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河村康輔が語る「創作」と「仕事」——パンク・ハードコアからコラージュの世界へ

PROFILE: 河村康輔/アーティスト、グラフィックデザイナー

PROFILE: (かわむら・こうすけ)1979年広島県生まれ。コラージュアーティストとして多くのアーティストとの‬コラボレーションや国内外での個展、グループ展に多数参加。代表作に大友克洋の初の大規模原画展「大友克洋‬ GENGA展」(2012)メインビジュアル制作や「AKIRA」を使用したコラージュ作品「AKIRA ART WALL‬ PROJECT」(19)、個展「TRY SOMETHING BETTER」(21)など。現在もアパレルブランドへ‬のグラフィックワーク、ジャケット、書籍の装丁、広告デザイン、アートディレクションで活躍している。21‬年に「UT」のクリエイティブディレクターに就任。‬24年10月にはロックバンド「オアシス(OASIS)」の公式ロゴをシュレッダーアートの作品として発表した。

「UT」のクリエイティブディレクターやロックバンド、オアシスの公式ロゴを担当するなど、世界的な仕事を手掛けるアーティスト、グラフィックデザイナーの河村康輔。もともとはパンク・ハードコアが好きで、それをきっかけにコラージュでの作品制作を行うようになった。今回、河村の創作のルーツから多くのブランドとのコラボレーションについて、話を聞いた。

影響を受けたウィンストン・スミスと裏原文化

——河村さんの出身は広島ですが、10代の頃からパンク・ハードコアのライブを見るために上京していたとか。

河村康輔(以下、河村):中3から高1になる春休み、だから1994年ですかね、その頃に初めて東京へ行きました。パンク・ハードコアが専門だったので、新宿のライブハウス「アンチノック(ANTIKNOCK)」が多かったかな。お金が貯まると広島から高速バスに乗って、行ける限り行ってました。今ちょうど2月なので、よく覚えているのは、渋谷の「ギグアンティック(GIG-ANTIC)」で、「POGO77 RECORDS」というレーベルが主催する、バレンタインデーにチョコをもらえないパンクス集合みたいな企画があって、当時の彼女に嘘ついてそのライブに行ったら、のちのち嘘がバレてふられました。懐かしいなぁ。

——アメリカのハードコアバンド、デッド・ケネディーズ(DEAD KENNEDYS)のジャケットを手掛けたコラージュ・アーティストのウィンストン・スミス(WINSTON SMITH)との共作もありますが、コラージュとの出会いも、バンドのジャケットやフライヤーですか?

河村:そもそも最初にパンクを知ったのは14歳ぐらい、セックス・ピストルズ(SEX PISTOLS)ですね。今考えると、ピストルズのアートワークにもコラージュが使われていますけど、当時はそんなこと全然意識してなくて。デッド・ケネディーズも初めて先輩から教えてもらって聴いたのがファーストアルバムだったので、ファーストのジャケットはコラージュではないんですよ。なので、ジャケットで「うわ、なにこれ」と思ったのでいうと、ラード(LARD)の「LAST TEMPTATION OF REID」。あれでウィンストン・スミスのコラージュにやられた感じです。

——グラフィックデザインに興味を持ったのもその頃?

河村:僕が思春期だった1990年代の中盤は、いわゆる裏原文化が全盛期で。「バウンティーハンター(BOUNTY HUNTER)」のヒカルさんやデザイナーのSKATE THING(スケシン)さんが雑誌にめっちゃ出ていたんです。それで、スケシンさんの肩書きに「グラフィックデザイナー」と書いてあって、そういう仕事があるんだと知って、グラフィックデザイナーになりたいって思いました。具体的に何をしているかはよく分からないまま(笑)。

一方でヒカルさんの方は、パンク・ハードコアバンドのTシャツをよく着ていて、なのに本業はおもちゃ屋さんで、ポップなフィギュアとかを雑誌で紹介していたんです。ハードコアのダークでアンダーグラウンドな文化とポップな趣味が両立するんだっていうことに感銘を受けましたね。

——そこから、自分でも何か作ってみたいと?

河村:そういう流れでラードのジャケットを見た時に、まさにハードコアとポップが融合していたんです。しかも、初めて見た時はすっごい絵がうまいんだなと思っていたのが、実は切り貼りのコラージュだと分かって。僕はいまだに絵は全然描けないのですが、当時から手先だけは器用だったので、切り貼りならできるかもって。そこから一気に、見るだけじゃなく、自分がやってみたいこととして興味を持ちました。

ちょうどその頃、高校1年生くらいの時、地元でバンドをやっている友達からフライヤーのデザインを頼まれることが多くて。それこそ、ピストルズのアートワークを手掛けたジェイミー・リード(Jamie Reid)じゃないですけど、雑誌の文字を切り抜いたりして、フライヤーを作っていたんです。ただ、自分で絵は描けないので、メインのビジュアルは写真を切り貼りして。これを極めていけば、ラードのジャケットまでいくのかも、みたいなことは考えていました。

