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モデル歴半年でパリコレ 「ヴァレンティノ」を歩いた日本人モデル板倉源にインタビュー

PROFILE: 板倉源/モデル

板倉源/モデル</p>
PROFILE: (いたくら・げん)2003年生まれ、愛知県出身。身長188センチ。小学5年生の頃にアメリカで半年、続いてスペインで約4カ月を過ごす。高校卒業後はロンドンの大学へ進学し、現在は大学1年生。ロンドンのモデル事務所XDIRECTNに所属している

モデル歴わずか半年でパリコレのランウエイを歩き、「ヴァレンティノ(VALENTINO)」のショーやキャンペーンに起用された日本人モデル、板倉源をご存知だろうか。ロンドンの大学で経営学を学びながらモデルとして活動する21歳の彼は、TikTokに投稿している動画でも注目を集めている。「大学休んで『ヴァレンティノ』の撮影に行った2日間」や「バイトを1カ月でクビになったブランドのモデルの仕事が決まった話」、「パリコレ初挑戦日記」など、モデルのリアルな裏側を映した動画が人気だ。再生回数が200万回を超えるものもある。

ビッグメゾンを歩き、順風満帆に見える彼だが、TikTokに投稿した「パリコレ撃沈した1週間」という動画では、「ファッション・ウイークの大半は、事務所からの連絡をまだかまだかとスマホを見つめる時間。良いこともあれば、悔しいこともある」とリアルな本音を明かしている。そんな成功も挫折も、飾らない言葉で発信してきた彼に、モデルを始めてからの1年半を振り返ってもらった。2026年春夏パリ・ファッション・ウイークのオーディションを回る合間、滞在先のパリのホテルからオンラインでインタビューに応じてくれた。

WWD:モデルを目指すようになったきっかけは?

板倉源(以下、板倉):母が昔、ショールームのモデルみたいなのをしていたんです。その影響もあって、小さい頃からファッションには興味がありました。特にファッションショーを見るのが好きで、服そのものよりもショーの雰囲気に引かれました。自分はたまたま身長にも恵まれていたので、自然とモデルを目指すようになりました。

日本のモデル事務所には1つも受からなかった

WWD:日本でのモデルの経験は?

板倉:実は日本のモデル事務所には1つも受からなかったんです。高校卒業後にロンドンの大学に行くことは決まっていたんですけど、海外で活動するなら日本にマザー事務所があったほうがいいと思って、いくつか日本の事務所を受けたんです。でも全部落ちました。

それでもどうしてもモデルをやってみたくて、東コレのサイトに載っていたブランドの連絡先に片っ端から直接メールを送りました。結果的に「メゾンオルタナティブ(MAISON ALTERNATIVE)」というブランドのショーに出られることになって、名古屋から行きました。日本でモデルとして活動したのは、その一度だけです。

WWD:日本での経験がほとんどないなか、ロンドンに行った後はどのように動いたのか?

板倉:日本では事務所に受からなかったので、ロンドンに行ってからは自分で動くしかないと思って、すぐに事務所探しを始めました。

ロンドンではウォークインといって、事務所に直接行ってオーディションを受けられるスタイルがあったので、1日3〜4社くらい回りました。その場で「ごめんなさい」って断られることも多かったし、結局20社以上に応募した。でも返信が返ってきたのは4件ぐらいで、運よく今の事務所に決まった感じです。

WWD:事務所を決めるうえで、一番大変だったことは?

板倉:やっぱり一番きつかったのはメンタルですね。モデルズドットコムっていうサイトがあって、ロンドンやパリの事務所が全部載っているんですけど、それを上から順にどんどん受けていきました。でも、落ちるたびにチャンスがどんどん減っていく感覚で、「このままどこにも受からなかったら、俺、ファッション嫌いになっちゃうんじゃないかな」って思うくらい、けっこう落ち込んだりもしました。

でも、やっぱりファッションが好きだし、もしモデルになれなかったら、これからショーを見ても、素直に楽しめなくなるんじゃないかって思って。きっと羨ましさが勝ってしまうだろうなって、不安はすごくありましたけど、無事に事務所が決まったときは、本当に嬉しかったです。

WWD:事務所に入ってからは?

