2024年秋冬から「ダンヒル(DUNHILL)」の指揮を取るサイモン・ホロウェイ(Simon Holloway)は、ブランドの伝統的な英国のテーラードスタイルに洒脱な遊び心を加え、「ダンヒル」らしさを失わぬままクリエイションを着実に前進させている。
彼のインタビューからはブランドや英国スタイルに関する深い愛と造詣が伝わってくる。そしてスーツを当たり前に着なくなった“インフォーマル”な時代だからこそ、「ダンヒル」が装いを通じて提案できる“誇り”や“自分らしさ”があると語る。2026年春夏メンズ・コレクションの着想や今後のブランドが目指す先、日本のマーケットに対する思いまでを聞いた。
WWD:2026年春夏ミラノ・メンズ・コレクションでは、どのような表現を目指したのか。
サイモン・ホロウェイ(以下、サイモン):2026年春夏コレクションは、クラシックな英国紳士服のスタイルにおける2つのスタイルコードからインスピレーションを得ています。1つ目は、ウィンザー家、つまりウィンザー公から現国王チャールズ3世までの王室に見られるスタイルコードです。彼らは人生のあらゆる場面に対応した見事にキュレーションされたワードローブを持ち、至極フォーマルでした。
そしてもう1つの“王族”は、ロックンロールの世界におけるカリスマたち。故チャーリー・ワッツ(Charlie Watts)やブライアン・フェリー(Bryan Ferry)のような人々です。彼らは多くの人から“完璧な英国スタイルの頂点”とみなされていますが、その装い方はまったく異なり、非常に自然体で無造作です。
興味深いのは、この2つのワードローブには実際には多くの共通点があることです。持っているアイテム自体は似ているのに、着こなし方や態度がまったく違う。その対比こそが今回のコレクションの発想源でした。ルックを構築する上で、この2つのスタイルコードの狭間にある“共通点”や“接点”を見つけ出すことを試みました。
WWD:どこでフォーマルに振るか、どこでカジュアルに崩すか、そうしたバランスが絶妙なコレクションだった。デザインする際は、どんな人を思い描いている?
サイモン:特定のひとりの男性を想定しているわけではありません。私にとって「ダンヒル」の服は、年齢や体型、背景を問わず、誰にでも着てもらえるものだと思っています。特定の人物像に限定されるものではないのです。
もちろん常にインスピレーションの源となるのは、“英国のワードローブ”という言葉の世界、つまり英国らしい生地や色、質感、パターンといった要素です。そして、テーラリングやアウターウェアにルーツを持つ「ダンヒル」ならではのコードの中で、私たちは遊びながら表現しています。
テーラードは“誇りの印”
WWD:「ダンヒル」というブランドの強みや独自性をどのように捉えている?
サイモン:私が2年半前に「ダンヒル」に着任したとき、まず取り組みたいと思ったのは、130年におよぶブランドの歴史を掘り下げることでした。「ダンヒル」というハウスは、“モートリティ”(自動車)の発想から生まれ、3つの素材領域に根ざしています。
ひとつ目はラゲージと馬具(サドラー)などのレザー製品。自動車で旅をするためのトランクや鞄ですね。二つ目は金属の表現です。たとえば車のダッシュボードに使われた計器類。、電圧計、ランプ、時計、それらはすべてレザーで覆われていました。そして三つ目は柔らかなラグジュアリー、衣服です。初期のカ―コートやスポーツテーラリングこそ、「ダンヒル」の服づくりの原点です。
そこから1920〜30年代のアール・デコ期に移ると、金属細工やレザーを駆使した職人技が花開き、「ダンヒル」は「英国ラグジュアリーの最高水準」を体現するブランドとして洗練を重ねていきます。戦後にはテーラリング表現が進化し、1980年代にはブレザーの代名詞的存在となり、60年代にはトルーマン・カポーティ(Truman Capote)がブラック&ホワイト・ボールで着用したイブニングスーツが脚光を浴びました。
そして最終的に、サヴィル・ロウ仕込みのテーラーたちが手がけるビスポーク・ユニバースがロンドンで確立されます。130年前の創業からその洗練された現在までを通じて、「ダンヒル」は一人の男性のワードローブ全体を構築してきたのです。スポーツやドライブ用のカジュアルウェアから、ブレザー、ブラックタイ、ビスポークスーツに至るまで、つまり必要なすべてが揃うワードローブです。
私はその骨格の上で、異なるアプローチを試みています。今は非常にインフォーマルな時代ですから、そのフォーマルさとカジュアルさの“ダイヤル”を上げたり下げたりしながら、毎シーズン異なる方法で「ダンヒル」を表現しているのです。
WWD:「インフォーマルの時代」と表現したように、今日のメンズウエアは、堅苦しいテーラリングから、より流動的なマスキュリニティーの表現へと移行している。この変化の中で、「ダンヒル」はどのように前進していく?
サイモン:私が「ダンヒル」で好きなのは、「もはや誰もテーラリングを“着なければならない”時代ではない」という点です。もちろん一部の職業や場面では今も必要かもしれませんが、いまや多くの男性にとってスーツは“選択”の結果です。
だからこそ、誰でも「ダンヒル」の店に来て、たとえばネイビーのブレザーを手に取り、それを自分らしい方法で着こなすことができる。Tシャツとチノパンで合わせてもいいし、カラード・コーデュロイやタッセルシャツ、ワークウェアやデニムと組み合わせてもいい。
そうやってテーラリングの要素を、自分のワードローブに自然に取り入れることができるのです。
テーラードジャケットを着ることは、多くの人にとってもはや義務ではなく、スタイル上の“バッジ・オブ・オナー”(誇りの印)。自分のスタイルに対する自信と確信を示す行為です。その人が自分らしくジャケットを着こなしている姿……それは本当にクールだと思います。
WWD:ファッション以外で、アートや映画、建築などからは影響を受けている?それらのインスピレーションは、どのようにコレクションに反映されている?
