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追悼2018 ファッション・ビューティ業界編

 2018年は、ケイト・スペード(Kate Spade)やユベール・ド・ジバンシィ(Hubert De Givenchy)、芦田淳氏らファッション業界を先導してきたデザイナーがこの世を去り、衝撃と悲しみの声が広がった。彼らの活躍や功績を称え、追悼の意を込めて故人を紹介する。

【1月】

ストリートスナップ界をけん引
ナービル・クエナム(Nabile Quenum)さん/フォトグラファー
享年32

 1985年パリ生まれ。2011年頃に開設したストリートスタイルの色鮮やかな“リアル”を切り取るスナップブログ「J'ai Perdu Ma Veste(ジャケットをなくしました)」で知られ、世界各国を飛び回った他、「モンクレール(MONCLER)」や「アディダス オリジナルス(ADIDAS ORIGINALS)」「H&M」などのブランド、「ヴォーグ(VOGUE)」や「ロフィシェル(L'OFFICIEL)」などのファッション誌でも活躍してきた。1月初旬にパリで死去したとナービルの家族が発表した。アパートでの一酸化炭素中毒が原因とみられている。(詳細はこちら)

ストリート・フォトグラファーのスコット・シューマンの公式インスタグラム(@thesartorialist)から

総資産4兆円以上の資産家としても有名
イングヴァル・カンプラード(Ingvar Kamprad)さん/イケア(IKEA)創業者
享年91

 1926年スウェーデン南部生まれ。7歳の時にマッチを安く仕入れて別の町で売れば利益を得られることに気付き、クリスマスツリーや文房具の販売を続けた。17歳で父親の資金を元にイケアを創業。カンプラード自身は88年に経営の現場から身を引き、シニア・アドバイザーという形で同社と関わってきた。カンプラードは資産家としても有名で、総資産は当時で300億ユーロ(約4兆円)以上といわれ、過去には世界の長者番付で10位以内にランクインしたこともあった。(詳細はこちら)

【2月】

パンクを愛したスタイリストの巨匠
ジュディ・ブレイム(Judy Blame)さん/スタイリスト兼アート・ディレクター

 1960年イギリス生まれ。パンク愛に溢れ、安全ピンやチェーンなどを使用し、退廃的な世界観とモードを融合させたジュディのスタイリングはマーク・ジェイコブス(Marc Jacobs)をはじめ、ジョン・ガリアーノ(John Galliano)やガレス・ピュー(Gareth Pugh)といった多くのブランドやデザイナーに影響を与えた。また、ビョーク(Bjork)のデビューアルバム「Bjork」ではアート・ディレクターを、英カルチャー誌「i-D」では30年に渡りディレクションを手掛けるなど、ファッションから音楽までさまざまな業界で活躍した。(詳細はこちら)

PHOTO BY PATRICK McMULLAN Presley Ann / PMC (c) Fairchild Fashion Media

【3月】

オードリー・ヘプバーンの数々の衣装手掛ける
ユベール・ド・ジバンシィ(Hubert De Givenchy)さん/「ジバンシィ(GIVENCHY)」創設者
享年91

 1927年フランス生まれ。1952年、自身のメゾンを設立。一番有名なのは、彼のミューズだった女優オードリー・ヘプバーン(Audrey Hepburn)の数多くの衣装を手掛けたことで、映画「ティファニーで朝食を(Breakfast at Tiffany’s)」のブラックドレスはあまりに有名だ。88年、36年独立を保ってきたブランドをLVMH モエ ヘネシー・ルイ ヴィトン(LVMH MOET HENNESSY LOUIS VUITTON)に4500万ドル(約47億2500万円)で売却。95年まではクリエイティブを監修してきた。(詳細はこちら)

1970年に米「WWD」のインタビューを受けるユベール・ド・ジバンシィ PIERRE SCHERMANN / WWD (c) Fairchild Fashion Media