「絶対にこのシーンの一員になると誓った気持ちがいまだに残ってる」

——河村さんの初期の仕事としては、ホラーやスプラッター映画の日本版をリリースする「トラッシュマウンテンビデオ」のジャケットデザインがあります。

河村:ハードコア好きの人たちはトラッシュ系のB級映画好きも多いので、そこは自分が10代からやっていたバンドのフライヤーデザインとも自然とつながっていきました。趣味としては一貫している感じ。当時はそれで成功しようなんてまったく思ってなくて、そもそも「トラッシュマウンテンビデオ」の仕事はほぼノーギャラでしたから(笑)。バイトしないで好きなことをして、なんとか東京で生活できたらいいな、くらいに思ってましたね。

——仕事の幅が広がる転機となったのは?

河村:人との出会いでいうと、最初に大きかったのは根本敬さんですかね。アップリンクがまだ渋谷の消防署の近くのビルにあった頃に、自分で作ったフライヤーを勝手に置いてきたんですよ。そうしたら、次の日にアップリンクの人から電話がかかってきて、これは怒られるだろうなと思ったら、「面白いので一度会いませんか?」って。それで、アップリンクでイベントをやっていた根本敬さんを紹介してもらって、全然仕事がないこととかを話したら、根本さんが「ここに電話してみな」って、デザインの仕事をくれそうな会社を教えてくれたんです。それが、のちに「ERECT Magazine」を一緒に作ることになる福田(亮)の会社でした。

——「ERECT Magazine」は、創刊号からウィンストン・スミスの特集を組んで、本人に会いにサンフランシスコまで行ったり、気合いの入ったハードコア雑誌でした。

河村:もともと福田の会社が業界誌に広告を出す予算が60万円くらいあって、「この金があったら何したい?」って聞かれて、「雑誌作りたい」って言ったんです。そうしたら「じゃあやろう」って。でも僕は雑誌なんて作ったことなかったから、入稿のやり方も知らないし、今考えると、とんでもないデータを作ってましたよ。

——河村さんの対談集「1q7q LOVE AND PEACE」(東京キララ社)を読むと、先ほど名前の挙がった根本敬や、大友克洋、田名網敬一、伊藤桂司といった方々とコラボレーションするに至るまでの経緯が細かく語られていますが、人との出会いがきちんと作品や仕事につながっているのがすごいなと。

河村:僕が気をつかわないからじゃないですかね(笑)。有名とか無名とか興味ないし、どんなに大御所の人であっても、敬意を持って接してはいますが、最初に会った時には一緒に仕事しようとか、仲良くなっておこうとか、一切思ってないんですよ。好きな音楽の話とか趣味の話をしてるだけ。あ、でも、直感は超働くので、合わないなって感じた人とは全然しゃべらないです(笑)。

あと、出会いを大切にするという意味では、まだ広島に住んでいた頃、東京にライブを見に来るたびに、自分は帰らないといけないのに、パンクスのみんなは駅前の路上とかでずっと飲んでるんですよ。それが本当に悔しくて。悔しいというか、もうつらかった。それで、バチバチの鋲ジャン着て夜中に高速バスに乗りながら、絶対東京に来て、このシーンの一員になるんだって誓ったんです。その気持ちがいまだに残っているので、東京で面白い人と出会えるだけでうれしいんですよね。

大企業案件と友達のバンドのジャケットを同時進行で

——その頃と比べて、憧れだったウィンストン・スミスやジェイミー・リードとの共作をはじめ、ユニクロ「UT」のクリエイティブディレクターといった大企業の案件もたくさん手掛けるようになった現在の自分は、どう見えていますか?

河村:それが全然変わらないんですよ。テーマや題材が違うだけで、やってることは友達のバンドのフライヤーを作っている頃からずっと同じ。というか、今でもバンドのジャケットとかバンバン作ってますからね。まさに今も、超大企業とのコラボ案件を進めながら、三重のcontrast attitudeというハードコアバンドのジャケットを同時進行でやってます。テンションもやり方もまったく一緒で、題材が違うだけです。

——新作となる加熱式たばこ“プルーム(Ploom)”とのコラボレーションについても聞かせてください。

河村:商品とのコラボレーションは、当たり前ですが自分の作品ではないので、その商品を使う人のことを第一に考えます。僕は作家脳とは別にグラフィックデザイナー脳もあるので、そっちの脳を働かせているイメージ。特に“プルーム”は喫煙具という常に持ち歩くもので、デザインを乗せられる範囲も小さい。だったら写真や絵のコラージュではなく、かっこいい柄がいいかなと。その上で、僕の熱心なファンとかではない、幅広い層に喜んでもらうために、テイストは出すけど主張はし過ぎない、でもコレクションアイテムとして欲しくなるようなデザインを作りました。

——ご自身の原点にあるハードコアやパンクの作風とは別で、現在進行形のトレンドや人気の傾向は意識しますか?

