1949年の創業以来、日本発のスポーツブランドとして確固たる地位を築いてきたアシックス(ASICS)。今やスポーツブランドの枠を越え、キコ・コスタディノフ(Kiko Kostadinov)ら気鋭デザイナーとの協業や、“ゲルカヤノ(GEL-KAYANO)”と“ゲルライト(GEL-LYTE)”シリーズに代表されるテック系スニーカーの再評価の流れを追い風に、2010年代以降はファッションシーンでも強い存在感を放ち続けている。
先日、そんなアシックスが海外メディアを中心に招いた数日間のプレスツアーを開催し、「WWDJAPAN」も参加。創業者・鬼塚喜八郎の理念を継ぎ、最新のテクノロジーとクラフツマンシップが融合する現場に足を踏み入れ、アシックスの“過去・現在・未来”を感じられたプレスプレビューを、前・後編の2回でリポートする。。
“人間中心の科学”を掲げる「アシックス」の“心臓部”
初日に訪れたのは、兵庫・神戸の山あいに佇むアシックススポーツ工学研究所(ISS:Institute of Sport Science)だ。世界中のアスリートが信頼を寄せるアシックスのシューズやウエアの多くが生み出されてきた、いわばアシックスの“心臓部”である。
そもそもISSとは、スポーツ用品全般の基礎研究・開発強化のため、85年に本社の技術研究室とシューズ開発センターの研究部門が統合される形で設立され、90年に現在の場所へ移転。“人間中心の科学(Human-centric science)”を掲げ、人の身体・動き・感覚を起点に研究を行い、アスリートの声や動作データを数値化して製品設計に反映させるなど、独自のアプローチを見せている。施設内には、モーションキャプチャーや走行中の圧力を測る床反力計で人の動作を研究する「バイオメカニクス実験室」をはじめ、人工気象室、シューズ工房、アパレル研究室、体育館、テニスコート、プールなどを併設。さらに、建物の周囲を350mの全天候型トラックが囲むなど、シミュレーションから解析、開発、試作、検証までを一気通貫で実行できる体制が整っている。
エントランスには、スポーツが持つダイナミックさを表現したという木のモニュメントが天井から吊り下げられているほか、社名の由来となった古代ローマ時代を代表する風刺詩人のユウェナリス(Juvenalis)の言葉「健全な身体に健全な精神があれかし(Anima Sana In Corpore Sano)」も設置されている。
創業者の精神を宿す「鬼塚喜八郎の部屋」
到着して最初に案内されたのは、創業者の精神を今に伝える「鬼塚喜八郎の部屋」だ(注:写真NG)。1949年の創業以来の理念である“健全な身体に健全な精神があれかし(A sound mind in a sound body)”という鬼塚氏直筆の書をはじめ、日々の思索を重ねた手書きのメモとノート、汗がにじんだ歴代の名刺など、社の歩みを物語る貴重品が展示。「スポーツを通じて若者たちの健やかな心身の成長を支えたい」という原点が息づいた空間となっていた。
「鬼塚喜八郎の部屋」を出ると広がるのが、エポックメイキングなシューズが並ぶエリアだ。62年の初サッカーシューズ“タイガー印 サッカーシューズ(TIGER mark soccer shoes)”や77年の初ランニングシューズ“モントリオール Ⅱ(MONTREAL Ⅱ)”、93年の“カヤノ”シリーズのファーストモデル“ゲルカヤノ トレーナー(GEL-KAYANO TRAINER)”など、アシックスを語るうえで欠かせない歴代のシューズが勢揃い。中でも象徴的なのが、50年の初バスケットボールシューズ“タイガー印バスケットボールシューズ(TIGER mark basketball shoes)”と53年の“吸着盤型バスケットボールシューズ”だ。
バスケットボールシューズは、アシックスが会社として初めて取り組んだスポーツシューズであり、きっかけはある高校の監督からの「体育館でストップ&ダッシュが効く専用シューズが欲しい」という依頼だった。当時、鬼塚氏は手探りでバスケットボールシューズを完成させるも監督に酷評され、何度も改良を重ねて創業翌年に“タイガー印バスケットボールシューズ”を発売。それでも、現場からはより俊敏な動きに耐えられるグリップ力が望まれた。そしてある日、母親が作ったタコの酢の物に入っていた吸盤に目が止まり、吸着盤型のソールを考案。こうして今では当然となった凹型のソールを搭載した“吸着盤型バスケットボールシューズ”が誕生し、同シューズを履いた高校が全国大会で優勝を果たしたことで、アシックスの名が日本のスポーツシーンへと一気に広まったのである。
“知の源泉”が眠る「アーカイブルーム」
続いて潜入したのは、1950年代から今日に至るまで、アシックスおよび前身のオニツカタイガー(ONITSUKA TIGER)が生み出してきた歴代シューズが整然と並ぶ「アーカイブルーム」だ。見たこともないプロトタイプから往年の名作まで、時代を超えて並ぶこれらのシューズ群は、単なる“過去の保管庫”ではない“知の源泉”として、多くの協業デザイナーにインスピレーションを与えてきた。その一例が、2019年に発表されたキコ・コスタディノフとのコラボモデル“ゲル-ソカット インフィニティ(GEL-SOKAT INFINITY)”だ。同モデルは、綱引き競技用シューズ“ツナヒキ109(TSUNAHIKI 109)”をサンプリングした1足で、多くの日本人は「アシックス」が綱引き競技用シューズを展開していたことすら知らなかったのではないだろうか。
“ゲルカヤノ”の生みの親・榧野俊一が登壇
