青梅市にある1702年創業の日本酒の蔵元「小澤酒造」の小澤幹夫と、フランスの伝統製法で地元の原料と土地由来の乳酸菌のみを用いるチーズ工房「フロマージュ・デュ・テロワール(Fromages du Terroir)」の鶴見和子。2人に共通するのは、「東京」という言葉から想起されるイメージのもとで伝統を尊重し、土地の条件と真摯に向き合いながら「テロワール(気候・土壌・地形・人などが農産物の個性や品質に与える総合的な影響を指す概念)」にこだわる姿勢だ。
小澤は欧米やアジアで積極的に日本酒の販路を広げており、300年続く東京の酒蔵が作る日本酒の価値を発信している。純米や大吟醸といった多様なタイプがある中で小澤が「蔵の個性が表れている」と語るのは「生酛造り」だ。発酵に必要な環境を人の手で過度に整えるのではなく、蔵の空気や水、微生物といった自然の働きに委ねる点に特徴がある。効率や再現性よりもその場に流れる時間を大切にするあり方は、土地と向き合うモノ作りを象徴している。
鶴見は日本では稀な、土地に根ざした菌を用いるアプローチでチーズ作りを行っている。フランスの伝統製法である一方、日本では市販の菌を使う生産が主流であり、東京でこの手法でチーズが作られていることは珍しい。また、小澤酒造の日本酒「元禄」(終売)や焼酎「武州伝説」さらには酒粕を使用したチーズも手がけるなど、青梅という土地の要素を掘り下げてきた。
日本酒とフランスのチーズという異なる文化の中で育まれてきた伝統のモノ作りを手がかりに、「テロワール」の捉え方と本質、多様化する時代にこだわるべきことを2人に聞いた。
PROFILE: (右)小澤幹夫/小澤酒造社長 (左)鶴見和子/「フロマージュ・デュ・テロワール」代表、チーズ職人

土地と向き合うモノ作り
――日本でも「テロワール」という言葉が一般的になってきましたが、フランスでの解釈と違いがあるのでしょうか。
鶴見和子(以下、鶴見):日本では地元の食材を使えば「テロワール」と捉えられがちですが、フランスでは人や土壌、気候、微生物まで含めた環境全体が生む味わいを指す、ごく日常的な言葉です。 私はフランスで学んだ伝統的なチーズ製法を基に、日本の土地の個性を活かしたチーズ作りに取り組んでいます。スターターは購入せず、乳酸菌や青カビなど、その土地に自然に存在する微生物を生かしています。
日本のチーズのほとんどは、原料が地元産であっても、市販の乳酸菌を使っているため、その土地らしい風味はあまり感じられません。工業的に管理された菌は安定している一方で、どこで作っても似た味になりやすく、本来の地域性は出にくいのです。近年は国産乳酸菌を使う例も増えていますが、その多くは漬物や酒粕由来の植物性乳酸菌です。チーズの場合、生乳から起こす動物性乳酸菌とは性質が異なり、熟成の仕方やコクの出方に違いが生まれます。
――フランス語で「青梅のチーズ」という意味の「フロマージュ・ドーメ」について教えてください。
鶴見:フランスのウォッシュタイプ「エポワス」を手がかりに、フランス語の文献を読みながら製法を学び、地元の酒を使ってチーズを仕込むことを試みました。酒蔵の菌と工房の菌が重なり合い、ほぼ完全に地元の微生物の働きによって形づくられたチーズは、味噌や酒粕を思わせる奥行きのある風味があります。
当初は焼酎で表面を洗っていましたが、小澤さんの古酒に出合ったことで日本酒を使うことを意識するようになりました。ただ、古酒は年ごとに味わいが異なり、量や価格の面でも安定して使い続けることが難しい。そうした中で紹介していただいたのが「元禄」でした。古酒に通じる深みがありながら、独自の乳酸菌と酵母で造られています。
日本酒も、かつては土地の菌や環境を色濃く反映したものが多くありましたが、現在は市販の酵母を使う蔵も増えています。安定性という利点がある一方で、土地と向き合うモノ作りとの距離感は、少しずつ遠くなっているようにも感じます。
――日本と海外で、評価される日本酒に違いはありますか?
