マリア・グラツィア・キウリ(Maria Grazia Chiuri)の「フェンディ(FENDI)」は、コレクションを重ねるたびに新しいアーキタイプ(原型、典型的なパターンのこと)を増やそうとしているかのようだ。(ほぼ)オールブラックのコレクションで大胆なリセットを図り、規律あるテーラードに傾倒した半年前に対して、2回目のプレタポルテ・コレクションはマリアらしいインテリジェンスを残しつつも、官能性や軽やかさに移行。少しの色も加えて、新しい「フェンディ」のアーキタイプの拡充を試みる。
「ディオール(DIOR)」ではフェミニズム、最初の「フェンディ」では家業の2代目として活躍した5人姉妹のシスターフッドに着目するなど、洋服そのものに加えて、それを作る意味を重視するマリアは今回、エドワード・エスリン・カミングス(Edward Estlin Cummings)の詩の一節「I like my body, when it is with your body.(あなたの体と一緒にある時の、私の体が好き)」というフレーズをメッセージとした。恋人の体と自分の体が重なるときの、新鮮な感覚や官能的な喜びを謳ったものだ。マリアは「フェンディ」家の5人にとって、ファーとは「単なる素材」ではなく、「軽やかさや官能性、そして身体そのものに極めて近い概念。『フェンディ』のルーツであるファーこそ、春に向けた、クモの糸のように繊細な糸から作るゆったりとしたシルエットを生み出すための出発点だった」という。確かに毛皮のコートとは、動物の遺産としての体の一部を、自分の体と重ねる洋服なのかもしれない。マリアは、「私にとって、『フェンディ』とは、この軽やかさ」と続ける。
そこで淑女の寝室を思わせるスリップドレスや、レースと重ねたシルクサテンのブラトップとキュロット型のペチコート、その上に羽織るガウン、レースのロンパース、ダンスドレスなどを連打。引き続き基調は黒だが、女性らしさを掻き立てるパステルカラーと、相反するディスコなビートを加えるためのレオパード柄などをスパイスとして加えた。ファーストルックは、半年前のタキシードシャツをハーネス付きのビブトップスに変形したかのようだ。
肌を重ね合わせるどころか
隔てられた演出に戸惑い
体と体の交わりを表現しようとしたのに残念だったのは、演出だ。ショーは、無数の蛍光灯が照らし出す空間を歩く下着姿のモデルたちを、マジックミラー越しに見るという演出だった。1970年代のイタリアの美術運動を代表する彫刻家ルチアーノ・ファブロ(Luciano Fabro)の作品「ミラー・キューブ」に着想源を得たもので、当時は観客やパフォーマーを巻き込む実験的な空間インスタレーションとして評価を受けたという。外側の観客は、空間内のパフォーマーと同時に、鏡に映る自分たちの姿を見ることになり、演じる側(能動的)と見る側(受動的)の役割の境界線を曖昧にする意図があった。「フェンディ」はこのアイデアを取り入れ、確かにマジックミラーには観客の姿が残って、モデルの体と観客の体が交じり合ったが、デリケートなコレクションを楽しむための理想的な演出だったとは言い難い。モデルと観客は肌を重ね合わせるというより、マジックミラーという大きな壁に隔たれてしまった印象もある。クチュールのアトリエを拡充し、これまで以上に繊細なテクニックを散りばめるようになった洋服を観察するのは難しい環境だった。体を重ね合わせるには白々しい蛍光灯の光は無粋で、多くの観客は戸惑っていたようだ。
「フェンディ」を長らくけん引してきたカール・ラガーフェルド(Karl Lagerfeld)が打ち出し、その頭文字はFFロゴにもなっている「ファン・ファー(楽しいファー)」というアティチュードを発揮しきっていないことにも、今なお幾ばくかの戸惑いを覚えてしまう。