ファッション

9.11から25年 NY在住ファッションジャーナリストが語る「あの日」

2001年9月11日朝、ファッションジャーナリストの森光世さんは米・ニューヨークの中心部にあるコーチ(COACH)のオフィスにいた。シーズン恒例の日本のプレス関係者を招いた朝食会の最中、誰かの切迫した声が静寂を破った。

「見て、大変なことが起きている」

窓の外へ目をやると、真正面にそびえるワールドトレードセンターの上層部から黒煙が噴き出していた。午前8時40分過ぎのことだった。

それから25年。1980年に渡米し、40年以上にわたり現地からモードの変遷を見つめ続けてきた森さんに、「あの日」がニューヨークの街とファッション界をどう変えたのかを聞いた。

WWD:ニューヨークへ渡ったのは1980年。コレクションの取材を始めた経緯は?

森光世(以下、森):結婚を機に日本での仕事を辞めて移住し、当初は日本の雑誌の取材などを中心に受けていました。正式に協会登録をしてニューヨーク・ファッション・ウイークを取材し始めたのは1982年。ダナ・キャラン(Donna Karan)がまだ「アン クライン(ANNE KLEIN)」に在籍していた時代です。今となっては懐かしい話ですね(笑)。

WWD:2001年当時、ニューヨーク・ファッション・ウイークはどのような状況だった?

森:当時のニューヨークは、今振り返っても相当な盛り上がりを見せていました。「ヘルムート ラング(HELMUT LANG)」がNYでショーを開催し、世界中からメディアが集結していましたし、御三家の「ダナ キャラン(DONNA KARAN)」「カルバン クライン(CALVIN KLEIN)」「ラルフ ローレン(RALPH LAUREN)」も盤石だった。マーク・ジェイコブス(Marc Jacobs)は「ルイ・ヴィトン(LOUIS VUITTON)」を、マイケル・コース(Michael Kors)は「セリーヌ(CELINE)」を手掛けるなど、アメリカ人デザイナーがパリのメゾンを牽引し、「今のアメリカのクリエイティビティは見逃せない」という熱気が充満していたんです。

加えて、「アナ スイ(ANNA SUI)」「ヴィヴィアン タム(VIVIENNE TAM)」「ジル スチュアート(JILL STUART)」といった、当時の若い女性たちを熱狂させた気鋭のデザイナーたちも本格的なショーを行っていました。ランウェイにはナオミ・キャンベル(Naomi Campbell)やケイト・モス(Kate Moss)らスーパーモデルが勢揃いし、欧州や日本からも名だたるバイヤーやエディターが押し寄せていた。今以上にエネルギーが満ち溢れていた時代でした。

前夜は「マーク ジェイコブス」の祝宴

WWD:あの日、9月11日の朝の記憶は?

森:まさにファッションウイークの会期中でした。前夜の9月10日は「マーク ジェイコブス(MARC JACOBS)」のショー。ハドソン川沿いのピアで開かれたアフターパーティーは、豪快なイタリア料理とお酒が振る舞われ、誰もが祝祭感に酔いしれていました。マーク自身も、あの盛大なパーティーの翌日に9.11が起きたということで、今でも忘れられないコレクションだとよく話しています。

翌朝、私は「コーチ」のオフィスで開かれていた日本のプレス向け朝食会に出席していました。歓談の最中、スタッフの方が「ワールドトレードセンターで大変なことが起きている」と言うので、みんなで窓際へ向かうと、ほぼ真正面にツインタワーが見えました。すでに飛行機が突入した後で、ビル上部から黒煙が立ち上っていた。まだ崩壊する前のことです。その場に長く残っていた関係者は、タワーが崩れ落ちる瞬間を目撃したそうです。

WWD:その後、どのように避難を?

森:「これはただ事ではない、電車が止まる前に帰らなければ」と、すぐに解散となりました。当時はチェルシーの27丁目に住んでいたので、運行停止になった地下鉄を使わずとも徒歩で帰ることができました。ブルックリンにオフィスがあった夫も、事態を察してすぐに家に戻ってきました。

当時、私の兄が野村證券のニューヨーク支店に勤務しており、オフィスはツインタワーのすぐ隣にあるアメリカン・エキスプレスのビルに入っていました。兄はオフィスの窓から、信じられない光景を目撃したと言います。会社から即時退避の指示が出たものの、ニュージャージーへ向かう交通機関は完全に遮断されていたため、兄はウォール街から27丁目の私の自宅まで歩いて逃げてきて、その夜は我が家に身を寄せました。

WWD:進行中だったファッション・ウイークはどう対応したのか?

森:業界関係者の中にも犠牲者が出たこともあり、直ちに全日程の中止が決まりました。ファッションを祝う空気など、一瞬で吹き飛んでしまったのです。

「必ず立ち直る」という共通の意志

WWD:その後、業界はどのように再起を図った?

森:翌シーズンとなる2002年2月には、例年通り開催されました。各デザイナーは会場でチャリティや寄付を募り、プレスキットには犠牲者への追悼やニューヨーカーへの祈りのメッセージを添えていました。

ただ、当時のショーの内容は正直あまり記憶に残っていないんです。街全体が深い喪失感とトラウマの中にあり、誰もが精神的に沈み込んでいた。顔を合わせれば「前シーズンは本当に大変だったね」と言葉を交わすのが精一杯で、とても通常通りの批評眼を持ってコレクションを取材できる心理状態ではありませんでした。デザイナーたち自身も、精力的にクリエイションに没頭できる状況ではなかったのだと思います。

WWD:日常の空気感が戻り始めたのはいつ頃?

森:1年ほど経ってから、少しずつ日常が戻ってきた印象です。それでも、街を覆う空気は明らかに変わりました。どこか警戒心が解けず、心から羽目を外して楽しむことができない重苦しさが、しばらくの間マンハッタンに漂っていました。

WWD:9.11に限らず、リーマン・ショックやコロナ禍など、ニューヨークは度重なる危機に見舞われてきた。そのたびに立ち上がってきた原動力はどこにある?

森:アメリカという国は、未曾有の危機に直面したときこそ「みんなで手を取り合って乗り越えよう」と団結する力が驚くほど強いんです。9.11の後も、CFDA(アメリカファッション協議会)が旗振り役となり、例えばショッピングの日をつくろうといった動きもありました。ファッション界だけでなく、音楽界でもミュージシャンが集まって歌うなど、「必ず立ち直る(カムバックする)」という共通の強い意志がありました。

WWD:ファッションを単なる消費財としてではなく、社会をエンパワーする手段として捉える意識が強い。

森:ニューヨークのデザイナーは社会の情勢に対して極めて敏感ですし、自身のスタンスを明確に表明します。政治や社会課題に対しても「私たちはこう考える」と声を上げ、連帯を恐れない。逆境に立たされたときの結束の強さは、アメリカのクリエイターならではの特質です。

服を売ることだけが目的ではなく、「自分たちがこの街の文化をつくり、社会を支えている」という矜持がある。ヨーロッパの歴史あるメゾンとはまた異なるアプローチで、「クリエイションの力で人々の心をどう鼓舞できるか」を誰もが真剣に考えている。あの日から25年が経った今も、そのスピリットはニューヨークのデザイナーたちの中に脈々と息づいています。

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