小澤:日本人も外国人も、香りが華やかで甘みのある純米大吟醸を好み、プレミアム志向が強まっています。一口でおいしさが伝わる点は、多くの人に支持される理由でしょう。ただ、現在の主流となっている味覚は、わかりやすさに偏りすぎているようにも思えます。
海外では日本酒の市場自体がまだ小さく、寿司店や居酒屋が中心のため、日本で評価されている酒は比較的そのまま受け入れられやすいと感じています。ただ、市場を本当の意味で広げていくには、現地の食文化に合わせた日本酒のあり方を探る必要があります。ステーキやハンバーガーには、アルコール度数がやや高めでしっかりと存在感のある方がよく合います。その点で、「生酛造り」は海外でも勝負できる酒だと思っています。
――鶴見さんが以前、フランスのチーズの立ち位置は日本の漬物に近いとお話しされていたのが印象的でした。
鶴見:フランスでは、料理が一皿ずつ出てきて、最後に残った飲み物やパンとともに締めとしてチーズを食べます。日本でいうと、ご飯やお味噌汁と一緒に漬物が出てくる感覚に近いですね。フランスには「1つの村に1つのチーズ」と言われるほど種類が多く、日本の漬物も地域ごとに特徴があります。漬物を食べるように、チーズが食事の締めを彩るものと考えれば、日本人の食生活にも自然に馴染むのではないでしょうか。さらに、春は山菜、夏はトマト、秋はきのこ、冬は大根など四季の食材と合わせると和食でも生きてくるはずです。フランスでは、ワインとチーズを合わせる場合に「同郷のものを合わせるのが一番良い」と言われていますから、青梅のチーズと日本酒の相性は抜群だと思います。
「おいしい」を作る力、伝統とこだわりの食文化
――小澤さんは、地元米にこだわった日本酒をどう捉えていますか?
小澤:地産地消というコンセプトはわかりやすいですが、日本酒では必ずしも本質とは限りません。ワインは7割がブドウの出来で決まるといわれますから、その考えが日本酒でも米の産地に強くこだわる発想として影響しているのではないでしょうか。
米は流通性が高く長期保存も可能なため、良いものなら原料となる米を取り寄せて、おいしい日本酒を作ることの方が大切です。実際、米が日本酒の味に占める割合は全体の約3割で、残りの7割は醸造の過程で決まります。そのため、目隠しでテイスティングして米の品種を当てるのはほぼ不可能と言われています。日本酒作りの基礎となるのは土地の水と空気、そして菌です。その上で、発酵段階で味をコントロールする職人の技が非常に重要になります。同じ蔵の中でも、部屋やタンクによって発酵の具合や風味は変わります。空気の流れや室温など数値化できない要素が多く、同じ味を再現することは非常に難しい。
言い換えれば、日本酒は試行錯誤の余地が大きく、その自由度を活かして、より味わい深い日本酒を目指すことができます。例えば、仕込み水の使い分けもその1つです。小澤酒造では、蔵の裏山にある中硬水の「蔵の井戸」と、多摩川の対岸の山奥に湧く軟水の「山の井戸」の2種類を使い分けています。水の硬さやミネラルの違いが発酵の進み方や酒質に微妙な影響を与えるため、職人は発酵段階で調整を重ねながら味を仕上げていきます。
鶴見:日本酒は、原料から製法まで純国産で成り立っているところが魅力だと思いますが、日本のチーズはまだそこまで至っておらず、牛乳を固める酵素も乳酸菌も海外由来のものに頼っているケースが多いのが現状です。そう考えると、「日本のチーズ」と言いながら、どこか外国のチーズを作っているようにも感じられる部分もあります。
海外のチーズコンテストで、日本の生産者に対して「高い技術はあるのに、独自性がまだ見えにくいと指摘された」という話を聞いたことがあります。日本酒や国産素材を使う工夫は伝わりますが、菌や製法といった土台が海外由来であることは、やはり味わいの中に表れてしまうと思います。私たちは現在、4軒の酪農家から生乳を仕入れています。いわゆる合乳ですが、この方が品質は安定します。1軒だけにすると、日々変わる成分の影響を直接受けるので、製造が難しくなるからです。乳酸菌と原乳が味の決め手になる点は、日本酒でいえば水と菌が決め手になることとよく似ています。
――世界的にマイルドな風味が好まれる傾向について、どのような考えを持っていますか?
小澤:日本酒も甘味や苦味、酸味など複雑な味わいがありますが、フレッシュで飲みやすいスタイルが重視される傾向にあります。先ほどお話ししたように、華やかでフルーティーな味が大衆に支持されやすいのも事実です。しかし、日本酒もチーズも嗜好品であり、「これが正解」という味はなく、多様なスタイルが併存していることが健全です。1つの傾向に偏ると、商業的な判断の中で少数派が切り捨てられ、日本酒の表現の幅が狭まってしまいかねない。そうした状況への危機感を常に感じています。私は、市場トレンド3割、小澤酒造らしさ3割、そして自分の主観3割で日本酒の味を組み立てています。
鶴見:チーズもシンプルな味とフレッシュでミルク感のあるものが支持されています。日本では、フレッシュなモッツァレラチーズやゴルゴンゾーラなどイタリアのものがよく知られていますが、また別の魅力があるフランスのチーズのことも知ってもらいたいですね。苦味や酸味など複雑な味わいは理解されにくいですが、日本酒と同じように熟成することで旨味や香りの層が増し、深みが生まれます。流行や嗜好は変わりやすいですが、手間と時間を惜しまずに味を育て続けることこそが、結果として「伝統」と呼ばれていくのかもしれません。