【6月】

夫と二人三脚でブランドを構築
ケイト・スペード(Kate Spade)さん/ファッションデザイナー
享年55

 1962年アメリカ・ミシシッピ州生まれ。93年に夫とともに自身の名を冠したブランド「ケイト・スペード ニューヨーク(KATE SPADE NEW YORK)」を立ち上げた。ブランドは、99年に米高級百貨店グループのニーマン・マーカス(NEIMAN MARCUS)が過半数株式を取得し、2006年に米大手アパレルのリズ・クレイボーン(LIZ CLAIBORNE)に譲渡されると、翌年ケイトはデザイナーの職を辞任。15年に新ブランド「フランシス ヴァレンタイン(FRANCIS VALENTINE)」を立ち上げた。死因は自殺。CBSによれば、家政婦が6月5日の10時20分ごろに遺体を発見、現場には遺書が残されていた。(詳細はこちら)

ケイト・スペード THOMAS IANNACCONE / PENSKE MEDIA / REX (c) Fairchild Fashion Media

NYを拠点に活躍
小松アヤさん/メイクアップアーティスト
享年35

 ニューヨークのエージェント、ブリッジ アーティスツ(BRIDGE ARTISTS)に所属し、米ファッション誌「ハーパーズ バザー(Harper's BAZAAR)」や「ニューヨーク マガジン(NEW YORK MAGAZINE)」のスタイル誌「カット(THE CUT)」などでエディトリアルを手掛けていた。(詳細はこちら)

エリク・マディガン・ヘックの公式インスタグラム(@erikmadiganheck)から

エリク・マディガン・ヘックの公式インスタグラム(@erikmadiganheck)から

【7月】

松坂屋最後の創業家社長
伊藤次郎左衛門祐洋(いとう・じろざえもんすけひろ)さん/松坂屋(現大丸松坂屋百貨店)の元社長
享年85

 1611年に松坂屋を興した伊藤家の17代目当主。1958年に松坂屋に入社し、取締役、副社長などを経て80年に社長に就任した。81年には旗艦店である名古屋店を売上高1000億円の大台に乗せるなど、手腕を発揮した。だが、85年には経営権を巡る社内対立の激化から、伊藤氏が会長に退き、大番頭だった故鈴木正雄氏が社長に就く事態になった。事実上のクーデターで、名門百貨店のお家騒動と当時大きな話題になった。その結果、伊藤氏は創業家最後のトップとなった。その後、松坂屋の経営に深く関与することはなくなり、91年に名誉会長に退き、2001年には取締役も外れた。晩年は自宅で病気療養を続けていた。(詳細はこちら)

ベネトン創業者の1人
カルロ・ベネトン(Carlo Benetton)さん/ベネトン ファッション グループ(BENETTON FASHION GROUP以下、ベネトン)の創業者の1人
享年74

 ベネトン家の末子で、兄のルチアーノ・ベネトン(Luciano Benetton)、ジルベルト・ベネトン(Gilberto Benetton)、姉のジュリアナ・ベネトン(Giuliana Benetton)らと共に1965年に同グループを創業した。カルロは主にグループの生産管理やディストリビューション戦略を統括し、80~90年代に一大グループを築いた。2013年に引退し、15年に同グループはイタリア証券取引所における上場を廃止した。イタリアのトレヴィーゾでがんのため死去した。(詳細はこちら)

カルロ・ベネトン REX / Shutterstock (c) Fairchild Fashion Media

マックイーンのミューズ
アナベル・ニールソン(Annabelle Neilson)さん/モデル
享年49

 1969年イギリス生まれ。1990年代のロンドンでモデルとして活躍し、アーティストのダミアン・ハースト(Damien Hirst)、デザイナーのジョン・ガリアーノ(John Galliano)、モデルのケイト・モス(Kate Moss)らと親交を深めた。特にアレキサンダー・マックイーン(Alexander McQueen)との出会いによってスーパーモデルとしての地位を確立。モデルとして活躍した後も2015年に児童向け絵本「The Me Me Me’s」も出版し、多岐にわたって活躍した。妹姉であるカミラ・ニールソン(Camilla Neilson)は声明で死因は心臓発作のためと明らかにした。(詳細はこちら)