サイモン:私は本当にさまざまなリファレンスを使います。歴史的なものも多いですね。もちろん、毎シーズンのはじめには必ずアーカイブを見直します。「ダンヒル」には豊かな歴史と遺産があるので、それを参照できるのは大きな特権です。
同時に、文化や時代の空気——つまり“ツァイトガイスト(時代精神)”からも刺激を受けます。たとえば今回の2026年春夏では、ブライアン・フェリー(Bryan Ferry)が大きなインスピレーション源でした。彼が最近リリースしたアルバムは本当に素晴らしくて、その音楽を聴きながら制作していたんです。それは視覚的なコードというより、“ムード”としての影響でした。
それ以外にも、街中でたまたま見かけた誰かの装いにインスピレーションを得ることもあります。ものすごく考え抜かれたスタイリングに見えることもあれば、偶然そうなっただけなのに“格好いい”場合もある。映画の中のキャラクター、たとえば最近観たウェス・アンダーソン(Wes Anderson)の映画にも印象的な人物がいて、そこから刺激を受けることもあります。
建築について言えば、私は建築そのものより、「そこに人がいる情景」にインスピレーションを受けます。建物そのものが服をインスパイアするとは思っていません。建物は建物であり、人とはまったく違う存在です。でも、「ある空間の中で、誰かがどう見えるか」を思い浮かべることは服を作る上で重要なことです。
先日、ニューヨークで再オープンしたフリック美術館(Frick Museum)を訪れました。建築家のアナベル・セルドルフ(Annabelle Selldorf)が美しくリデザインした空間で、彼女はロンドンの「Frieze Masters」のトークにも登壇していました。私は長年、彼女の仕事を本当に尊敬しています。彼女があの建物に施した細部へのこだわり、そして歴史的な美術作品や職人技のオブジェを新しい方法で展示していたこと。それらすべてが、私にとって非常に大きなインスピレーションになりました。
エクスクルーシブであり、オープンマインドであること
WWD:「ダンヒル」でどのような未来を描いている?
サイモン:私にとって「ダンヒル」は常に“英国ラグジュアリーの象徴”であり続けるべきブランドです。私たちはその旗手として、最高水準のクオリティー、素材、クラフツマンシップを維持し続ける。この3つが、これからのコレクションとブランドの進化のすべてを導く指針であり続けると思います。
私は“二面性(duality)”という考えが昔から好きなんです。「ダンヒル」も、「エクスクルーシブ」と「オープンマインド」の両立が大切だと思っています。エクスクルーシブというのは、たとえば生地の開発や職人技のディテールにおける希少性。一方でオープンマインドというのは、幅広い人々に対して開かれているという意味です。「ダンヒル」は、誰にとっても“ウェルカム”なブランドでありたい。決して「あなたは場違いです」と感じさせるような場所であってはならない。先ほども言いましたが、ファッションに敏感なお客さまから、クラシックなスタイルを好むお客さままで、どんな人でも「ダンヒル」の中に“自分に響く何か”を見つけられる。それがこのブランドの魅力だと思います。
WWD:日本に対する印象は?
サイモン:まず、私は日本が本当に大好きなんです。「ダンヒル」の仕事で少なくとも2回行っています。それ以前にも3〜4回ほど訪れたことがありました。日本に行くたびに、文化全体に魅了されます。素晴らしい食事、美しいお茶の文化、そして日本人のユーモアのセンス。すべてが最高です!
前回の訪日では、素晴らしい時計職人にも会いました。「大塚ローテック」というブランドを手がけるジロウ(片山次朗)さんです。彼の仕事は本当に見事でした。デザインの美しさだけでなく、機能性へのこだわりも圧倒的。クラフトとイノベーションが共存していて、まさに日本的な職人精神を感じました。
それから、東京の「鮨 悠」というお店をご存じですか?オーナーシェフのシマザキさんは、本当に素晴らしい料理人です。トロの脂の乗り具合は3段階あって、それぞれに異なる味付けがされている。シェフが一貫一貫に合わせて微妙にドレッシングを変える、そのこだわりが素晴らしい。本当に、次元が違う美味しさです。お寿司だけでなく、彼の作る料理すべてが驚くほど繊細で美しい。お客さん一人ひとりに直接手渡す瞬間——あの“手渡しの寿司”がもつパーソナルな感覚が大好きです。そして彼はとてもユーモアがあって、すごくチャーミングな人なんですよ。
WWD:日本の「ダンヒル」の顧客については?
サイモン:おっと、話が逸れてしまいましたね(笑)。日本の方々は、本能的に“英国のスタイル”を理解しています。フォーマルをにきちんと、正確に、精密に着こなす人もいれば、遊び心を持って自由に組み合わせ、現代的に解釈する人もいる。そのどちらもが成立しているところが、日本と「ダンヒル」の長年の関係を象徴しています。この関係は、もうすぐ90年以上になります。
「ダンヒル」には、長年にわたり支えてくださっている日本のコミュニティがあり、その存在は本当に特別です。そして何より、日本のお客さまの着こなしは本当にクールで、彼らは自信と確信をもって装いを楽しんでいます。それはまさしく、「ダンヒル」らしいスタイルです。