東京・町田にある、1629年創建の簗田寺(りょうでんじ)は、庫裡(くり)を改装した精進食堂「ときとそら」や宿坊「泰全」、コーヒー豆焙煎所「CONZEN COFFEE」を併設し、国内外のアーティストが集う音楽フェスやイベントも開催している。寺を学びや文化が交わる開かれた空間として活用することで、新しい寺の魅力を発信している。
こうした新しい場所づくりの背景には、住職の齋藤紘良が音楽家でもあり、保育や福祉の現場にも関わるような分野を超えた多面的な視点を持っていることがあげられる。それらが有機的に交わることで、簗田寺は旅と日常の間にあるような独特の心地よさを感じられる特別な場となっている。そんな簗田寺の魅力と、齋藤の考えをひもとく。
PROFILE: 齋藤紘良/住職、作曲家、しぜんの国保育園社会福祉法人東香会理事長

多様な活動の核にあるもの
――住職・ミュージシャン・しぜんの国保育園理事長として、さまざまな活動をされています。まずはご自身の「核」となるものを教えてください。
齋藤 紘良(以下、齋藤):常に「この環境の中で、自分がどう“あそべる“か」を考えています。“あそび“とは、ひらめきがあり、展開が待っていて、次を予測できない状態のことで、決まった作業をこなすだけでは“あそび“にはなりません。何でも自由であればよいわけではなく、ルールや制約の中でひらめきが生まれて、初めて“あそび“は楽しくなります。
例えば、保育園や社会福祉の現場で生まれるものと、お寺の活動で生まれるものが、不思議とどこかでリンクしていく感覚があります。そこに音楽のエッセンスが加わると、さらに別の形へ変容していくような連鎖が自然に起きて、全てが発想の土台になっています。特に音楽は、自分を形づくった原点であり、その延長に“あそび“の感覚もあります。即興で生み出す音楽が好きで、決まった曲を弾くよりも、自由にその場で音をつくることに魅力を感じます。すべて「環境や場をどうつくるか」という点で、私の中で同じ軸にあります。
人が集まるのは個人の力ではなく、お寺や保育園という「場」の魅力のおかげです。だから、自分が主役ではなく、人に任せつつ、その場を大切にしながら、日々の出来事に反応していくように常に場を開いておく感覚です。
――精進食堂「ときとそら」の地産地消の料理について教えてください。
齋藤:コンセプトは、内臓と心を穏やかにする禅寺の精進食堂です。ここに来た人がゆっくり滞在できる楽しい場にしたいという思いから始めました。これも“あそび“の延長として、ここで過ごす時間を豊かに感じてほしいと考えていくうちに、この土地ならではの精進料理の形が見えてきました。
お寺で採れた食材を中心に、日替わりで「朝粥」「精進カレー」「精進御膳」を提供しています。豆をベースにした精進カレーは、体に優しいスパイスを加え、アチャールやチャイと一緒に食べると、身体が目覚めていくような元気が湧いてくるはずです。月毎にメニューが変わる「精進御膳」で先月提供したのは、茶の湯の流れに沿った「織部御膳」でした。発酵玄米や寺庭で採れたみょうがのおむすび、季節の野菜やテンペ(インドネシア発祥の大豆発酵食品)、トトリムク(韓国の伝統食品の一種で、ドングリのデンプンを固めた食品)など、1つひとつに身体に優しい工夫が施され、食べることで自然と心も整うような体験が広がります。
――お香作りも同じように“あそび“の発想で始められたのでしょうか?
齋藤:お香作りは、落ち葉掃除を、ポジティブな“あそび“に変えられないかという発想から始まりました。商売として成立させることよりも、みんなで楽しさを共有したい。多くの人に来てもらえたら嬉しいのですが、本当に来てほしいのは、このお寺を大事にしてくれる人です。住職が守る場所から、みんなで守る場所へ変えるために、従来のお寺の制度を手放しました。自分が楽しいと感じることをお裾分けしている感覚なので、来てくれた人にも同じように感じてもらいたいですね。
――国内外からアーティストが集まる音楽フェスや親子の学び場「500年の学校」などの文化・社会事業も行っています。
齋藤:この場所は多元的で、自然も人の営みも歴史も重なり合っています。もともとお寺は、山と里の境界に意図的に設けられ、目の前に山の自然と里の生活が同時に広がる空間です。このおかげで、音楽や学びの場の活動が特別な体験として成立しているのかもしれませんね。
音楽だけは、自分の生活の中で自然に形づくってきました。音楽をやっていると、「何歳までに結果を出さないと」といった決まりのようなことを言われることもありますが、私にとってあそびは年齢で区切るものではなく、一生続けるものです。
都市と寺のぞれぞれの役割
――寺という空間は、都市では忘れがちな感覚を取り戻せる場所なのですね。
齋藤:都市では、自然の流れや人々の営みが本来の形で交わりにくいことがあります。渋谷のビルはその典型で、本来の地形に沿わず建てられているため、水や風、人の営みの流れが遮られ、自然のエネルギーを感じにくくなります。その結果、人の活動もバラバラになり、場の流れを読み取りにくくなってしまいます。
例えば、祭りの神輿は、都会でも人々が同じ方向に動く瞬間のエネルギーがぐっと高まり、心地よさを感じます。自分もその流れに乗るように同じ方向に動きます。こうした大きな流れを日常的に感じられるのが寺の魅力です。
――都市と寺、それぞれの役割の違いをどう感じますか?
齋藤:お寺から離れ、都市に出て初めて心から自由に遊ぶ楽しさを知りました。それは若さゆえの可能性への憧れだったと思います。都市は上へ伸びる強いエネルギーがあって、積み重なっていくような感覚になります。吸収する情報が非常に多いので、自分が肥えていく感覚があります。でも、その社会は大勢が関わり合いながら成り立っているので、その流れから離れてしまうと人とのつながりが希薄に感じてしまう。一方でお寺は、減らす、手放す感覚が強くなる。ここでは常に自然や人の営みが循環しているからものを抱えていると疲れてしまうんです。自分が持っているものを減らすほうが気持ちがいい。都市での積み重ねる経験と、寺での手放す感覚の両方を意識して生きるのが自分に合っています。
――自分らしさや個性はどのように育つと考えていますか?
齋藤:仏教では、目の前のとらわれをどう解くかが何千年も前から続く修行の1つです。個性は自分で作るものではなく、場から自然に生まれるものです。私の場合、このお寺自体が個性になっているので、意図して生み出せるものではありません。だから、自分らしさや個性にとらわれることはありません。
生まれ育った環境やタイミングは人それぞれで、その違いを受け止めるだけで自然と個性が見えてきます。また、都会を俯瞰してみることで、自分や他者の個性にも改めて気づくことができます。土地から得られる気づきやインスピレーションは常にあり、外の世界との関わりを通して、その価値はより広がっていくはずです。