2016年、ロンドンの自宅で撮影されたアナベル・ニールソン ANNA DENIAU (c) Fairchild Fashion Media

プリンスの衣装を手がけた
ルイス・ウェールズ(Louis Wells)さん/衣装デザイナー
享年61

 米カリフォルニア州のアーウィン米軍基地で生まれた。12歳の時に家族の生計を支えると決心し、15歳で就職。その後ウェスタン・イリノイ大学(Western Illinois University)で服飾の学位を取得し、27歳の時にハリウッドの衣装デザイナー、ビル・フランク・ウィッテン(Bill Frank Whitten)のスタジオ、ワークルーム27(Workroom 27)で働き始め、相棒のヴォーン・テリー(Vaughn Terry)と80年代に出会った。2人はまだデビューしたてで名声もなかったプリンスの衣装を任された。肺がんのため死去した。(詳細はこちら)

ルイス・ウェールズ(左)とヴォーン・テリー (c) Fairchild Fashion Media

創業家以外から初の社長に
吉野俊昭さん/ロート製薬・前社長
享年67

 1950年生まれ。74年にロート製薬に入社。2004年に取締役に就任し、取締役ヘルスケア事業部本部長、取締役マーケティング本部長を務め、09年に創業家以外から初の社長に就任した。山田邦雄・前社長(現会長)時代に参入した化粧品事業をさらに強化し、現在は売上高の66%をスキンケア関連品が占めるという。心筋梗塞のため死去した。(詳細はこちら)

【8月】

全身タトゥーモデルの“ゾンビボーイ”
リック・ジェネスト(Rick Genest)さん/モデル
享年32

 1985年カナダ生まれ。2010年、当時クリエイティブ・ディレクターを務めていた「ミュグレー(MUGLER)」のキャンペーンモデルにリックを起用。するとネットでは、リックの外見について、さまざまな議論が巻き起こった。リックは、自身を「セクシャル・パフォーマー」と称し、ファッション界ではニコラ・フォルミケッティ(Nicola Formichetti)、音楽界ではレディー・ガガ(Lady Gaga)に愛された。(詳細はこちら)

「ミュグレー」2011-12年秋冬メンズ・コレクションのランウエイを歩いたリック・ジェネスト GIOVANNI GIANNONI / WWD (c) Fairchild Fashion Media

世界一多くの星を保有したフレンチシェフ
ジョエル・ロブション(Joel Robuchon)さん/シェフ
享年73

 1945年フランス生まれ。15歳で料理の道を志し、29歳でコンコルド=ラファイエット・ホテル(Concorde La Fayette Hotel)の総料理長に就任する。33歳で「ホテル・ニッコー・ド・パリ」料理部門長に就き、36歳で「ジャマン」のオーナーシェフとして独立。48歳の1994年に「ジョエル・ロブション」として移転拡大。2015年秋にはマッシュスタイルラボが手掛ける「ジェラート ピケ(GELATO PIQUE)」とコラボラインをスタート。“世界一美味しい部屋着”を発表してきた。死因は長年患っていたとされるがん。(詳細はこちら)

「ジェラート ピケ」とのデビューの商品発表時のジョエル・ロブション

松屋の前社長
古屋浩吉さん/松屋・相談役
享年74

 1972年に松屋入社。89年に取締役に就任、常務、専務を経て、2003年5月から07年5月まで社長を務めた。心不全のため死去した。(詳細はこちら)

女性が自分のために買うジュエリーを提案
ピノ・ラボリーニ(Pino Rabolini)さん/「ポメラート(POMELLATO)」の創業者
享年82

 1967年にイタリア・ミラノで「ポメラート」を創業。ピエール・カルダン(Pierre Cardin)など当時活躍していたデザイナーに刺激を受け、ジュエリーにも“プレタポルテ”の概念を取り入れた。心臓発作のため死去した。(詳細はこちら)

