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ファッションエディターから弁護士へ 新人弁護士が目指すファッション業界との架け橋

 林総合法律事務所の海老澤美幸・弁護士は、国家公務員からファッションエディターに転身し、2016年から新人弁護士として活動する異色の経歴の持ち主だ。「アクションしなければ何も動かないと思っているので、やるだけやってみようと思った。仕事をガラッと変える時もワクワク感しかない」と楽しそうに語る海老澤弁護士はチャレンジすることに前向きで、常に笑顔が絶えない。何人もの弁護士を知る記者から見ても、とても珍しいタイプの弁護士だ。そんな海老澤弁護士のキャリアの変遷の理由や、弁護士としてファッション業界とどう関わっていきたいのかを聞いた。

WWDジャパン(以下、WWD):キャリアのスタートは自治省(現・総務省)だったが、もともと国家公務員志望だった?

海老澤美幸・弁護士(以下、海老澤):大学(慶應義塾大学)ではダンスサークルに入り、ダンスに明け暮れていましたが、「ちゃんと就職しないとな」と思うタイミングがあったんです。家系に公務員が多かったので、国家公務員を目指すことに決めました。各省庁と面接をした時に、自治省の方々の人柄や、地方を回って、状況を見られるという業務内容がすごく魅力的だったので自治省に入省しました。

WWD: 1年半後には雑誌の編集者に転身しているが、その経緯は?

海老澤:入省してすぐ、岐阜県に出向して地方自治に携わりました。岐阜県は、昔はファッション産業がすごく盛んでしたが、今は寂れてしまって、駅前がシャッター街になっているんです。それを見た時に急に「そういえば私はファッションが好きだった!」と思い出して(笑)。そこからファッションを仕事にして、いつかは地方のファッション産業の活性化につなげられたらと思い始めました。そのタイミングで宝島社がファッション誌の編集部員を中途採用していたんです。「ここに入れば何か見えるかも!」と思い、応募したところ採用されました。

WWD:難関と言われる国家公務員試験に合格して、1年半で出版社に転職することに周りからの反対はなかった?

海老澤:ありました(笑)。実は、高校生の頃もスタイリングを勉強したくて専門学校に行こうと思ったくらいなんです。でも、大学までエスカレーター式の高校に通っていて、皆が大学進学を選ぶ環境にいましたし、両親からの反対もあって、大学進学を決めました。でも、国家公務員になって岐阜県のシャッター街を見たら、やっぱりファッションがやりたいな、と思ったんです。「ファッションは趣味にして、今の仕事を続けたらどうか」といったアドバイスもありましたが、趣味に留めるのは自分の中で納得がいかず、仕事としてファッション業界に24時間どっぷり浸かりたいと思ったんです。

WWD:宝島社ではどんな仕事をしていた?

海老澤:試用期間中は「キューティ(CUTiE)」の編集部に配属され、その後4年間は「スプリング(SPRiNG)」に本配属されました。仕事はハードでしたが楽しかったです。毎日が文化祭の準備期間のようで、あわただしく過ぎました。

WWD:楽しかった編集部を辞めて渡英したのはなぜ?

海老澤:「スプリング」では編集とスタイリストの仕事は分かれていて、ディレクション的な仕事はスタイリスト主導のことが多かったんですが、自分はスタイリングと編集者、両方の仕事をやりたかったんです。ディレクターのような立ち位置にいるファッションエディターになりたかった。そこでいろいろと調べてみたら、ロンドンでは“ファッションエディター=スタイリスト”だと知って、「だったらロンドンでスタイリストのアシスタントになろう!」と思ったんです(笑)。

WWD:ロンドンではどのようにスタイリストのアシスタントの職を探した?

海老澤:ビザの関係などもあり、ロンドン・カレッジ・オブ・ファッション(LONDON COLLEGE OF FASHION)に在籍することにしました。同じクラスにモデルの友人がいて、彼女のツテでアシスタントを探していたスタイリストのマルコ・マティシク(Marko Matysik)と出会いました。

WWD:日本とロンドンではアシスタントの業務内容は違った?

海老澤:そうですね、ロンドンにいるアシスタントは、スタイリングに近い仕事をしていました。プロアシスタントという職業もあるくらいなので、スタイリストとアシスタントの関係は対等なんです。意見を聞かれたり、自分で選ばせてもらえたり、主体的に動ける機会が多かったです。それは渡英してよかったと思う部分です。

WWD:04年に帰国してからは?

海老澤:「フィガロジャポン ヴォヤージュ(FIGARO JAPON VOYAGE)」「流行通信」「マリ・クレール(MARIE CLAIRE)」「ギンザ(GINZA)」「カーサ ブルータス(CASA BRUTUS)」などの仕事をして、最後は「エル・ジャポン(ELLE JAPON)」のコントリビューティング・エディターになりました。