
西陣織は1200年の歴史の中で、その時代ごとの先端技術を取り入れながら、より良い織物を追究し続けてきた。HOSOOもまた、その精神を受け継ぎ、最先端技術を積極的に取り入れながら美の可能性を探究している。細尾家の歴史には口伝による部分も少なくないため、ここでは近年の活動を中心に4つのフェーズに分けて紹介する。あわせて、細尾家の家宝「長寿屏風」を通して、江戸時代中期から大正時代にかけての西陣織の歩みをたどる。(この記事は「WWDJAPAN」2026年7月13日号からの抜粋です)
細尾家家宝「長寿屏風」
「長寿屏風」は、西陣の名門織屋である俵屋喜多川家が江戸時代中期から大正時代にかけて織った貴重な染織裂128点を貼り合わせた屏風だ。1938(昭和13)年、幕末の1864(元治元)年生まれの染織工芸家・喜多川平八が最晩年に制作に関わった可能性が高いとされた。喜多川家は俵屋の屋号で500年にわたって続く西陣の名門織屋で、室町時代末期には綾の独占的製織を保証された大舎人座の31家の1つとしても知られ、慶長年間(1596-1615)には唐織を初めて織った家とされる。平八は15代目にあたり、明治以降の動乱期の京都で西陣織物模範工場設立に携わり、草木染による能装束の制作、大正の御大典の調度や装束類をはじめとした皇室の御用を務めるなど、製織における高い見識と技術を発揮して活躍した。細尾家には7代目の彌七の妻が俵屋喜多川から嫁いできていることから、その両家の縁によって譲られた屏風であると伝えられている。
固地綾の「黄櫨染桐竹御袍」

「袍」は男性装束の正装である束帯で一番上に着るものを指し、色によって着用者の位を表した。「黄櫨染」は平安時代前期以来、天皇以外は着ることが許されなかった黄色がかった茶色で、太陽の色とも称される独特の色である。「桐竹」は裂の文様を指し「桐・竹・鳳凰・麒麟」4つの要素が組み合わさった長方形の筥形(はこがた)文であり、善君の世の吉祥を表す意匠として天皇特有の文様だった。この裂は、京都御所で行われた大正の御大典の際に織られた可能性がある。
定期購読についてはこちらからご確認ください。
購⼊済みの⽅、有料会員(定期購読者)の⽅は、ログインしてください。