河村:意識はしないですね。意識はしてないですけど、そういうものは自然と入ってくるじゃないですか。Tシャツでも前までMサイズだったのが、今はLとかXLの方がいいなとか。そういう感じで、無意識に入ってくる感覚はいつの間にか反映されていくと思うので、それ以上に前のめりでチェックしたりとかはしないです。

でも、流行の面白さも分かるので、どうせ乗るなら最先端の超細いところは狙っていきたい。でかい波が来た時に、その真ん中にいるのは二番煎じなんですよ。そうではなく、1年後には定番になるなっていうものを見つけて、流行る1年前には手をつける。そうすれば、表現としての完成度は低くても、最初だから誰も文句を言えないし、結果的にそれが一番目立つ。そもそもコラージュなんて100年前からある手法ですからね。絵画とかもそうですが、古い手法の中でどれだけ新しいことを発見して、続けていけるか。それだけだと思います。

「飽きないために、やりきった先で技術を磨く」

——コラージュという手法・表現を追求していく過程で、ご自身の中で、もうやり切ったとか飽きてきた、みたいなことはないですか。

河村:やり切った感は感じたことありますよ。大友克洋さんとコラボレーションした「大友克洋GENGA展」の時ですね。大友さんのことはずっと大好きだったし、そのご本人から「自分の作品として好きにやっていいよ」と言われていたので、本気出しまくったんです。1つの絵の中に、これ以上はもうどうやっても貼れないくらいの量をぶち込んで、やりたいことも全部やった。それで完成した作品は、大友さんも喜んでくれたし、自分的にも満足できたんです。そうしたら、めっちゃ飽きました。

——でも「大友克洋GENGA展」をきっかけに、仕事は急増したんじゃないですか?

河村:そうなんですよ。せっかく新しいクライアントからオファーをいただけるようになったのに、そのタイミングで飽きてるなんて、意味分かんないですよね。なので、どうにか新しいことをしようと思って発見した1つが、シュレッダーを使った切り貼りだったりします。

——シュレッダーで縦に裁断された紙を素材にコラージュする技法ですね。

河村:思いついたきっかけは、「2ND(ツー・エヌ・ディー)」という1冊目の作品集を作っている時に、もう今日中に全ページ入稿しないと間に合わないって日になって、載せる作品の数が足りないことが発覚したんです。それで、どうしようと焦っている時に、事務所にあったシュレッダーが目に入って、試しに裁断した紙を貼り付けたら、だいぶいい感じになって。時間も1作品20分くらいで完成したので、これで入稿できる、というのが最初でした。

——その場しのぎで思いついた手法が、今では1つの代名詞になり。

河村:ですね。しかも、そのギリギリ入稿した日に、たまたま大友克洋さんから連絡があって、一緒にご飯を食べることになったんですよ。で、持っていたシュレッダーの作品を見せたら、「面白いじゃん。もっと突き詰めた方がいいよ」と言ってくださって、大友さんが言うなら突き詰めてみようって。なので、初めてシュレッダーを使った作品を発表した「2ND」の帯は、大友さんが書いているんです。

——まさに「古い手法の中での新しい発見」ですね。

河村:そう。あと、飽きないためのもう一つは、技術を磨くことですね。技術ならいくらでも伸ばすことができるじゃないですか。それで、手で貼る精度を高めまくって、もはやデジタルとの差が分からないぐらいのところまでもっていくようにしました。で、アナログの手貼りを極めたら、あえてデジタルでもやってみる。そうすると、デジタルに見えるけどアナログだったり、逆に、手で貼ってるかと思えばデジタルだったりして、混乱させることで新鮮さが生まれました。

——企業案件となると、作品とは違い、制約があったり改変を求められたりもしますよね?

河村:オーダーを制約とは思ってないんですよ。お題をもらった、くらいの感覚。改変についても、完成させるまでは本気でやってますけど、作ったものを提出したあとのことについては、こだわりがまったくない。SNS用にリサイズしたいとか言われても、基本的には自由にやっていいですよっていう。でも、そこまでひどいことをされた経験はないので、皆さんの優しさのおかげです。

——コラボレーションする相手の見極めとかは?

河村:そもそも、この人とコラボレーションしたい、というのもないんです。好きなブランドや尊敬する作家はたくさんいますけど、それで一緒に仕事したいっていうふうにはならないんですよ。僕自身が超絶オープンなので、オファーがあればやりますっていう感じで。そもそも僕のコラージュとコラボするっていうのは、エフェクトみたいなもので、素材次第でいろんな方向にいけるし、見え方も変わってくる。なので、切り貼りする素材さえあれば、いくらでも自由自在にコラボができる。そこが一番の楽しみであり、コラージュの魅力だと思います。

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