PROFILE: 竹田欣克/三起商行(ミキハウス)次期社長

子供服の「ミキハウス」で知られる三起商行は、6月1日付で竹田欣克氏(51)が新社長に就任する。経営トップの交代は1971年の創業以来初めて。新トップの竹田氏は入社以来20数年にわたって海外事業を統括し、グローバル化をけん引してきた。世界市場で戦う中、ずっと大切にしてきたのが創業社長の木村皓一氏から教わった「事業は継続し続けることが一番大切」という言葉だった。2回にわたって竹田氏にこれまでのキャリアと今後のビジョンを聞く。
――子供の頃はどんな性格でしたか。
竹田欣克次期社長(以下、竹田):割と好奇心旺盛で、いろんなことにチャレンジするのが好きな少年でした。中学校では吹奏楽部の部長を務めて全国大会に出場しながら、陸上競技もやるし、「少年の主張」コンクールや英語のスピーチ大会にも出る。とにかく興味があることは何でも挑戦していました。
海外に興味を持ち始めたのは、英語が面白くなってきた高校生のときです。叔父がニューヨークに駐在していたので弟と行く機会がありました。治安は悪かったけど、街にすごく魅力を感じ、いつかこの街で何かやれたらいいなと、漠然と思いました。
――東大法学部に進学したのは官僚志望だったから?
竹田:通産省や大蔵省(現・経産省、財務省)を志望していました。昭和の考えかもしれませんが、男子として生まれた以上、国のために何かやりたいという野心がありました。ところが、キャリア官僚を目指す学生が集まる勉強会に顔を出したとき、「大衆紙も読まないと下々の者の心が分からない」みたいなことを学生が言っているのを聞いて、自分には無理だと感じたのです。尊敬していた先輩が大蔵省入省後に考えが変わっていくのを目の当たりにしたのもあり、官僚の道を諦めました。
マスコミも受けましたが、面接で「火事の現場でお子さんを亡くした親御さんにマイクを向けてインタビューできますか?」と聞かれ、自分には無理だと悟りました。
――そのタイミングでミキハウスと出合うわけですね。
竹田:自宅にたまたまミキハウスからダイレクトメールが届いたんです。軽食付きのセミナーの案内だったので、軽い気持ちで参加したのが始まりです。セミナーに参加して驚いたのが、東大の先輩たちが生き生きと働いていて勢いがあったことです。テレビCMに外国人の子供たちが出ていたので外資系だと思っていたんですが、最終面接で関西弁の木村社長にお会いしてまた驚きました。社長の人柄に強く惹かれましたし、可能性のあるおもしろい会社だと思いました。木村社長は完全に右脳の人です。自分に持っていないものを持っているという直感がありました。
――大手銀行の内定を蹴ってミキハウスに入社したそうですね。
竹田:銀行の内定者会があった2日後に人事部から電話があり、「大阪のアパレル企業から内定をもらっていますね。今夜12時までに断ってくるならすべて水に流します」と言われました。周りに相談したら全員「そりゃ銀行でしょう」と言う。ミキハウスの採用担当者に断りの電話を入れました。ところが翌朝、その方が大阪からバイクを飛ばして東京までやってきたんです。「お前のために来た」と言ってくれました。それは心が動きますよ、学生ですから。そのまま東京駅の公衆電話から銀行に電話して断りました。
「お前、アメリカはどうなったんや」
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