「ポメラート」“ヌード”コレクションリング (c) Fairchild Fashion Media

【10月】

“「ナイキ SB」の父”
サンディー・ボディッカー(Sandy Bodecker)さん/前「ナイキ」のアクションスポーツ部門バイス・プレジデント
享年66

 1982年、ナイキに入社し約36年間在籍。ナイキのスケートボードライン「ナイキ SB」の初のゼネラルマネジャーとして、バスケットボールシューズの“ダンク(DUNK)”や“ブレーザー(BLAZER)”をスケートボードシューズとして広めた他、「シュプリーム(SUPREME)」などとのコラボレーションを実現するなど、“「ナイキ SB」の父”と呼ばれた。また、94年から2001年までの7年間はフットボール部門にも在籍し、フットボール業界におけるナイキのシェア拡大に務めた。12年からはナイキのスペシャルプロジェクトのメンバーとして商品開発などに携わっていた。(詳細はこちら)

「レ・コパン」の創業者
マリオ・バンディエラ(Mario Bandiera)さん/BVM創業者兼会長
享年87

 1950年代に、ドイツ市場向けのニットウエア製造業で起業。58年に「レ・コパン(LES COPAINS)」を立ち上げ、上質なカシミアウエアのブランドとして発展させた。ブランド名の「レ・コパン」は、当時人気だった仏ラジオ番組「サリュ・レ・コパン」から取ったという。86年にはイタリア大統領から産業界の重要人物に贈られる功労章カヴァリエーレ デルラボーロ(CAVALIERE DEL LAVORO)を受章した。(詳細はこちら)

マリオ・バンディエラ (c) Fairchild Fashion Media

皇后さまの専任デザイナーを務めた
芦田淳さん/ファッションデザイナー
享年88

 1930年生まれ。漫画家や編集者、ファッションデザイナーとして活躍した中原淳一に師事し、63年に妻の友子さんとテル工房(のちのジュン アシダ社)を設立。注文服が主流だった60年代の日本に高級既製服のプレタポルテを広めた。60年に高島屋の顧問デザイナーに就任し、66年から10年間は美智子妃殿下(現皇后さま)の専任デザイナーを務めた。94年に広島で開かれたアジア競技大会や96年のアトランタ五輪では、日本選手団の公式ユニホームデザインを担当した。(詳細はこちら)

フェラガモ創業者の妻
ワンダ・ミレッティ・フェラガモ(Wanda Miletti Ferragamo)さん
享年96

 1921年生まれ。18歳の時にサルヴァトーレ・フェラガモ(Salvatore Ferragamo)氏と結婚。夫が死去するまでビジネスに本格的に参加することはなかったが、長時間かけて靴のスケッチを完成させていく様子や、デザインからPR、顧客対応までほぼ夫自らが対応している姿から、ビジネスについての知識を学んでいたという。90代になっても仕事を続けており、つい最近までフィレンツェのオフィスにも出勤し、ミラノでのコレクションショーにも出席していた。(詳細はこちら)

ワンダ・ミレッティ・フェラガモ (c) Fairchild Fashion Media

【11月】

元モエ ヘネシー社長
アラン・シュバリエ(Alain Chevalier)さん/LVMH モエ ヘネシー・ルイ ヴィトン(LVMH MOET HENNESSY LOUIS VUITTON以下、LVMH)共同創業者、元経営会議議長
享年87

 1987年、LVMHはモエ ヘネシー(MOET HENNESSY)と、ルイ・ヴィトン(LOUIS VUITTON)の合併により誕生。モエ ヘネシーの社長であったシュバリエ共同創業者が経営会議議長に、ルイ・ヴィトンの社長であったアンリ・ラカミエ(Henry Racamier)氏が社長に就任した。LVMH退任後、シュバリエ共同創業者は一時ピエール バルマン(PIERRE BALMAIN)を保有していた。(詳細はこちら)

【12月】

多くのセレブリティーのヘアスタイルを手掛けた
オリベ・カナレス(Oribe Canales)さん/ヘアスタイリスト
享年62

 1956年生まれ。カナレスはジェニファー・ロペス(Jennifer Lopez)やナオミ・キャンベル(Naomi Campbell)をはじめとする数多くのセレブリティーのヘアスタイルを担当した他、ファッション・ウイークでは「シャネル(CHANEL)」などのビッグメゾンのバックステージでも活躍していた。癌治療の後に腎不全と肝不全を患い、ニューヨーク・マンハッタンにある病院で亡くなった。(詳細はこちら)

(c) Fairchild Fashion Media