
イタリアの北東部のヴェネト州に「リヴィエラ・デル・ブレンタ(ブレンタ川流域)」と呼ばれる一帯がある。別名「高級婦人靴のメッカ」と呼ばれるその地に、名だたるビッグメゾンが靴作りを委託している。大小約500社が集まり、年間2000万足を生産。デザインからヒール、ソール、各種パーツまで靴作りの機能が集積している。
なぜ靴作りが一大産業になったのか。同地の全貌を、イタリア靴メーカー協会、イタリア大使館貿易促進部、ヴェネト東部産業連盟の協力の元リポートする。(この記事は「WWDJAPAN」2026年10月12日号からの抜粋です)

なぜリヴィエラ・デル・ブレンタが「高級婦人靴のメッカ」になったのか。それをひもとくカギとなるのが、ベネチアからほど近い立地だ。近世のベネチアは貴族が実権を握っていたが、その多くが諸外国との交易で成り上がった商人だった。国際的な交流が盛んなため、海外の流行を取り入れる土壌があり、彼らは衣類や宝飾品、靴でステータスを示した。それに応えるように靴職人も技術を磨いていった。
そんな彼らが、15世紀から18世紀にかけてブレンタ川流域に別荘を建てるようになる。特に16世紀以降、べネチアとパドヴァを結ぶブレンタ川沿いは、貴族の避暑地として栄えた。今も川沿いには多くの別荘が残っており、当時の面影を伝えている。
貴族は別荘へ移るとき、靴職人を連れてきた。これが「高級婦人靴のメッカ」の始まりといわれている。ブレンタ川は人と物を運ぶ水路であり、物流の心配もいらなかった。この時点で、文化的・地理的条件は整っていた。
「職人を育て、送り出す」
職業訓練校の存在
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いまや立派な工場を持つ靴メーカーも、元をたどれば数人の職人が始めたところが多い。その職人たちを1923年から送り出してきたのが、職業訓練・技術センターのポリテクニコ・カルツァトゥリエーロ(POLITECNICO CALZATURIERO)だ。3年制の学校で、主に土曜に開講している。通うのは、靴職人を夢見る若者だけではない。スキルアップを目指す現役の職人や再就職を求める失業者も門をたたく。イタリア語で授業を行うため外国人比率は高くないというが、それでも毎年1000人以上が靴作りを学んでいる。
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