板倉:僕の事務所はけっこう放任主義というか、「これをやって」と指示されることがあまりなくて、基本は“待ち”なんです。最初の数カ月はずっと何もなくて焦りました。

11月に事務所と契約して、最初の仕事が入ったのは翌年の1月。その次が2月で、その後は6月のパリのファッションウイークまで何もありませんでした。最初の半年で仕事は2件だけ。「こんなもんかって」とちょっと落胆しました、正直。

WWD:ロンドンでモデルとしての初仕事は?

板倉:ロンドン・カレッジ・オブ・ファッションの卒業生によるプロジェクトの撮影でした。いわゆる学生のコレクションです。次の仕事は、ロンドン・ファッション・ウイークで、ロンドン芸術大学セントラル・セント・マーチンズ校(Central Saint Martins)の院生による卒業コレクションのランウエイで歩きました。

初のパリコレは「リック・オウエンス」

WWD:そして次の仕事がパリコレだった?

板倉:そうです。2025年春夏の「リック・オウエンス(RICK OWENS)」のショーでした。

WWD:初のパリコレ歩いてみてどうだった?

板倉:リハーサルに行ってみたらモデルがものすごい人数いて、「あれ?なんだこれ?」って思ってたら、20人くらいが並んで歩く形式のショーだと分かって、「うわ、そっち系か」って(笑)。モデルとしての露出は少なくなるので、少し残念だったんですけど、でもショーとしては本当にかっこよくて、出られてよかったなって思います。

WWD:初のパリコレでは何件くらいオーディションを受けたのか?

板倉:正確な数は覚えてないけど、20件くらいは行ったと思います。“ニューフェイス”と呼ばれる、初めてファッション・ウイークに出る新人モデルは、キャスティングが一番多いんです。まだ誰にも知られていない“新しい顔”だからこそ、キャスティングディレクターもまずは一度見ておきたいという感じ。逆に、何シーズンか経験を重ねて「この子はもう知ってる」ってなると、オーディションに呼ばれなくなることもあるんです。

だから、最初のシーズンが一番オーディションの数は多かったし、すごく重要なんです。僕は「リック・オウエンス」の後に、公式スケジュールではないけど「ロンバート(ROMBAUT)」を歩いたりしました。

「目の前にミケーレがいて。もう、意味分からなかったです」

WWD:その後「ヴァレンティノ」に起用された?

板倉:アレッサンドロ・ミケーレ(Alessandro Michele)が就任してから初めてのショーで、事務所から急に電話がかかってきて「明日、『ヴァレンティノ』のオーディションでパリ行ける?」って言われて、2日後くらいにパリに行ってオーディションを受けました。

WWD:「ヴァレンティノ」のショーが決まった時は、どう感じた?

板倉:あんまり覚えてないんですけど、でもモデルってファーストシーズンが一番大事だから、有名なモデルってだいたいファーストシーズンで大きいブランドにドカンと出るんです。「プラダ(PRADA)」でデビューとか、「グッチ(GUCCI)」でデビューとか。でそのままビッグメゾンを総なめして、トップモデルになる。

僕のファーストシーズンは、完全にダメってほどじゃないけど、正直有名なブランドにはほぼ出られなかったので「あ、俺はそのレベルまではいけないんだな」って、うっすら自覚してました。だから、「ヴァレンティノ」が決まったときは、ちょっと希望が見えたというか、純粋にすごく嬉しかったです。

WWD:ショーの現場はどうだった?

板倉:いやもう、ビッグメゾンはレベルが違いました。まずオーディションからして、モデルを世界中から呼んで、交通費も宿泊費も全部出して。フィッティング会場でキャスティングするんですけど、その時点で目の前にミケーレがいるんですよ。高校生のとき、彼のグッチのショーをひたすら見て「すげえ世界観だな」って思ってた人が、目の前にいて。もう意味分からなかった(笑)。

周りを見渡せば有名なモデルばかりだし、バックステージのカオス感、ゲストの豪華さ、会場の空気感、音楽、セット、全部が異次元でした。ショーが始まると、バックステージにあるモニターで見られるんですけど、音楽と空気と自分がそこにいる実感が一気に押し寄せてきて、感情が込み上げてきて。泣きそうになって「ダメだ」って押し込めました(笑)。ほんと感動しました。

WWD:夢がかなった瞬間だった。

板倉:そうですね。モデルを始めたときに掲げてた目標が、「誰もが知ってるブランドで歩くこと」と「ワールドワイドキャンペーンに出ること」そして「雑誌の表紙を飾ること」だったんですよ。そのうちの1個がかなった瞬間で、信じられなかったですね。

WWD:歩いてる最中はどんな感情だった?

