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神戸の老舗「ブティックセリザワ」で働く73歳販売員 ”洗練された接客術”を生んだ半世紀の学び

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 「ファッション販売員は若い人の仕事」。日本ではまだまだそうした見方が根強いが、人生100年時代を迎え、年を重ねても生き生きと働き続けるロールモデルが販売員にも求められている。1903年(明治36年)創業の神戸の専門店「ブティックセリザワ(以下、セリザワ)」本店の販売員である能勢仁美さんは、まさにロールモデルと呼ぶべき存在。今年で73歳を迎え、同店に勤務して49年目だ。

 神戸は日本でいち早くテーラーが根づいた、ファッション感度の高さを誇る街。時代時代に合わせて“神戸ファッション”を生み出してきたが、その台風の目となってきたのが三宮地区に本店を構える「セリザワ」だ。能勢さんが同店でキャリアをスタートさせたのが24歳の時。知識など全くないままに紳士服売り場を担当することになり、「最初は恥ずかしくて『いらっしゃいませ』の一言が言えなかったんですよ」と振り返る。

 当時の「セリザワ」の顧客リストには、世界的に知られた音楽家の畑中良輔氏や政治学者の高坂正堯氏などが名を連ねていた。目の肥えた紳士たちは、新米販売員を「よく育ちや」と激励し、「靴が少し汚れているね」「自分にも他人にも、心地よく感じる装いを心がけなさい」など、愛ある「ご指摘」を与えたのだという。「ご指摘」により「接客術は洗練し、育てていただいた」と能勢さんは話す。大切なのは「謙虚に聞く耳を持つ」ことだと教わったとも。

 時代の流れとともに2007年に紳士服店の事業を閉じ、会社として婦人服一本に注力することが決まった。それに伴い、能勢さんも34年間勤めあげた紳士服売り場を後にし、婦人服販売へと異動。紳士服から打って変わり「店に入ってくるお客さまはファッションに興味を持つ女性。私もファッションが好きで働いているので、必ず共鳴するものがあるんですね。そこを信じて、売りたい我欲を前に出さず、お相手を尊重する気持ちでいたら、必ず何かの形で返ってくるものです」と、女性同士ならではの共感力を婦人服売り場で見いだした。紳士服販売での「ご指摘」を通して培った礼法を基に、接客術はさらに磨かれていった。

阪神・淡路大震災も経験、被災者にいち早く服を販売

 勤続49年という月日は、順風満帆なことばかりではない。入社23年目の1995年には阪神・淡路大震災も経験。元町にある本店の半分が倒壊し、経験したことのない自然の脅威を前に、経営陣とともに落胆の色は拭えなかったという。「街の被害は甚大で交通網は麻痺していました。ご近所の方が車に同乗させてくださり、やっとの思いで出勤できた時には、ウインドーガラスは全て割れていました」。その中で、スタッフ一同、服を失った被災者のために精一杯のことをしようと一念発起。被害のなかった大阪エリアから仕入れ先を探し出し、大量に服を仕入れた。奇跡的に被害のなかった店の北側の路上にラックを出して販売したところ、被災者への思いやりと即座のニーズ判断が利いて、顧客はもとより新規客も訪れ、服は飛ぶように売れたという。

 震災同様、コロナ禍も店や能勢さんを取り巻く環境を大きく変えた。「お客さまの足は遠のきましたが、どんな状況でもよいこと、悪いことは必ず同時に存在します。だったら良いことを見るようにすればいいんですよね」と笑顔。続けて「世界の変化をひしひしと感じる中、自粛の日々は私の心に余白をくれました。また一から始めよう、そう思えたんですよ」と、朗らかに話す。キャリア49年で「また一から」は、なかなか言える言葉ではないだろう。

孫世代の同僚からも謙虚に学び続ける

 顧客と古い知己のような信頼関係を築く能勢さんは、自粛中も近況を伝え合うべく電話を入れるなど、関係をさらに深めていた。SNSを一切使用しないアナログな手法ながら、信用の積み重ねがかなえた人間関係の層は厚い。コロナ禍と同時期に、経営陣が3代目から4代目への交代を発表し、企業としても大きな変化が訪れている。新たに孫世代ほど年の離れた27歳のスタッフも店に加わった。「若い世代から新しいファッションのことを学べる」と心に壁を作らず、少女のような素直さを見せる能勢さんの背中を見て、次世代は謙虚さを学んでいるという。

 神戸港に停泊する船から聞こえる、低く響く汽笛の音が一日の仕事を終える合図だ。仕事帰りは店からほど近い繁華街、旧居留地を歩き回る。接客術をアップデートさせるため、ハイファッションの店舗を足しげく訪れている。新店情報を聞きつけたら若き同僚のスマホで位置確認をし「すてきな情報を教えてくださりありがとう。すぐに行ってみたいわ」とうれしそうに会話を交わす場面も。まだまだ勉強の途中だと話すその目は、清く美しく輝いている。

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