
自宅で購読している日経新聞は、今月から最終面を先に読むようになりました。目的は「私の履歴書」。経営者、政治家、学者、文化人らが自身の半生を月単位でつづる名物連載で、1月は伊藤忠商事の会長CEO・岡藤正広さんです。これがめっぽう面白い。
伊藤忠の繊維部門出身で、同社のブランドビジネスの立役者。ファッション業界関係者にとって必読であることはもちろん、多くのビジネスパーソンも七転び八起きの物語にぐいぐい引き込まれることでしょう。
決して恵まれた家庭環境とはいえず、受験前に結核を患って2浪を余儀なくされ、伊藤忠に入社しても何年も不遇の時代を過ごした岡藤さんが、「営業の師」との出会いをきっかけにめきめき頭角を現していく姿は痛快です。ふとしたきっかけでオーダースーツの生地に「サンローラン(SAINT LAURENT)」のブランドをつけるアイデアを思いつき、ライセンス契約にこぎつけます。ここまでが1月半ばあたりまでのあらましです。
失敗談も豪快すぎて、フィクションかと疑うほどです。1974年、入社直後の歓迎会で、なぜか「一発カマしたれ」と思った岡藤青年は居並ぶ先輩たちを前に次のようにあいさつします。
「瀬島龍三さんは大本営の人。言ってみれば戦犯じゃないですか。これから会社が世界に打って出て国に尽くそうっていう時に、そんな人が経営を担っていて、皆さんはそれでいいんですか」
瀬島さんは戦時中に大本営参謀を務め、リベリア抑留の後、伊藤忠に入社して当時は副社長を務めていた超大物です。「昭和の参謀」の異名を持ち、政財界に強い影響力を持ちました。山﨑豊子さんの小説「不毛地帯」のモデルでもあります。
こんな爆弾発言をする新入社員が、のちに経営トップまで駆け上がるのですから、事実は小説より奇なりですね。
岡藤さんといえば、記者会見でもインタビューでもコテコテの大阪弁で話します。ビジネス関連の編集記者は経営者が方言混じりで話しても、紙面に乗る際は分かりやすい標準語にすることが当たり前。しかし岡藤さんの場合、大半の新聞や雑誌のインタビュー記事もなぜか関西弁の話し言葉になっています。強烈なキャラクターと切り離せないと考えるからでしょう。
「私の履歴書」の文章は標準語で綴られていますが、読む私の脳内では岡藤さんのコテコテの関西弁として再生されます。
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