板倉:めちゃくちゃ緊張しました。実はそれまで、ファッションショーってそこまで緊張しないなって思ってたんです。でも「ヴァレンティノ」のときは違いました。ショーが始まる前から、足ガクガク(笑)。最初のコーナー曲がるまで、ずっと震えてました。

WWD:そこまで緊張した理由は?

板倉:「ヴァレンティノ」のショーって、ランウエイがめっちゃ複雑で。それを絶対間違えちゃダメっていうプレッシャーが一番大きかったです(笑)あと「絶対に転ばないように」って思ってました。実際はそんなに転ぶことなんてないのに、なぜかすごく転んでる姿を思い浮かべてしまうんですよね。

WWD:ゲストの豪華さにも圧倒された?

板倉:ショーが始まる前、バックステージにアナ・ウィンター(Anna Wintour)が服を見に来たり、モニターでもゲストが来る様子が映ってるから、「あ、ハリー・スタイルズ(Harry Styles)来てる」とか。実際にランウェイ歩いてるとき、エルトン・ジョン(Elton John)が目の前に座ってて、「やば!」って思いながら、歩いてました(笑)。

WWD:歩き終わったあとはどんな気持ちだった?

板倉:「もう終わっちゃった」って感覚のほうが強かったです。楽しかったけど、あっけなく終わっちゃって。「もっと味わいたかったな」って。準備から含めるとすごい時間かけてるのに、ショー自体は意外とすぐに終わっちゃうじゃないですか。でもそれまでには、自分の中で「ここ歩いたら人生変わる」くらいの思いがありました。

WWD:その後も「ヴァレンティノ」に呼ばれた?

板倉:はい。キャンペーンの前にも、世には出ない「ヴァレンティノ」のルックブックを作るフィッティングの仕事が入りました。ローマのオフィスに呼ばれて、飛行機もホテルも全部手配してくれて、2日間ミケーレと一緒に服を着て、写真を撮ってルックを作りました。

WWD:そのフィッティングは、ショーに出た全員が呼ばれるわけではない?

板倉:だと思いますね。僕が行った時は、他に4人くらい呼ばれていて、全員ショーを歩いたモデルでした。1人あたり1日8時間くらい、ずっと着替えては撮って、着替えては撮っての繰り返しで。めちゃくちゃ濃い時間でした。

WWD:日本人が選ばれるのはなかなか難しい?

板倉:今回のショーは80ルックくらいあって、そのうち20くらいがメンズ。その中でアジア人は僕を含めて3人だけ。日本人1人、中国人1人、韓国人1人っていう感じでした。

WWD:そして広告キャンペーンにも出ることになったと。

板倉:そうです。1週間ローマでモデル数人で撮影をしました。自分が写った広告を街中で見かけた時はなんとも言えない嬉しさがありましたね。

WWD:パリコレに挑戦してみて、今何を思うのか?

板倉:やっぱり昔から憧れていた世界だったし、「パリコレ」って世界一大きいファッション・ウイークの中で、モデルとして挑戦できること自体が、すごくありがたいことなんだろうなって、いつも思ってます。

ただ、やっぱり他のモデルと比べちゃいます。1シーズンで10本以上ショーに出る人もいる。でも逆に、遠くから来て、1つもショーに出られずに帰る人もいる。その狭間で、自分はいつもメンタルと戦いながらやっています。

WWD:ショーに出られるのはごくひと握り、厳しい世界だ

板倉:まずモデルを目指している人が沢山いることに驚きました。今まではモデルってもっと限られた人だけがなるものだと思ってたから、こんなにたくさんモデルになりたい人がいるんだって、ちょっと衝撃でした。

モデルの数も多いけど、ショーに出られる枠は本当に少ない。たとえばアジア人モデルって、80ルック中20がメンズだとしても、アジア人は3人とか。しかもその数枠を、世界的に有名なモデルたちが当然のように獲得していく。残りの1枠、2枠って感じです。

WWD:そうした中で、「ヴァレンティノ」のショーにもキャンペーンにも起用された。自分自身ではなぜ選ばれたと思う?

板倉:ほんとに分かんないです(笑)。モデル業界って「なんでこの人が活躍して、あの人は活躍できないのか」って、正直よく分からないと思います。時代の流れや流行の顔もあるし、正直『ヴァレンティノ』に自分が合っていた」っていうことしか理由が見つからない。たまたまです本当に。

WWD:ブランドがどんなモデルを求めてるか、モデル側には分からない?

