」と叫びました。すると前方にいた人達が振り返り一生さんを見つけ、近くにいた一般の人達までを巻き込む大拍手が起こりました。

 気がついたゴルチエのスタッフが一生さんに対し笑顔で手招きすると自然に群衆が割れて彼を迎える道ができました。道を作ってくれた人たちに対し丁寧にお礼し、知人に挨拶し私を紹介しながら、やっと入場口にたどり着きました。

 すると、一生さんは招待状の封筒裏にフランス語で何かささっと書き、そこにいたスタッフの一人に渡すと彼は駆け足で会場内に消えました。すると慌てて上司らしい人が走ってきて招待状を持たない私まで入場させてくれました。それを見送る人達がまた拍手。私にとっては「世界のイッセイ ミヤケ」の存在を改めて実感した瞬間でした。

 その時、封筒に一生さんは「今日は私のスタッフNAOKIを連れてきているので申し訳ないが入場させてあげてくれませんか」と書いてあったことを後で知りました。ファッション界だけに限らず世界中の多く人々から愛された一生さんを「世界のミヤケ」としたのは毎回発表し続けた革新的なコレクションだけでなく、相手を思いやり、愛情あふれる人柄もあってのことだったのだと思います。

 もちろん、時には仕事へ、また人へと厳しい態度で向かい合うシーンもありました。しかし、私は創造者とはそういう対極的な二面性があって初めて独自の美を生み出せる存在ということを27年間一緒に仕事をさせていただきながら知りました。

 デザインするときには「服作りは福作りなんだよ」と笑顔でよく言っていた三宅一生さん。多くのものを未来への資源として残してくださいました。

 謹んでご冥福をお祈りいたします。

 滝沢直己

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