続いては、“ゲルカヤノ”の生みの親・榧野俊一氏がスペシャルゲストとして登壇したプレゼンテーションが行われた。鳥取県出身で大阪芸術大学を卒業した榧野氏は、もともと自動車や家電などの工業デザイナーを志望していたが、地元にアシックスのシューズ工場があった縁から、1987年に入社を決意。すると、入社2週間でランニングシューズのデザインを任せられ、1年目の新入社員ながらアメリカ市場向けのバスケットボールシューズ“ゲルエクストリーム(GEL-EXTREME)”を手がけるなどの紆余曲折を経て、1993年に“カヤノ”シリーズの初代“ゲルカヤノ トレーナー”を生み出した。
当時のアシックスは、アメリカを中心としたフィットネスランニングというカテゴリーの需要から、安定性とクッション性を両立する米国市場向けのランニングシューズ開発を榧野氏に依頼。そこで榧野氏は、これまでの“軽く速い”から“強く支える”に発想を変え、強さと俊敏さのデザインモチーフとしてクワガタを提案したところ、日本国内では否定されるも米国では受け入れられたことで発売に至ったそうだ。なお、“ゲルカヤノ”のモデル名は榧野氏本人が名付けたのではなく、米国法人の担当者が使用していた仮のコードネームが半ば強制的に採用されたというが、今や30年を超えるロングセラーシリーズとして世界中の人々に愛される存在となった。
また、“ゲルカヤノ”シリーズの14代目として08年に登場した“ゲルカヤノ 14”は現在、ファッションスニーカーとして世界中で親しまれているが、榧野氏が手掛けたのは初代から13代目まで(注:15~18代目にも関わってはいるそう)。これについて「複雑な気持ち」と吐露し、会場の笑いを誘っていた。
先人たちの知見と最新の研究結果の融合
次に案内されたのは、アスリートのパフォーマンスを上げることに特化したオーダーメードシューズの製造が行われるカスタム生産部だ。ここでは“作り手一瞬 選手一生”を掲げ、一流の職人たちが素材の裁断から縫製、接着、最終調整までを担当。創業時から先人たちが培ってきた知見と最新の研究結果を融合することで、アスリートたちの足元を支える1足が完成する。これまでに陸上の福島千里選手や桐生祥秀選手らのオーダーメードシューズを手掛け、今後も確かな技術力と情熱でアスリートの世界を進化させ続けていくに違いない。
続く「バイオメカニクス実験室」は、床面が日常の路面に近いアスファルトと、大会を想定した2種類のトラックの全3種類が再現され、主に24台ものカメラを使用したモーションキャプチャーで人体の動きを解析。走行時の姿勢や関節の角度などの動作を分析することで、アスリートへのフィードバックや製品開発に活用するほか、床にかかる圧力やシューズのク変形状態などのデータを収集することで市販品にも応用しているそうだ。
「バイオメカニクス実験室」の近くには、完成間近のシューズ用耐久テストマシーンを設置。機械で模擬した走行動作が数万回以上にわたり繰り返され、公的なJIS規格を超える「アシックス」独自の高い物性検査基準をクリアしたものが製品化されるという。この徹底的な検証だけでも、「アシックス」がいかに高品質なシューズに取り組んでいるかが分かる。
“ゲルライト 3”を手掛けた三ツ井滋之氏の哲学
この日、最後のセッションに向かうと、会場入口で“ゲルライト 3(GEL-LYTE III)”の開発者の1人である三ツ井滋之氏が手描きしたウェルカムボードに迎えられ、三ツ井氏によるプレゼンテーションがスタートした。同氏は、美大生時代にサックスをたしなみ、卒業後も芸術や音楽に携われる仕事を探していた中、創業者・鬼塚氏の「スポーツを通して、子どもたちに希望を与えたい」という思いに感銘を受け、1984年にアシックスに入社した。
「私は、デザインするうえで大切にしていることが3つある。1つ目は、創業者・鬼塚が“世の中のためになるモノやサービスを作る”という信念を持っており、それに感動して想いを引き継いだこと。2つ目は、細かいところまで徹底的にこだわる。3つ目は、『見えないところで手を抜かない。むしろ、見えないところでこそ勝負する』という鬼塚に対する私の印象。これらをインスピレーション源に“ゲルライト 3”などをデザインしてきたが、どのモデルもデザイナーである私だけでなく、開発者や生産者も携わったチームで作り上げていることを忘れないでほしい」
「今、2025年で誕生35周年を迎えた“ゲルライト 3”のアニバーサリーモデルの監修をしている真っ最中で、デザインは若い世代に任せている。正直、センスは私とは比べ物にならないくらい良い(笑)。来年で定年退職のため、このモデルを最後に会社を卒業する予定。ぜひ楽しみにしていてほしい」
そして、三ツ井氏が参加した各メディアをイメージして描いた“ゲルライト 3”のスケッチ画がプレゼントされるという、粋なサプライズでプレゼンテーションは幕を閉じた。
山口浩が監修したスペシャルディナーが開催
約9時間にも及んだ全セッションが終了後、華やかな演出が施されたISSのエントランスを舞台にスペシャルディナーが開催された。ISSがこのような形で開放されるのは初の試みだったそうで、メニューは“世界一の朝食”で知られる「神戸北野ホテル」の山口浩オーナー兼総支配人・総料理長が監修。参加者と共に榧野氏と三ツ井も席につき、公私をまたいで語り合う姿が印象的だった。
創業者・鬼塚喜八郎の理念を原点に、榧野氏や三ツ井氏らデザイナーから、職人、研究者、アスリートまでが積み重ねてきた知と経験の交差する場所こそがISSであり、アシックスというブランドを唯一無二の存在にしているのだろう。続く後編は、京都と東京で行われたワークショップやコラボの仕掛け人へのインタビューなどを収録予定、お楽しみに。