板倉:そう。だから自分で努力して掴むっていうより、もう事務所から来たオーディションを淡々と受け続けるしかない。最低限できるのは、体のメンテナンスくらい。スタイルとか身長とか骨格とか、正直「生まれ持ったもの」によるのがほとんど。だから舞い上がることもないし、ただ運が良かったんだなって。

WWD:ちなみに、「ヴァレンティノ」のオーディションの時、なにか言葉をかけられた?

板倉:いや、本当に何も言われないんですよ(笑)。「遠くからありがとう」って受付の方に言われたくらいで。

WWD:オーディションはどれくらいの時間?

板倉:オーディションだけだったら30秒とかですね(笑)。3時間並んで、10秒で「Thank you」って返される世界です。何も言われないし、反応もない。でもそれが毎日何件もあって、どんどん選択肢が狭まっていく。けっこうメンタルにきます。

WWD:メンタルを保つのが大変そうだ

板倉:本当にそうですね。僕の周りにも、日本人でかっこいいモデルの友だちがたくさんいて「この人絶対売れるだろうな」って思ってた人が、ファーストシーズンで1本もショー出られなかったり。その逆もある。なんでこんなに売れてるか分からないって思うこともあるし、だからこそ自分も「何を目指せばいいか分かんない」っていうのが正直なところです。今は、モデルのために何かを頑張るっていうより、「自分の人生をちゃんと歩むこと」の中にモデルがある、くらいのバランスでやっています。

WWD:TikTokでは素直でリアルな発信が人気を集めている。反響も大きかったのでは?

板倉:そうですね。最初はけっこう気軽な気持ちだったんです。「ロンドンの大学生」と「パリコレのモデル」っていう、2つのワードを組み合わせたらバズるんじゃないかなっていう、ほんとに軽いノリで。

「ヴァレンティノ」のオーディションのことを投稿して、100万回ぐらい再生されました。でも最近は仕事が少なくて、上げるネタがなくなってきてるんですよ。だから今はちょっと厳しい状況です(笑)。

いずれは動画コンテンツにも力を入れたいと思っていて、海外だとモデルがTikTokで注目を集めて、インフルエンサーとしてファッション業界に関わっているんですけど、そういう存在って日本にはまだ少ない気がしていて。

WWD:これからモデルを目指す人や、パリコレを目指す人に向けて、経験者として伝えたいことは?

板倉:これは言ってもしょうがないのかもしれないんですけど、モデルだけに夢中になるのはあまりおすすめしません。生まれ持った身体に左右される部分が大きくて、自分の努力だけではどうにもならないことも多い。僕のTikTokにも「身長160センチだけどパリコレ目指してます」とか「170センチでもいけますか?」というコメントが来ますが、正直かなり厳しいと思います。悲しいけどこれが現実です。努力や気合いで乗り越えられる世界じゃないからこそ、モデル1本にこだわりすぎないことが大事だと思います。

WWD:今後の目標は?

板倉:ファーストシーズンがあまりうまくいかなくて、一度は自分の限界を認めてたんです。でも「ヴァレンティノ」のショーを歩かせてもらって、「あれ、自分いけるかも」と思えて、そこから仕事も増えてきました。だからと言って、ビッグメゾンを次々に歩けるかといえばそうでもなくて、最近はもう「ヴァレンティノ」にも呼ばれなくなって。結局、自分の限界をもう一度認めざるを得ないというか、トップのトップにはいけないんだろうなって実感しています。

だから今は、モデルとしての気持ちの入れ方を少しゆるめて、大学のことや、将来的にファッション業界の別の仕事ができたらと思っています。もともとバックステージに憧れてモデルを始めたところがあるので、いずれは自分の意思でバックステージを動かせるような立場、たとえばプロダクションやクリエイティブの仕事で、ファッション業界に関われたらうれしいです。

WWD:日本でもモデルとして活動したい?

板倉:もちろんしたいです。「日本で有名になりたい」という気持ちもあって、TikTokも日本語で発信してますし、日本のファッション業界に対しては、どこか心残りというか、憧れがありますね。

高校卒業前に日本の事務所に入りたくていくつか受けたんですけど、結局どこにも受からなくて。だからこそ、今も日本の事務所を探しています。東コレにはまた絶対出たいです。日本のファッション業界に少しでも関われたら、すごくうれしいです。

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